※大事な事なので最初に書いておきますが
「強迫心理」など心理学で説明される自我に関わる構造や現象というものがメンタル問題や症例そのもののように考えると全く違います。
メンタル問題云々は「あくまでも当人がそれを問題だと認識した時に初めて問題となる」のであって(或はそれが予測される外形事実が合理的に説明される場合)、サイコパス論議によくあるように、社長だとか政治家や弁護士などの職業選択動機には強迫心理などの介在可能性がとても高く、フロイトが昇華とまとめた事例にあるように、プロスポーツ選手や芸術家など当人がその尋常ならざるモチベーションを問題視しない場合、自我の特徴として「強迫性」などの状態が観測されても、メンタル問題となりません(実際フェチシズムなどは個人の性癖分類です)。
更にメンタル問題発症(自己申告乃至確実に問題化する外形事実がある場合)、その後カウンセリングなどを経て『歩留り』選択の可能性も再三説明しているとおりです。
『歩留り』選択とは、「自我の強迫性も俺の個性だから(ここからここまでは関係する不都合も受け入れますよ)」と理解した場合の話ですが、その根拠も前述の「問題視されない場合がある」「強迫性そのものが病気(疾病)みたいな判断は間違い」だからです。
(※『共同幻想』社会適応を無意識に選択する心理からして「強迫心理」なのですから。)
同じメンタル問題の”背景事情”でも、それが問題化するしないの差異は人それぞれで(それ原則論としても当人の個性は抑圧されている本音の方で派生で出てくる「強迫心理」では無い)、兄弟の事例にあるように環境が同じでも人の認知が均一になるなんてことはありません。
※しつこいぐらい今度も書きますが
私は「刑法39条に反対」ですし、刑法39条は心理学的にも全く根拠の無いものだと断言しています。
理由は簡単で、確かに反動形成の中に(反抗期の不良化などが典型)アウトロー的スタンスが浮上することはありますが、それは動機形成された犯罪の実行とは全く別の概念であり、
犯罪とは言い換えれば自営業の起業なみの”固有の””犯罪という特定の”動機形成を必要とする行為なので(衝動的に行われる万引きなどの軽犯罪は別)、重犯罪の企画実行はメンタル問題のある自我にはほとんど不可能であり(鬱病患者はフルマラソンが得意みたいな飛躍である)、正確な統計はありませんが「メンタル問題などの問題を抱える自我の犯罪発生津は一般社会適応者より低い」という説も実際にあります(前述とおりそれは心理学的にも論証されている)。
要約すると「強迫心理や強迫傾向」というのは(心理学的に本音と違う人格傾向となるのは事実だがアイデンティティー論的には個性でもある)誰の自我にも含まれる要素であり、
「メンタル問題」とは(あたかも生物と共存している常在菌が炎症起こしたみたいな話で)、「強迫心理や強迫傾向」が原因で派生する精神的不快感が恒常化している状態のことで、
フロイド心理学的にも「エディプスコンプレックスそれ自体が病気とか無いから」です。
(その後の派生の方が心理的負担の直接の原因だったりする)
■■<ここから本題ですが>■■
下記説明に、「強迫心理である」だとか「メンタル問題(と同様の自我構造の意)に至る可能性」などの文言は出てきますが、19人殺しの犯人がメンタル問題を抱えていたなどの意図では”ありません”。
(報道によればむしろ犯人は社交性も高く友人関係もあり、生活上のメンタル問題に関わるいかにも症例のような状態に至っていない。当人も問題性を認識していない。)
■この話にコメント必要かなと思いましたが「19人殺しの件」
何故書くのかといえば、
いつものごとくで、報道などの犯人の分析が「あまりにも的外れなトンチンカンな話」であり、
関係者がこのブログを読むとは思えませんが、
突拍子もない勘違いが拡散することを0.00数%でも抑制できるなら記事として書くことの社会性もあるのだろうと判断したものです。
現状補足できる情報から類推されること。
(情報不足なので以下の説明はあくまでも推論であることをお断りしておきます。)
・
(8/3:訂正と加筆修正、新しい情報で母親が作家?という話があるため訂正。加えて「父親に溺愛」の情報もあり、この点もメンタルリスクであることを付記しておく。)
(8/3:以下追記)
・他情報に、友人の話「彼はひとりでいることが得意なタイプではなかった」とあり→依存性リスクの可能性を示唆しているとも言える。
・「某四流大卒で教職(養護の教師志望)」=この段階でも既に彼は挫折・妥協的選択を行っていると類推できる(エディプスコンプレックスの類推)。
・「大学在学中に入れ墨などの謎のマチズモ系アウトロー化(それを明るく説明していたりする)」=思春期反抗期的な不良化もなんちゃっての不発で(教師志望の人生観は何故か反抗の対象外)、あたかもファッション?のような曖昧性の中で男性誇示的な自己顕示だけがひとり歩きしている。
・「教職の実習時、子供たちとは仲良く楽しげでも、保護者などと揉めた時に激昂するなど不安定な様子もあったとの情報」=彼の仲良く楽し気な振舞は周囲が時に理解できないハイテンションな場合も目だっていたようで、そこから類推できることは「強い承認欲求」の表れである。
●認められるために過剰な無理(ハイテンションなど)をしているにも関わらずそれを認められないと「こんなに頑張っている僕を何故わからないのか」的な反動性”梃の原理”でバチンと現実と乖離した激昂などに至る。
・逮捕後の証言「意思疎通のできない人達」とは、自分の頑張りに対して好感や感謝を表さない人たちの意味である(弱者に対しても承認欲求が満たされるどころか関係悪化していたことが類推される)。
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