(仰々しいものでも無いので「『自営業』の雑感」ぐらいの意味で読んでくれ、、)
時に、このブログ読者界隈に
昔の『公開掲示板』に始まり、現在の「記事リクエスト」まで、
「コイツ単なる荒らしじゃんみたいなのにイチイチ返信原稿書いてんじゃネーよ」
などとお怒りの方もいると思うんだよね。
(うっかり腹立つ依頼文の引用を読まされて気分悪くなったとかさ)
で、何故俺がそういう事案に(全部が全部対応してるワケじゃないが)返信原稿書いているのかって理由についてちょいと書いておく。
■私的に別の目的でブログが利用されてしまう事の既成事実化を防ぐためです
『公開掲示板』時代には、有名な”(HN)これはひどい”さん事件ってのがあってだな、
ちょっとした心理オタクの書込みだったと思うんだけど、
格闘戦となり、まあ論駁したワケだが。
このやり取りの(道場破り撃退の)意義は大きかったと思うのね。
心理学に絡んでくる謎の投稿の動機形成の大半は、
自分の「強迫心理」がネタバレすることを避けるための”自我防衛”だよね、
(これがまためんどくさい話なんだが)
「だったら(奴らも)読まなきゃいいだろ」って皆さん思うでしょ(笑
そうはならないんだなこれが
どうしてなのか?
●世間のどこかで「強迫心理」が敗れ『自意識』がのさばっている世界があるらしい
↑
それが自分の耳に入ってる段階でもう(自我防衛上)許せないワケさ、
「社会からそんな悪しき運動を根絶させなければ」みたいな謎展開になってさ
(なのでほとんどの荒らし的依頼原稿は「上から目線の説教口調」となる)
ザックリ言っちゃうと
「自分の強迫神経症に依存する自我を防衛するため、心理学など強迫心理関係の解決を促している空間や場所や個人を世界から排除してしまいたい」ワケなんだよ。
(スゲー動機だよね「強迫心理」あってこそのレバレッジの効いたアレなんだよ)
ちょ〜っとニュアンス違うんだけど、
触れる琴線が似ているのかなってのに、
「戸建て高齢世帯の保育園立地反対運動」とかがある、
どこがどう似ているのかって、めんどくさいから長々とは話さないが、
「運動している高齢世帯にとって、保育園がさ知らない間に”悪の組織”みたいな認識され方になっちゃう」ってとこかな。
■■■<<<<※道徳的興奮による反論とは>>>>>■■■
道徳=『共同幻想』権威性認知→その概念が”共有されない”場合(孤立)=「強迫心理」
↓(困るので共有を強要すると?)
「承認欲求」
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タグ:強迫心理