はなから矛盾していた概念です。
マジにその矛盾を解決せんと実験した毛沢東先生がまー無茶苦茶なことやりましたから(インテリ階層殲滅大虐殺とか)、なんとわなしに高所得インテリ階層既得権益層が知的なんとかでポリティカルコレクトネスな左翼思想を論じる事が(ある意味文化大革命の反動で)アリかなって話になりましたが、
大本営マルクス先生の共産主義革命はプロレタリアートによるプロレタリアートのための革命であった筈で(マルクス先生自身はそれを経済合理性の必然と考えたもので極端に倫理的な事を意図していたのだろうか?とも思うんですけどね)、
メディア含めてエスタブリッシュメントな高所得インテリ階層が上から目線で「私たちが言うように人権をあーだこうだできない人は無知蒙昧な低所得者(プロレタリアート)であり蔑視すべきだ」みたいな調子だから、もうね、、それはどんな(宗教的)啓蒙なの?
その姿がもうリベラルじゃないよねみたいな。
左翼リベラル主義という存在そのものが構造上矛盾しているという様が”もう限界”だと、
米国大統領選においてサンダース支持者とトランプ支持者が被った事に表れているように、支持者は予めその政策が左翼系だの右翼系だのの分類には興味が無い(その分類からしてたいした意味が無かったのですから)。
現代的な人権主義的云々の知見は「(あったり前に)誰しもが織り込み済み」であり、
必ずしもリアリストって事だけでも無く(対処療法的な必然性に唯々諾々と従おうって諦めでも無い)、「(メディア批判など)ダメ出しされてる事は論外であり、その影響なのか知らないけど現状ってやたらおかしなことになってないか?」な認識があるのですよ。
そして、世界的にそうなってきてる(ようやく情報化社会のなんとやらが本格化したのかと)。
■それこそ「その意思をさ、(所得に関係無く広範な)プロレタリアートが民主政治で意思表示した」って話で「マルクス先生心配しなくても投票市場(民主主義)は機能するんです(故に共産主義が答えじゃないから)」とか何のこと無い自然現象が起きているだけです。
米国大統領選においても、トランプ支持派集会で取材陣に大ブーイングが行われるなど「高給取りで勘違い甚だしい(故に存在そのものが非公正な)メディアに対する批判」は限界越してます。
左翼リベラルな論陣な方は映画「誰がために鐘は鳴る」主人公気取りな幻想がまだ終わっていないのでしょうけれども、WWU(第二次世界大戦)前後における”悪いファシズム”みたいな動きは現代社会においてどこにも(為替市場体制やIMFやら環境が全然違う)メインストリームとならない。
(それっぽい代表は中国だし、そのまんまなのはISや北朝鮮ですがさっぱりメインストリームになっていない。しかも左翼リベラルはどちらか言えば中国共産党の味方ときてます。)
欧州には地域的にそれっぽい極右政党はありますよ、
ありますけどね、英国や米国に見られる現在の動きは一部の極右政党支持者の話では”ありません”(彼らが勝手に歓迎しているだけで)、社会における広範な認識となっている。
少々いかがわしい右派的な話がちらほらあっても、”ある程度”の筋が通ってれば「既存メディア的なアレより何倍もマシだ」という方向が露見してきたんだと。
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