悩ましい左翼政治思想(実体はこちらも『共同幻想』)ですが、
支持母体から考えるとあれれ?
労働組合運動ですよね?
市井の人達の所得を云々って話ですよね。
いや大事な事忘れてた、始まりは「マル経」じゃないですか!(笑
■始まりは『経済学』
なんだか、現代社会の左翼政治思想があまりにもアレ過ぎてすっかり本来の姿を忘れておりましたよ。言えばさ「特定の経済学派」なワケでしょ。
運動云々はともかくにもだ(てかさ労働運動とかの根拠はマル経よかケインズじゃねって話もある)
経済学としての論拠が崩れたら存在意義無いじゃんww
「まぬけな勘違いでした<終わり>」だもの
さて、始まりは「経済学」だったものがいかに宗教カルトのような『共同幻想』に育ったのか←ここを解き明かせばよろしいって事じゃないですか(ネタバレ崩壊するから)。
●すっかり右派論客みたいになっている経済評論家の上念司氏ですが
例の本(経済で読み解く日本史)、ツボだったのかも知れません。
(かくいう俺は読んでおりませんがwwままよで進めましょう)
これって「まぬけな経済学の間違いに始まる『共同幻想』、様々な失敗例」を紹介しているのも同然であり、左翼政治思想にとって致命的とも言える弱点をついたものだろうと。
(※なんでしょうね、チャンネルくららの上念氏後輩倉山氏が日本官僚制度最大の問題として「内閣法制局」を挙げているとこと共通するものを感じる。←皮肉にもこの指摘は昨今すっかり左翼側の人に成り果てた小沢氏と同じ。)
てなわけで、
「たんなる経済学だったものが何故に教カルトのような『共同幻想』に育つのか」
↑↑↑
ここを考えてみましょう。
※過去記事「国の富と自由(経済学がイデオロギーに化ける時)」も参照ください
http://kagewari.seesaa.net/article/468769759.html
(上記記事だと『革命』だと『共同幻想』構造はなーんも変わらないだろう的話)
■所詮経済学なのに「何故道徳論の結合しちゃうのか」←ここでしょうココ
(心理学には回答のようなものが無い件で話したとこの逆だよ逆)
マル経の資本論もそうだけれど、ケインズのデストルドー論にしても、
(著者の心情的な部分は付帯事項で本論ではありませんから無視してですね、)
言わんとしているのは、
「経済政策運営の間違いを指摘したり、合理的な解決策を論じたかった」のですよ。
(それが正しいのか間違いなのかは、その後の歴史や学派の論争などに任せるかたちで。)
↓
ザックリ言えば「それは違うんじゃね?」が言いたかっただけ
と、こ、ろ、が、だ、
■特にマル経において「資本家がどうこう、労働者が搾取されどうこう」などなどの分析が
なぜか、「悪い資本家、可哀想な被害者である労働者(本当はもっと豊かな暮らしができる権利があるのに)」に転じ
↑
ここの論理矛盾に気が付けって
マルクスが執筆時の感情としてどうだったとかはさておき、
経済学の論旨は「内需拡大もせず、資本家が総取りした所得を貯めこむと(←ケインズでいうところのデストルドー)、いつかは過剰在庫で経済が滅びる」←だいたいそんな話なのよ。
”いいとか悪いでは無く”→「ホラ、ここ間違ってるバカみたいだろ?」がテーマであってだね。
何故かマルクスはプロレタリアート革命みたいな方向いっちゃうんだが、
ケインズ以降の政治経済では「(いやいや人殺しなんぞせんでも)高額削特車に累進課税して、独占禁止法でルール違反の市場支配を禁止し、労働組合を保護して所得増し、政府の公共投資で所得分配すればいんじゃね?」←だいたいマルクスが指摘した経済学上の問題はケインズにより解決しちゃったんだよね。
だったらもういいじゃん、
●次のテーマは「持続的経済成長論」とかになる(或は「先進国経済のソフト化における公共投資効果の下落と所得分配論」みたいな)、
■思うんだけどさ、ここがひっかかったんだろね。
↓↓↓
「可哀想な被害者である労働者(本当はもっと豊かな暮らしができる権利があるのに)」
道徳論と、ガチ『被(こうむる)』受動系認知(反動係数エスカレーションのオマケ付き)
考えてみりゃ「混ぜるな危険のフルコース」じゃん。
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