継続的読者の人はあえて説明を必要としていないのだろうけれど、
新規閲覧者の方にとっては「何のことですか」ともなり兼ねない頻繁に使用されるいくつかの用語を別カテゴリーでまとめておこうと考えたものです。
(重要項目なので予告なく編集される場合があります)
■「どこまで『単独者』なの?」じゃないですが、、、
前項で説明のとおりで、
「ある意味全ての『単独者』は、なにがしかの『歩留り』選択者である」
なのです。
その『歩留り』って何かと言えば”そのまんま”なのですが、
「工場などの生産時に不良品を除く完成品の比率」というもので、
勿論「どこまで『単独者』」を不良品云々で語ろうという趣旨では無く、
「どれぐらい単独志向?」な趣旨で捉えているものです。
フリーJAZZの失敗に代表されるように、この世の全ての『共同幻想』に対峙し反抗してしまうと「国籍も、言葉も、お金も、人間であることから空気を吸う習慣ですら全反抗」みたいなこととなり、ナンセンスなんですね。←これじゃもう『単独者』の概念ですらありませんから。
流れはシンプルなもので、『共同幻想』と名札を下げてその概念が成立している訳でもありませんので、単なる便利で合理的な”共通認識”の中で、自らの自由意思と単独行動において”意識されないもの””関係無い分類のもの”は、幻想性(権威性認知)を発現していないのだから、ある意味当該人物個人にとってはそれは『共同幻想』では”無い”のでありまして。
(わざわざ、荒唐無稽なトイレの使い方を「俺は独自に」とかやる事におおよそ意味があるとは思えないですからねww)
●しかし、この『歩留り論』は心理学的にとても重要なのです
どういう趣旨かと言えば、そこは下段詳しい解説に書きましょう。
<語彙的には>
自我選択として『単独者』志向の人物が、反抗(『抗(あらがう)』)対象、山登りで言えば山脈であり、水泳で言えば水の抵抗であったり、ゲームにおける難易度など、どこまで自分独自固有路線を選択するのかの”度合”のことであり。
メンタル問題も自分自身に問題提起が無い限り”個性”と認識することも可能であり、
当該人物が(よく似た代表例は癖やフェチシズム志向など)「諸般の問題が時々あっても、これも俺の個性だな」と認知すれば、それはメンタル問題では無く個性選択となる。
これを『歩留り』選択と定義している。
(注:当事者の基本的スタンスは『単独者』である)
<詳しい解説は以下>
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