(話の出所は確信犯的再選択者の周囲に依存する”崩れの発言”だと思いますが、、)
・ゲームや映画の表現規制(左巻きPC《ポリコレ》過剰規制の元祖は保守派だからね←【ここ重要】)
・社会と家族における意味のわからない関連付け情緒的発言
・「美しい歴史と伝統」みたいな(暗喩で自国の歴史と伝統があたかも無条件で美しいと定義されている)”造語プロパガンダ”
・自分の美意識がストイックなものだからうっかり緊縮財政が正しいと鵜呑みにしてしまう
↑
●だいたいこんなところですが
何故に残念なのか(確信犯的保守なら”ちげーだろ”的に)パッチ当てていくと
・彼らが昭和時代に口を開けば規制規制と騒いでいたジャンルこそが(日本で言えば漫画・アニメ・ゲーム)現代ではクールジャパンか何か知らないが保守派も胸張る自慢の文化になっていたり
※真の保守派なら国のサブカルについても理解と見識がある筈
・法治国家(rule of law法による支配でもいいけど)を原理原則とする現代先進国の場合、法制度に及ばない情緒的努力目標みたいな”何か”を投げかける行為は事実上ハラスメントの温床になる
※真の保守派なら伝統の情緒的世界の裏側の不条理性(道徳や倫理や法的概念では”無い”)を自認している筈(自ら不条理を選んでこその生き様だ的に)
・仮に、安易に文化や伝統を(文法的トリックを使って)無条件に美しいと言語化しちゃう行為は、文化や伝統を軽んじるのと同義で論理矛盾である
※真の保守派ならそれが美しいなどの修飾表現を安易に行わない
・保守系に所属するという行為は=共有化する概念において自らの所有権を放棄するのだから(個人を捨てる)、なんというかうっかりするとストイックな快感に色をつけがちで(禁欲こそ金みたいな偏向)、本末転倒になる場合もある
※真の保守派ならベーシックインカムが”小さな政府趣向の保守派の政策だ”ぐらいいうまでもなくご存じなので、緊縮財政や財政均衡が正しいなどの発想は無い(保守派の関心事項は「政府が個人の自由を根拠も無く規制しないこと」的自由主義でなくちゃいけない←これこそ本当の意味での共産主義に対するアンチテーゼだから)
■ここからわかる事は?
文明の進歩に比例する『共同幻想』自然崩壊にあたっても、当事者が真性保守なら「何も困らない」のですよ(言い換えれば絶対耐性がある)。
困るのは(常に権威的な裏付けがフラフラしている”オンザレールや崩れ”階層)
むしろ、真性保守ならば文明化に連動ずるリベラリズムを”自然現象”として受け入れるべきで、
(人の手によって政治的にどうこうしようとするべきではない)
『共同幻想』崩壊プロセスって〜のは、
”オンザレールや崩れ”の腑抜け達に、確信犯的再選択者を迫る場面でもあるので、
本気の保守派ならむしろ好ましい事なんですよ。
仮にそれで絶対多数を割り込む事となっても、全然問題無い。
問題無いってかさ、
先進国の保守系階層なら「100%世界には様々な宗教があり、どの宗教も世界的絶対多数を巡る覇権争いみたいな話を是としていない」ことぐらい(小学生じゃないんだから)ご存じで、
確信犯的再選択=”ブランディング”だからね。
コアな少数である事はその利害を毀損しないのです。
→続きを読む
タグ:『共同幻想』