特に承認欲求や(ある意味醜形恐怖と整形の関係もそう)、
反動化した欲求(一次欲求の断念により代償満足・二次的利得化及びエスカレート構造)
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だいたいこれに類する欲求は
「当該人物が脳内で”どうしてこうならないのか”」と明示されている条件が完全に解決しても
”満足することはありません”
(場合によっては条件満たす解決自体を”認めない”←某国が日本の戦争責任論で持ち出す”真正性のある謝罪”なんていう謎理論も同じ。)
■脳が快感獲得している経済構造と全く(明示される問題解決は)”関連性が無い”からです
すっごく単純化したモデルでたとえると
「割引セールと聞いて前から購入しようと思っていたレザージャケットを買いに行ったのだが、ふと立ち寄ったパチンコ店で予算を全てすってしまった」
酷く落ち込みってか、怒りも込みでその日は荒れ放題。
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さて、この状況で「割引セールも終了し後日なんとか希望のジャケットに近い物」をゲットしたとして、すっかり何事も無かったように満足するなんてことは”有り得ません”。
脳内経済状況では「そういうこっちゃなくなっている」からです。
●仮にスムースに事が進んだ場合の経済収支
・「バーゲンでレザージャケットをゲット」
●後者の経済収支
・「パチ屋で大損、不快と怒りの『大興奮』快感ゲット」
・「この時だけのバーゲンで入手可能だったジャケット喪失『興奮』ゲット」
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サラッと書いてますが、下手すると獲得されている『興奮』値は”倍かそれ以上”ってことになります。
前段説明にあるように、
代償満足や二次的利得なんて具合に「欲求を寝返りさせて、且つ等価な体感とするためには”謝罪と賠償”じゃないけれども、、更にその倍とかのレベルになる」。
つまり、
パチ屋でやらかした結果、下手すると「その事件が無かったことのように解決するためには(更にその倍となるため)、購入予定だった予算の4倍を超える経済収支の話になってしまう」。
こうなっちゃうとだね、
「買おうと思っていたジャケットワンランク落ちだけど、これでいんじゃない」←こーんな投げかけじゃ”なめとんのか”とばかり(更に不快興奮が加算されて期待賠償額を積み上げてしまう)、想定外の悪循環となってしまったりします。
↑
●ただし、無意識に脳内で起きている経済収支は『自意識』は全体像を掌握しておらず(納得いかない感情みたいな感覚でしか認知できない)、
周囲に「どうしたの?」と尋ねられても
「バーゲンセールでジャケット買いそこなった」←これ以上何も言えないんですよ。
さ〜こまりましたよ、
口を開けば「あのジャケットが」って話になりますが、
そういうものだから、周囲が可能な範囲で手を回して「これでいいじゃないの?」と打診すると、
何故か逆切れされたかのように「それじゃないんだぅてば!!!」みたいな謎のやりとりとなる。
■自我経済的にこの状況をどう分析すればよいのか?
発生した事象の切り分けと、
無意識に進行してしまった脳内収支を『自意識』が自覚すること(感情のネタバレ)
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大きく分けると上記の2つ
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