単に『反抗期』に留まらずかな?
たとえば「イジメ論」やると八発百中で出てくる誤解と誤読の典型事例は
(その認知にいい悪い論であるとか善悪論や道徳論を持ち込むと間違うからという解説に←この段階で『共同幻想』論であって偏った認識となってしまうため。)
●「私が悪いってことですか!」みたいな(もうほとんどお約束の)反論がありますが、、
(国語的に善悪論を排しているってどれだけ前置きしても「”悪い”と言いましたね!」だから、、日本語わかりますか?って水準の誤読になるワケだけれど、、)
加えて、その補足解説への理解も(想像するに)かなり多数のケースで間違った理解されていると思うのね。
それは(権威性認知や偏差値認知を前提としない限り概念としてあり得ない)所謂『共同幻想』系のアイデアである、いい悪い論や道徳論をその判断に持ち込むのは現実認知を大きく歪めてしまうが(←ここ当事者の自我が『単独者』志向だったり「自身のメンタルに問題意識がある場合」の話ね)、
●個人的な怨恨や復讐心はもってて大いに結構なことでそれは自由である
前後の意味と関連を要約すれば、
「誰それは(道徳的に)許せない」という認知は”既に誰かの術中にハマった思考”でありNG
「俺が(主体的能動的に)コイツを気に入らない(どう考えようがそれは俺の自由だから)、(俺単独の自己責任において)ぶっ○してやる」のような怒れる牡牛状態の心理はOKですよ(推奨しちゃいますよ)。つーことなワケ、
なかなか一発でそれを理解できない人いるのだろうけれど、
認知構造としてだね、
前文の前者は認知文法が『被(こうむる)』となっており、
後者は『抗(あらがう)』なので、全く別物の心理なのです。
前者には権威に対して依存的(従属的)解決しかあり得ないが(ストレスが累積したり慢性恒常化したりする)、
後者は自立した個人単独で(この段階で動機形成の障害は無制限に自由)今ここの段階でリアルタイムに行使可能→「やるんかゴらぁ」でリビドー解放できてしまうワケよ。
※重要なことは『抗(あらがう)』に関しては動機形成後、その行使を留保しても(実際に行為に及ばなくても)ストレスが累積したり慢性化”しません”。
「やったるぞゴらぁーー!!」と全裸で戦闘姿勢に入ったところで完結してんの
(極論勝ったのと同義)
仮にその後実際の喧嘩沙汰となったとしてもそれは動機形成後の話だから、瑣末な後日談なのよ。
(どうして全裸なのかwwってとことろは突っ込まないように←ここ心理学的根拠ある話だから)
つまりさ、実際に何もやらなくても(その権利行使を留保しても)快感代謝は完結し、カタルシス効果も伴ってメンタル環境はノープロブレムなのさ(留保しているだけだから”その思い”は今も持ち続けているってことね)、
●しかし、しかしだ、
芸術表現などがそうであるように、
その戦闘姿勢が中途半端なお花畑みたいな程度じゃ全然ダメなんだわ、
(御冗談をって水準に留まる)
ガツンと行けガツンと、
■ここまでの論説ってのがー、たとえばやっかいな権威性認知を前提としたハードな『反抗期』があったとした場合、当事者に求められる心構え的なところと”ほぼ同じ”なのね。
やっかいな状況でも自我が『抗(あらがう)』戦闘態勢に入るスケール感っていうのかな。
そ れ が それほどのスケール感として期待されているのか?
↑
ここのイメージが文章ではなかなか伝わらないわけですよ、
(俺が頻繁に用いる「極端な話」や「あえて暴言調で」表現にも限界あるから。)
などなど思っていたら、
昨今の音楽動画系の記事ですよ、
これ書いてて”ひらめいた”、
イジメ論において、
或は難航する思春期の『反抗期』において、
どんぐらいのスケールで”個人が単独で”怒れる牡牛状態になるのが適切か?
(心理学があーだこーだと説明している話は)どれぐらのイメージだろうか?
その答えが”これ”である(限界一杯の大音量で再生ください)
↓
マキシマム ザ ホルモン 『予襲復讐』 Music Video
歌詞
http://www.kasi-time.com/item-68958.html
(思春期の青少年が「学祭で演奏したくて、バンド始めるきっかけとなった」などとレビューする気持ちがよーくわかります。中高年ともなるとだね最後のあたりで涙ぐんじゃうんですよwwちなみにドラムのナヲ氏はそのまんまチャラのファンです。)
マキシマム ザ ホルモン は(いい意味の)中二的な『共同幻想』に対する強烈なアンチテーゼであり(ラノベ的表現すれば「心理的な概念武装」っていうのかな〜)、
”武器”なんだな、
『予襲復讐』は平成の名曲だと思う
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タグ:『共同幻想』