クラシックというジャンルとして確信犯的再選択者により確実に文化として残り続けるでしょう。
(明らかにそれを楽しむ様は中世ヨーロッパリアルタイムとは違うはずだ。)
確信犯的選択から学べることは、
形式や定義に収まっている(=安易な考えでそれを”崩す”ことを否定する)、
だからこそ(信じる古典的権威が概念として実存し)不安や怖れることなく”全開”でいける。
目方を変えれば
■「確信犯的『共同幻想』再選択者とは、古典的権威を信じることを”自分の考え《信念》”として任ずる『単独者』である」
→その古典的権威の選択において同士が派生するけれど、各人思いは違うので(『共同幻想』ごっこ的に)慣れ合う関係とはならない。
これに対し歴史的運命だったとも言うべき
■「『共同幻想』崩れ社会」にはどんな原理が働いたのか?
オンザレールやナチュボーンの『共同幻想』社会適応人格(所謂:普通の人モデル)、
その特徴は「だよね?そうだよね」ネットワークにより不断に行われる同調にある。
【重要な事だが】
彼らは原理主義者とはならない(原典に対する理解が必要無いとされているため)。
故に、現実世界でその都度「張り巡らしたアンテナでそうなの?だよね」の情報共有が必要で、その機能は(生存かかっているから)極端に高いレベルにあるし、新常識の導入も迅速である。
WWU以降の世界では、
当時ソビエトのコミンテルンの存在もあったけれど、意識高い系インテリが「最近こうだよね」として真っ先に共有したのが「左翼政治思想」となる。
本来リベラリズム(自由主義)は保守の政治論点なんだけれど、
ここで謎の「左翼リベラリズム」が発明される。
どういう意味っていうかと言えば、保守的制約を破壊し自由を求めることは(リベラリズムが保守系でも)目的として同じだって話で(勿論左翼リベラリズムはその破壊後に左翼思想の布教をはかろうって話なんだけど)、
現在の世界全般にいえることだけど、
この左翼リベラリズムはメディア関係広範に影響を与えた。
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●集団心理としてここ補足してみると
文明の進化により「産業革命的な革新的発明」が続くよね。
(事実バチカンは科学的新発明ある度に「これも聖書に書かれてたのだ会議」を開き、カソリックの様式が壊れないようにしている。→そらルターのやった事は彼らにとって大変だったわなと、)
文明社会としても
「え、その新発明ってどういうこと、これだよね、そうだよね?」この動き(=社会不安)が急速に伝播する。
頼りになるのは(現代の伝道師とでも言うべき)メディアだ、
勿論、(迷信の殿堂)ローカル『共同幻想』においても(誰が言いだしたのかまったく謎の)都市伝説的な風説もそれを補助する。
この現象が権威の大元である司令塔無しに進むため(しかも有力な担い手が戦後時代はマジものの共産党工作員もいた)、
「様式は簡単に崩れた」。
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