2019年05月16日
ネコの知性とイヌの知能(知性・知能論)
人材とか人事部?
判断は人それぞれだけれど、
人間の能力を偏差的にランク付けすること自体が本来人権侵害だわね。
(左巻きの人はこういうところに着目してくれと←いやほんと俺は左翼インテリを全否定している訳では無いから、求められる役どころってあると思ってる。)
(注:それから知能を否定している訳でもないよ)
てか、同じ人間なので実際には能力なんてものにたいした差があるワケでも無く、
(理系を例外に、赤本片手にテスト受ければほとんどの生徒が100点だろうさ)
個体差・個性差ってのが本質的な実存領域の話となる。
■凄く乱暴な表現で恐縮ですが
一般慣用句で「バカとか足りないとか」の話
難しい言葉もよう知らず、歴史だとか雑多な知識もこれと言って無く、暗記競争の意味のわからない学校のテストがさっぱりだってタイプの人がいるとしてだね。
そりゃ知能の話で、
知性と別物だから。
(全く関連が無いとは言わないが、巷で言う「頭がいい」とかクソほどの意味も無いだろうって)
多分この話は
ちょっと前に話した「時制の話(人類誰もが年齢も寿命も関係無いかも論)」と関係しているかな。
或は「時代と人類」だとか「パレートの法則」も包含するようなって言えばいいかな、
子供は大人に比べてバカかも知れない、
地球が丸い事も知らない時代の人類はさ、現代から見ればバカかも知れない
社会学的統計として常に一定数の怠け者が”必然”である件とか(有能訳もある意味順送りのようなもので→地位が人格を造るって話にも通じるかな)、
知性って呼ぶと仰々しいから”センス”にしてみましょうか、
子供は高尚なブランドものを知らないかもだが、趣味のいい奴悪い奴ってそこへの関心の違いが存在する。
和服しか存在しない時代にもそりゃ粋な着こなしは存在したし、
前線に立たされたものは脳の活動限界まで戦術的思考を行うだろう。
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