(6/9 この原稿もかなり重要に思うので基本用語リンクに入れておきます)
どうにも(心理学がどうとかともかく)メンタル問題に関して「社会的に理解が及ばない」ところあるので、まずそこから始めますが、
90年代ぐらいでしょうか、米国で特定の抗鬱剤が大流行していたころ「全米でうん百万人が精神的な疾病や問題を抱えている」なんて(出所のよくわからない統計で)報じられていたりしたものです。
(ウォール街の住人は薬なしにやっていけないとかまことしやかに語られたものです)
また「所謂閉鎖病棟に事実上強制入院禁固罪状態」な”患者”とされている人や(現在欧州では同入院措置そのものが禁止だし日本にも十何年も前からWHOがしつこく改善勧告出してる)、精神科通院歴のある人の犯罪発生率は所謂一般人と変わらないなど(この話も統計の出所はよくわからないのだが)、至極当たり前の話が”あたかも特別な事”のように語られていたりする。←冗談ではない話。
(※この話は過去に何度も書いてきたけれど俺が刑法39条に反対の理由として「動機形成の点から、意図して犯罪行為をワザワザ選択する上で『自意識』が関与しない事などありえない」的に説明している。←ある意味理論的に『自意識』に抑圧傾向のある精神的問題を抱えている個人は、主体的行為全般を企画・選択する事自体難しいのだから違法行為実行の可能性はむしろ低い推論が成り立つ。→故に「必ず犯罪の責任は問える」という結論。)
某NH○の放送で「意味不明に禁固うん十年級の事実上の強制入院患者のドキュメンタリー」があったが、その行動規範は実にどこにでもいる(どちらか言えば『共同幻想』な)人そのもので、彼を主人公として複数の同様事例から解放された患者の話が続くんだが「ショーシャンクの空に」かと思ったわ。
■重要なことですが、様々な局面で派生する精神的問題はその機能として通常の自我論の中において説明可能である以上(その可能性は誰にでもある)、何か特定の自我に疾病や疾患のように発生するのでは”無い”。
このブログで繰り返し指摘している「強迫心理」と「抑圧される『自意識』」の問題ってのは、(誰にでもある心理的状況に起因する不快状況などが)それが自我構造論的に”恒常化”したり、高い頻度で繰り返される可能性を論じているもので、
「ぶっちゃけ”ナントカ病”のような病気は”無い”」
(※確かに遺伝的問題が別途ある場合もあるだろうけど、逆に言えば”それは精神病では無い”ワケだから。)
誰にでもあるごく普通の腹痛ありますよね?仮にその時々ある腹痛が四六時中恒常化したらどうなります?事象自体は誰にでもある胃腸の具合が悪い程度だとしても、これ毎日何度も反復してたら日常生活に支障きたすでしょ?←メンタル問題ってのはそういう話しです。
↑
この話をする場合慎重になる背景の一つに、オンザレールな『共同幻想』業界において鬱症状などを「怠け病やらやる気の問題」など、あっちの世界の誤解や偏見に繋がる(彼らの専売特許の”いじめ機能”そのままに)ネタにされては困るからで、
●アホらしい誤解の心配が無いのであれば
「特定の自我に疾病や疾患のように発生するのでは”無い”」って部分は優先的に論じられる事項。
ここの話の背景として、
何故いろいろめんどくさい無理解があるのかと言えば、
■結局のところ「強迫心理とは何か」って事がそう簡単には理解できないってところに行きつく。
↑↓
困った事に、それは”論理的”に「容易に理解されない事が証明」されているのも同然なんです。
=心理学が「誰にでも理解できるものではない学問である理由」にも通じている。
(※この辺経済学における状況にも似た部分があると思う。)
■「強迫心理」ってのは”そんな人”みたいな人格があるのでは”無く”(無意識人格なんて言葉としてもう矛盾してますから)、”概念”なんだけれど、
経済学で言えば「やたらと財政再建に拘り口を開けば緊縮財政論になる人」とか想像してもらえるとわかりやすいかも知れない。
「こうなったらこうなる、そしてこの話は凄く大事な(『自意識』の主体性を上回る)上位概念である」←みたいな”固定的に筋立てられた考えや予断・想定”の事。
言語論ってほどの話じゃないが、そこ文法表現上に顕著なのが”断定調”です
●さてここで問題です「ニワトリが先か、卵が先か?」
『自意識』が(上位概念に)行動抑制(抑圧)されているから、その概念は自動的に”断定調”になる(『自意識』には「そうかな〜、どなんだろう」などと考える余地が”無い”のだから)。
或は?
それだけ”断定”されているのだから、もはや『自意識』には(そんな上位概念に)介入の余地が無いのだ。←と考える事もできる。
(どちらもあっているので、どちらがどうって事は無いんだけどさ、)
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