ボー子さん
>リクエスト記事の中には友達と遊ぶのは楽しい、友達はかけがえのないものという共同幻想適応者がいますが、私も同じことをよく共同幻想適応者から言われるので、本人達は友達といるのは楽しく、かけがえのないものなのではないですか?あと歩留まりは職場などでは共同幻想適応者のふりをするとのお話でしたが、会話なども共同幻想適応者に合わせるということですよね?会話が続かずに途切れたり、会話を弾ませることができなくてつまらないと言われます。歩留まりとして共同幻想のふりもなかなか高度で苦戦しています。
■えーと何回説明すればいいのかと思うんですが、、
過去ログ読んでもわかりませんか?
もう一回説明しますが、
オンザレールな『共同幻想』適応人格は(言うならば『歩留り』との対比で言えば)
この社会的合理性で個人の自由が”共有化されるため”限定される仕組み(あたかも所得課税により共有資産の公共投資に使用されるため自由に使える個人の可処分所得が減るように)、
このストレスに対して(『共同幻想』権威を疑う事は禁忌なので抑圧されるため)自覚できないのです。
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わかります?
毎度自分の財布から「町内会費を抜かれてる」のですが、その行為に疑問であるとか批判を持つことを『共同幻想』の仕組みで(道徳概念とか常識概念とかで)「禁じられており」
それが洗脳に近い形で自我構造設計されているので、
”不快感の自覚を持つことも許されていない”んです。
●当人達はその構造的なストレスをどのように感じるのかと言えば
「休日が楽しい」だとか「友人との食事会が楽しい」だとか「遊びにいきたいね」みたいな、(どうしてそれが発生したのかわからないのだが)溜まったストレス解消するイベントを定期的に必要とします。←そして『共同幻想』はそれを可能とする遊興の仕組みも提供するワケです。
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友人をあてがい、『共同幻想』適応することで構造的に発生するストレス解消イベントを用意し
(『共同幻想』の都合のいい労働者となぅていただいて、個人で稼いだ給与も全額『共同幻想』センターで使っていただくというww)
そら(違った意味で)かけがいがないわww
そして(違った意味で)楽しかったりするんでしょうね
■『単独者』は普段の日常全てが(『共同幻想』適応者から見れば)”非日常”なので、
定期的に飲み会だとか遊びにいかないと解消されないような構造的ストレスを”持ちません”。
【その必要が無い】んです。
(殊更何かして遊ぶとか、『単独者』には疲れるだけでバカみたいぐらいにしか思えない)
『案読者』は所得課税も何も「この人円でお金持ってんの?」だとか「そもそも物々交換とか言い出しそう」な連中ですから(労働って何?だったり)。
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タグ:『共同幻想』