あるいは『共同幻想』マジックとでも言うべきか、
たかが体育祭のクラス対抗なんとか大会などというものに”善悪”もからむような特別な意義も意味も無いことは誰にでもわかることです。単にクラス対抗でなんらかの球技をやりましたって、大人から見れば遊びみたいなものです。
しかし、
勿論のことですが、大本営である文部省も(所属は左翼なのにこの辺はなぜか熱心な)教師の組織も、この団体圧力というような社会(集団)心理現象を積極的に運用します。
狙いは「団体がこれと決めた企画に対し、構成員は”正義の戦い”と受け取り、ミスがあれば罪悪感にさいなまれるのが普通でしょ」ってな〜あれ(初歩的『共同幻想』モデル)を刷り込もうってワケです。
大概の子供は(よっぽどの天邪鬼かひねくれ者じゃない限り)まんまとひっかかります。
見事にそれを身に着け、大人になって就職先がどこから考えても「違法な詐欺グループではないか?」な部分に薄々気がついてなんてな状況でも(或いは「どこから考えても税金泥棒な公務員」であることに気がついていても)、内部では素で「もっとがんばらないと」などと真面目に考え、成績でも悪ければ悩んじゃったりするのが市井の人なのです。
(●時事ネタ的には「ブラックバイトを辞められない心理」ってのがこれ関連です。)
遠くから見れば誰しもが「馬鹿なのか」と思ってしまいますが、
その場にいるとなかなかどうして、あっさりそんな風に思えないものですよね。
この仕組みは「狼が来たぞ話」の反対みたいなもので、
自分を除く全員が「狼がくるぞ」と一生懸命対策していると、仮に自分自身は「いやいや狼なんかこないし、そもそも絶滅してんじゃん」と思ってもですよ、
「お前ら馬鹿じゃん」なんて振る舞いをすれば、自分以外全員を敵に回すことになるのは誰の目にも明らかです(「狼を手引きしているのはお前なんだな!」←まんま村八分トリガーです)。
半ば自動的に「嘘でもがんばっている調子を見せて合わせる以外に手が無い」状況となります。
■「社会的説明責任なんてものは全部悪魔の証明だ」とかと似たところもありますわね
どうすりゃいいの?って聞かれてもですね(笑
組織に参加している以上、もうどうにもなりません。
(そんな風物詩がどうにも嫌ななら『共同幻想』と縁を切って『単独者』に転向するしかない。)
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