コテコテの保守系評論家の話には流石の俺も(政治的スタンスは保守リベラルだと思っているんだが)「ちょっとついていけない世界」となっており、
安全保障やインテリジェンスの論議している時には切れ者の評論家の方が、いざ社会の在り方なんて話になると真顔で「神社仏閣を中核とした地域コミュニティーの再生」みたいな話をはじめてですね、
「オイオイ、いつの時代だよww」となったりします。
保守系は同じ『共同幻想』でも”よくある自我構造的”に言うと、左翼と大きく違います。
(そら何事も一概には言えないのであくまでも”ありがちな”の意ね)
左翼は自分達の政治思想がコテコテ『共同幻想』系である事に自覚が無いため依存系人格が新興宗教にひっかかる構図みたいなことなっちゃっているので、違う意味で構造的問題を抱えており、、
これに対して保守系は「堂々と『共同幻想』の再生を言明」しており、
その担い手を自称する世界になります。
■政治的スタンスとして、米国キリスト教系保守のような政治姿勢は欧州にはほぼ存在していないとも言われており(逆説的に言えば歴史の浅い米国で保守って言葉としてズレちゃってますから)、
米国の極度に教会に依存する保守系社会の在り方も(彼らの論旨は神の導きで福祉は教会中心のコミュニティーでやるから国民皆健康保険も生活保護のような連邦政府権力が出張ってくる公的福祉など不要だ!って主張)米国特有と論じられたりしています。
故に米国を典型例に挙げると間違うと思うのですがww
(多分ね、あの世界最強の軍事力も保守系の認識では”神の軍”なんだろうと思います。←彼らの心情は→私たちは神の導きによりそれを行使するのであって、自分の考えを自らの意思で選んでいるなどという認識は《神への冒涜であり》僭越だってスタンスだそうです。)
以下動画を参照するとその意味がよ〜くわかる
彼らの主張を前提に考えりゃわかるとおりで、
「おいおいその地元教会に加入していない異教徒は死ぬしかないのか」って事になり→すわ異教徒は民主党支持となる理由にもなっている。
米国の場合は文字通りの「おっかない保守」だと言えます。
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(且つマジに武装してますから→保守系ファミリーの場合だと誕生日プレゼントに銃買って、お父さんが子供をシューティングレンジ連れてって射撃教えるとか割と日常の風景だし。youtubeには「妹にプレゼントするならこの銃ランキング」なんて動画もありまっせ、)
いざとなれば躊躇なく銃を手に戦う人達です。
■そんな「保守政治思想」の神髄ってか、、
コアとなる考え方がどういうものかっていうと、
神や偉人の考えに今の自分が及ぶ筈も無いが、伝統文化や伝統宗教哲学には(それがほんとかともかくってのは歴史や延べ人数で携わった人の多さなどがそれを担保している)”及ぶ筈の無い知恵”が存在している。←故に(謙虚なこころがあれば)誰しもが保守となるであろう。
↑
だいたいこういう考え方です
●オンザレールな『共同幻想』崩れとの大きな違いは、
選択する思想なり習俗なりの歴史や哲学的意図などを雄弁に語れることであり、
正統性に人生賭けているため、敵対勢力に対して激しい闘争心(戦うスタンス)も持っているってとこでしょうか。
オンザレールのようなアバウトな依存では”無く”、
確信犯的な”信念”としての”選択”である。
確信犯的再選択の条件ってのは、
ガッチリ反抗期を経て、
(=一度オンザレールに適応した『共同幻想』の全否定と全方位批判を完了している)
思春期を経た”大人として”(『自意識』マター確立後の)
言い訳の余地の無い自己責任を担保した
(『自意識』が自ら選択決定した=裏切ったら詰め腹切る覚悟がある)
”『共同幻想』の選択”であることで(オンザレールとの対比から”再選択”と表現される)、
↑
なんて言えばいいかな、この選択行為そのものが”ある意味(感無量的な)エンタメ”であり、
選択した自分の姿そのもので、かなり欲求的欲求を量的に代謝しちゃているんだよね。
(軍服に袖通す度に、結構脳内物質出ていてそれだけで快感獲得している。←※ピンとこない人は「レギュラー発表とユニフォーム手渡しされる時感動と興奮で盛り上がるラグビー代表」をイメージしてくれ。勿論この時補欠だろうと用具係りだろうと”再選択参加者は全員感動《代謝》”する。)
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