安全保障の専門家達の話によれば、
「戦争は交際法規を守る、外交安全保障の一形態であり、間違っても虐殺では”ありません”」
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理屈は実に簡単で、
各国どこの軍部においても(机上演習などで)「ナントカ作戦においては戦力の○○%損耗」であるとか「兵站・補給路の○○%の消失」により→●作戦行動不可能なので”白旗”みたいな訓練が行われます。それが戦術的にも合理的だからです(概念としてはスポーツと同じ)。
1)自軍戦力が全滅しても(本国にとって大きな損失であり)なんの得にもならない
2)局地戦において自軍の作戦能力不能となった場合(全滅するまで総力戦を行っても)戦果はあげられない(そもそも作戦能力不能なワケで)
3)戦果も挙げられないのであれば、戦争において最も重要な「敵兵力の補給を消耗させるため、多数の兵士が生存している状況で白旗降参し捕虜になる」のが有力な”作戦行動”となる。
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●だいたいこんな感じです
更に交戦しているのが「お互いにプロ中のプロである場合」
或は交戦しているのが「お互いに徴兵された新兵を中核とするド素人の場合」
いずれも、滅多に人は死にません。
「プロ同士は互いに弾が当たらない状況ですら戦力差を理解できる」し、「新兵が中核の場合(その仕事の中心はまず荷物を持っての進軍なので)、敵を目で見える距離で撃ち合うことは”まず無く”、運悪く流れ弾に当たったり半ば心神喪失で立ち尽くしてしまう新兵などの負傷や損耗により勝ち負けがついてしまう(それは罰ゲームのような悲劇ではあるけれど)」
※反面交戦している一方がプロで相手が新兵である場合は大きな損害が出るが(早目の撤退や白旗など)そこは指揮官の判断ということになると思う。
(事実、戦国時代や明治維新の日本の内戦では欧米における戦争と比べ、動員された戦力や火力に対し”驚くほど実際の戦死者が少ない”。←正確な統計は無いが明治維新における政府軍の死者数は、現代の年間交通事故死者数とほとんと同じというスケールとも言われている。)
■しかし、第一次大戦あたりから世界は変わります
大量破壊兵器の登場です(この時は戦車や航空戦力による爆撃)。
故に、この時から戦争におけるPTSDの症例も観測され始める。
「戦争行為が(想定外な兵器の威力により)虐殺の場と化し始めた」
これは各国にとっても驚愕の事実で
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以降、国際法などにより民間人を狙った攻撃などは禁止とされますが(実際はパリ講和会議前後で討議されただけで実際の法制化は第二次世界大戦前期ぐらいの話みたいだが)、
結局国際法は列強が敵国を裁くための方便のひとつで
「東京大空襲から原爆投下」まで国際法違反の虐殺はバシバシ行われます。
(延長上で考えれば、日本の特攻や玉砕戦も軍事作戦とは呼べず大きな意味では戦争行為としてのルール違反)
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