うーんとこの話は(かなりエキセントリックでもあり)ワカラン人にはトンデモな内容にもなるので、
なんと申しましょうか「サブカルネタ」的に読んでいただければと思います。
(よって内容的には本来”心理学テキスト”カテゴリなんですが、あえて”時事放談”であげてます。)
時々生物学やら動物行動学系の知見で、
「人間は本能の壊れた狂ったサルである」系の話をしてきておりますが、
風刺的比喩のようでもありつつ〜の、
心理学的によーく考えるとですね、
「そのままのマジもんの話」なのですよ。
●誤解を招きそうなので意図的に行間空けます
(心理学とかちょっとアレじゃネーかと思っている方は”ここで退場”宜しくお願い致します。)
(現在重度のメンタル問題状況にある方も以降の閲覧を控えてください。ヤバイ話になってるかもなので、ちょっと危険かもなので。)
■あのですね
この世には”歌”って文化がありますね。
”音楽”でもいいです。
時に人は何かするとき「鼻歌」だとか、普通に「歌を口ずさんだり」します(子守唄なんてのもありましたね)。
調子いい時だとか、『共同幻想』適応な人すらプライバシー空間となる「お風呂の中で」だとか、人はよく歌を口ずさんだりします(数は減りましたが昭和では「口笛を吹く」なんて洒落た文化もありました)。
更に、
そんな姿を予告無く、予定外に人に見られると恥ずかしかったりバツが悪かったりするのです。
(プライバシーエリアが予告無く破られたからでもあるのだけれど、歌的状態は殊更にプライバシーの結界が視覚化というか、この場合視聴化されていてそれを見られた・聴かれたって話に及んでいる。)
※説明するまでも無いと思いますが”カラオケ”とは(そんなプライバシーの機微に深い関係のある)歌っている様の個人所有では無く”共有”することで、え〜結束と申しましょうか(もっともシンプルで簡単な『共同幻想』密度の深化方法は”秘密の共有”)、ま、そういうことです。
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