最初に言っておくけど、
自分が”ネコ飼い”(羊飼いの発音で)であるが故に、ネコ贔屓になってますので、
今回記事は上記事情により一部偏向しておることをご容赦くださいませ。
加えて、俺の犬経験などおおよそ根拠のあるレベルにも無く、
ちょっと先日個人的事情でイヌと触れ合う機会があったものだから、その時思った雑感を残しておこう程度の話でございます。根拠もいい加減な与太話です、
※ここまで読んで「期待外れ」と思った方は以降スルーでお願いします(笑
さて、そんな事情はともかくにだ、
(※最初にネタバレしておくと、多分今回の話は『共同幻想』リミッターや認知領域と空間の話なんかなと思う。→勿論それは人間にも通じる話として次回に引き継ぐ予定)
■確かに犬は知能が高い
芸もすれば、単純な言語は苦も無く理解している。飼い主と高いレベルのコミュニケーション能力を持ち散歩に限らず共同での活動も可能だ。
その反面、
イヌは好き勝手に主体的に知的活動をする様子はむしろ少ない。
(あたかも飼い主のオーダーに備えて無駄な動作を抑えているような側面もある。スタンバイ状態的な、)
同時に野生においても高い社会性を持つ犬は(本能で規定されるため犬同士の世界は『共同幻想』と呼ばない)、人間社会の『共同幻想』と高い親和性を持ち、客観的に見るとそれは依存性にすら見える。
■よく馴れたイエネコに依存性が無いとは言わないが
ネコの場合、好き勝手に自由意思で行動する状況が損なわれる事は無い。しかし飼い主との共同生活に知的共存不可能かと言えば、全く違い高いレベルでの共存が可能だし、コミュニケーション能力も高い。
基本芸はできないが(というかそういうことをしない)、
会話も可能で(基本ネコ同士は鳴き声を交わすことはほとんど無く「ニャー」と知られるあの声は専ら人とコミュニケーションするために彼らが開発した発音だという説もある)、
知能が高い印象は無いけれど、その表情や失敗した時恥隠しで知らんぷりする様など生活における知的活動領域はとても大きい。
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この点、イヌネコ差は無いと思うけれど「自我の萌芽」を思わせるような深い表情は、長い年月(ひょっとするとワイルド環境における彼らの寿命を超える)人間と関係する中で(ヒト同様に)獲得されるもので(昭和の外イヌやおおよそ馴れている思えないネコにそのような表情を観察することは難しかったりする)、
●加えて(ここ重要)
人の乳幼児と違い、彼らは長期にトラウマ級の不遇者(言葉はおろか立って歩くこともままならない)時代を過ごすなどのコンプレックス・フラグを持たないため、謎の反抗期なども無しに下手すると人間世界における親子関係や夫婦関係以上の平均的年月を飼い主と良好な関係で静かに過ごすことになる。
(BBQイベントで幸せごっこインセンティブも必要としない)
ひょっとするとその自我モデルは(コンプレックス・レスな関係であり)、
人間のそれを(知能は全くそこに至らなくても)知性レベルで越えてる可能性すらある。
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