2016年11月18日

脳の構造云々の話

脳筋じゃないけれど、
そりゃね鍛えたところが逞しくなるのは脳も同じです。
だからどうもこうもへったくれもありません。
脳の使い方が同じなら、そっち方面に強化され「マッチョな逆三角形みたいな」方向に”育つ”のでありまして、
そうでないなら米国などで実践されている「学習障害な子が有名大学へ」みたいな臨床例はでてきやしませんがね(使い方を変えれば脳もそっち方面に変化するのだから)。

「元々太りやすい体質だ」みたいな先天的な偏差はあるでしょう、
しかしそれが現実のあり様を決定つけるものではありません。
(むしろ全然関係が無いと言ってもいい)
日本人にもやや太めな人や現代で言うメタボなんて論議もありますが、欧米諸国の肥満と比べれば比較になりません。それを「やっぱり遺伝子か」と考えちゃう人もいるのでしょうけど、むしろ考え方として「食習慣」による偏差で考える方が合理的な話です(人種の偏差に至った背景もそこなんだから)。
だとすれば内部的な偏差は現実に存在するのだとしても、それ以上に大きな差異は”習慣”によって発生すると認識するのが合理的判断です。

社会学的に習慣と言えばガチ『共同幻想』論になりますから、
(左翼と右翼とでは脳の構造からして違っちゃっている話にもあるように)
脳の使い方として何をこころがけるのかで(何の筋トレをするかの違いと同様に)脳の在り様も違ってくるワケです。

うんで、このような話をすると速攻出てくる典型的反論が以下。
「私はどれだけ努力しても全く筋トレの成果も、手の器用さなども全く”絶対に”変化しないのです。私だけにはあらゆるリハビリは無効なのです(だいたいこの場合の理由とされるのが私だけ先天的なナントカがある系の話からはじまる)」←そして強硬に熱弁をふるう調子で(時に感嘆符なども織り交ぜられながら)語られるのもその特徴。
 ↑↓
無理筋過ぎます、、。
先天的もクソも、だったら脳関連の障害後のリハビリはなんの合理性でこの世に存在するのでしょうか?
筋力の衰えで死に至る難病を抱えた患者が幾分かでも延命になればと筋力の温存のため行うリハビリは無駄なんだからとっととやめちまえって話をしたいのだろうか?
同じ人間ですよ(しかも障害の度合いから言えば前述の説明事例の方が重篤です)。
「私だけ時間が止まっていて、なーんにも微塵も変化しない特異体質です」って、相対性理論を超える新設を展開しようって話のか、、。
しかもそれが熱弁になっている時点で「強迫心理」の介在バレバレです(”反動”が関与している)。
そこに気が付いてくれと(あれれなんかおかしいぞ的に)、

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posted by kagewari at 07:24 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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