JAZZファンだったころ、思ったものです、
「JAZZに詳しいとかのたまえるのは金持ちだけだよな」
つまるところ、誰それの何がどうだったとかって語る上で(既に時代はリアルタイムでは無いし)、各ミュージシャンのLP買ってナンボだったワケです。
17年だか通ったJAZZ喫茶で常にメモ取るとか野暮な事もやりませんでしたし(実際「こりゃいいアルバムだ買おう」ってのは忘れないワケで同じJAZZって言ってもやっぱりそれは限られるんだな)、
中古レコード屋通ってLP100枚そこら持っているぐらいでは”にわか”でしかなかった、
俺、言わせてもらうけど、
オスカー・ピーターソンやチェット・ベイカーのLPやCD持ってないですからww
(なんてーの60年代に難しい顔してJAZZ語るみたいな人の間で上記2名のアルバム持ってないとかあり得ない。)
レコード屋のバイトをやるって手練れも実際知人にいましたが(こいつはロック・パンク系が趣味だったかな)、
素で考えれば「音楽偉そうに語れるのは金持ちだけ」だったとも言える。
●ましてやクラシック生演奏とかの話に及べば「チケットいくらすんの」ってドデカイ『富の壁』があるのは明白。
■あれれ?ちょっと待ってくださいよ
学生時代小説なぞを買う時も「廉価な文庫本出るまで待つか」とかありますわね、
勿論LPやCD同様、古本屋だとか、
60年代共産主義革命がどうした語るにも、マルクスの『資本論』持ってないとかアレだっただろうし、所謂文芸ジャンルってところで言えば、演劇関係なんかでも伝説の戯曲家の書籍やら通読してないと飲み屋で偉そうに語れないのではなかったっけ。
所謂現代社会でもその権威の裏付けとなっている”大学教授”ってタイトルの背景には「海外の誰々教授の講義を聞いたか、図書館に並ぶ翻訳本では無く外国語原書を読んでいるから」などなど、
(大学の場合は”偏差値の壁”って部分もあるだろうけどさ)
●元をただせば、ルターの宗教革命ですよ
当時の教会権威の背景には「聖書が出版されておらずそれを読めるのは聖職者だけ」って知の独占があったワケで(ルターの宗教改革のデカい部分に「聖書の印刷出版」ってのがある)、
■昭和の『共同幻想』考える上で、
権威性と富には強い関連性があった
そこで現代社会ですよ
オスカー・ピーターソン?
チェット・ベイカー?
●●●やろうと思えばyoutube検索5秒でチェックできます●●●
なるほどそら昔はCD売れたワケだ、
当時からレコードレンタルも始まり出したりしましたが、あんだかんだと語るには「買う以外いに手が無かった」。
逆に現代は、閲覧可能な母数も膨大なら購入されるものも厳選されたものとなる。
(その逆説に某国のナントカポップみたいに、音楽素人だけを依存的に取り込むって新興宗教みたいな手法もまかり通っているけどさ、、)
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