2016年03月04日

社会適応論(2)

■何気にオンザレールで社会適応しちゃっている自我タイプな人とはなんぞや
殊更哲学的な話をしようとは思いませんが、
自然界における木々でも(風通しがいいものだから)どこからも雨風にさらされる一本の樹木もあれば、森として群生し自らがその環境の一部を形成し成長のバラつき幅の少ない樹木もあります。
なんぼ地球環境変動で森林のステップ化が今後の方向性だとしても全ての森林が(このたとえだといつかはそうなるとしても)今そうなるのでも無いし、唐突に全ての森林は滅びるべき論おっぱじめるのもイカレタ話です。
「確かにそっちの方向性である」というのは事実でも(漫画版のナウシカじゃないけれど)勿論森林は森林で現実に『抗(あらがう)』ってスタンスが自然(保守本流)なんですからね(実存スイッチがそっち方面にアクティブになる)。

かといって、環境変化による森林のステップ化により「平原と個別の樹木」って生存状況が自明になっているこの時に「あれま周囲が平原だぞ」と語る樹木に対して、『森林教団』じゃないけれど「おかしい君も森林に参加する努力をするべきだ、そうであってこと木であって、平原に一本とか間違っているし、それは逃げだと思う」なんてトンチンカンな演説されてもですね…。
「失礼ですがジュラ期の松さんですか?」
世代間ギャップのような(現実との乖離では無いが現実認知の乖離であるのは事実)、それはそれはみごとな「すれ違い様」になります。

『森林教団』の彼らの視界に入っているのは常に一面の森林なものだから、「世は森林、俗に言う森林、木の一生は森とともにあり、森に神木ありそは無限の存在なり」みたいな認知に至っていても(俯瞰で言うと前述たとえの環境から見ればあだ花的例外に過ぎないのだけれど)当人にとっちゃ至極真面目にそのまんま永劫回帰しかねない勢いなわけで、
この人物を強引に引っ張ってきて「これからの時代は平原に一本の木だ、そんな新興宗教みたいな考えは改めるべきだ」みたいな話をふっかけるのもおかしな話でしょ。
喧嘩売りたいとなから別だけどさ、
木の好き好きなんだからさ(この世には滅びの美学だってありますわね)。

しかしですね、
様々な経緯から「森林から一度出た木」はですね、そもその状態となる物理的背景が「なんと周囲は大平原じゃないか!」に気が付くなんとやらがあったからなので、
認識としては「おいおい何か違っているぞ(平原に一本生きるにしても、森に還る手段を考えるにしても)」から始まっていかなけりゃいけない。
人間のパフォーマンスなんて人間を超える事無いので、そういう環境変化がもう過半数超えちゃう勢いで進行中だから「3割もの樹木があれれと気がつく」のです。
●「木のアウトサイダー」浮動票が普通に台頭している=『森林教団』組織票は既に過半数割れしているってことですからね。

そういう意味では、『森林教団』の方々は”彼ら”の生息環境からそう思えないだけ(現実認識にギャップはあっても間違っているのでは無い)。
加えて、彼らの神秘的な幻想世界の物語にしても「森が途絶えるなど考えるものには神罰が下る」なんて話がくっついており、その保守制御システムが認識の均一性(=兌換性=共有性)を保持させてもいる(チラッと平原が視界に入っても「左翼には騙されんぞ」みたいな認知に留まる)。

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posted by kagewari at 20:37 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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