■「メンタル問題などの解決を意識するのであれば、(できれば都会の)一人暮らしが望ましい」
この原則論に関しては”絶対”と言い切るべきところでしょう。
その意味ですが、
素朴に『反抗期』の定番「一人旅でもするか」です。
何度も心理学テキスト記載してきたとおり、メンタル問題からの離脱過程(リハビリ過程でもかまいませんが)、言うならば『思春期』反抗期状態の自我となる「仮想単独者状態」が求められます。
常識や権威性認知による余談などを排し、同時にエディプス的対象人物との関係をひとまず疎遠にして(近くにいれば問題の中核を成す権威性認知や抑圧が刺激されますから)、安心して(或は安全に)ひとりになれる状況の確保が望ましいからです。
付け加えると、私が個人的に定義している「『共同幻想』社会の取り巻き(中途半端な友人関係や知人との関係です)」ここも是非切っておきたいのが本音です。
と、考えれば住環境からして「ひとりぐらし」が好ましく、
可能であれば「それも都会で」がベター(関係者とのアレを踏まえると)。
↓
見た瞬間こう思う方が多数でしょう。
●「なるほど昭和の進学や就職で都会にって流れはいろんな意味で王道か」←そのまんまです。
実際のところこれといったメンタル問題を発現せず、まだまだ潜在期状態な自我の多数がその環境でナチュラルに「仮想反抗期状態を醸成し離脱過程を踏んでいるパターン」ってものが想像以上に多かったのではないかと思います(特に文系は有利って注釈必要かもですが必ずしもそこは重要じゃないでしょう)。
※建て前が個人主義と呼ばれる(実際は違うのですが)欧米社会の場合、子供部屋は生まれた乳幼児の頃から準備すべきものですですし、日本の戦国時代やら所謂皇室の帝王学のケースもひとり暮らしじゃありませんが幼児期から親との関係を疎遠としましたし、欧米における上流層の学校は全寮制でなんて世界も世界の帝王学系のアレにおいて(自立を早期から高い強度で促すという意)定番です。
■話を戻しますが、
加えて、現代『単独者』予備軍とも言える「新卒入社で3年以内に3割退社」パターンの自我においても、その居住条件として「都会の一人暮らし」がいろんな意味で優位性が高いと思われます。
●反面『ローカル共同幻想』との関係で言えば、
当該人物が確信犯的『共同幻想』選択や、『歩留り』選択の可能性が高い場合=「批判対象から除外し鉄板の権威(聖域)として『ローカル共同幻想』を位置付ける場合」、地元居住の方が有利となるので「都会の一人暮らし」が絶対とは言い切れませんが、その後の選択は予見できないのですから(確信犯的『共同幻想』選択で『ローカル共同幻想』を重視することになればUターンすればいいであり)、原則論として「都会の一人暮らし」がベターである事に違いはありません。
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