2016年03月30日

補足原稿 ■依存性と「取り巻き達」

(強迫心理にとって都合のいい「取り巻き」の話は過去にどっかでやっていると思うので、じっくり考えたい人はググってみてください。)

何度も書いてきてましたが、
メンタル問題ってのはその大半が(戦争などの外傷性に起因するものを例外に)「思春期などの『反抗期』の不全」に鍵があります(全部が全部じゃないが「強迫心理の成立要件」に『反抗期』のプロセスや背景は重要な因果関係がある)。
ここんとこのシリーズで延々に書いてきましたが、
重要なとこなのでしつこくおさらいします。

『反抗期』ってのは子供が法的にも人権的にも能力的にも「あたかも下層階級のように、権威者に対して従属的な関係を築く時代」から離脱する(大人になる)過程で起きる現象です。
「幼児特有の様々な誤解(サンタクロースがいると思っていたり、ヒーローが実在すると思っていたり、母親が凄い美人だと思っていたり、父親が飛びぬけて立派な人間だと思っていたり←或いは反動的にそれら全て反対の認知で荒れてみたり)」様々の”突拍子も無い妄想”を現実に置き換えるメジャーアップデートが『反抗期』です。

何故思春期にそれが大規模に起きるのかと言えば、そもそも幼児が制度的に抑圧されている背景が年齢によって自動解除されることと、
性的能力の獲得により快感認知として(特に親や教師などの)権威者に対する承認欲求みたいなものに快感原則的に依存するところから離脱し(自立)、関心事項からして異性も意識した外の世界に移動します。
サンタクロースや道徳刷り込み神話などがネタバレするように、権威者に対するハードルも崩壊し(相対自分の立場が自由になり)、抑圧が外れて(上下関係が水平になり)自由気ままに活動する方向へのアップデートです。
(現代先進国の場合はOSで言うところの管理者権限も獲得します。→身分制度や階級制度のある近代や封建社会などではそこまでの自由は無い。)


狭義で言えば家族団らんより異性といちゃつくほうが快感がデカイって話に代表されますが、
広義で言えばお手伝いをして両親に褒められるより、(家庭等の舞台設定の枠を外れた)現実の中でアクションなり表現をしてって側に快感原則的にシフトするって話(一概に社会で活躍とかの意味では無いので勘違いしないように)。

勿論、近代以降昭和初期までこの子供時代の制度的抑圧ってのは時代の『共同幻想』へ適応させる合理性と結合しており(戦前なら軍国少年とかね)、高度経済成長時代までは「女子は短大で一般職のお茶汲みとなりハードなサラリーマンのお相手」「男子は高卒就職か、四大出てハードなサラリーマンに(年功序列でお茶汲みの女子も嫁としてあてがわれる)」などもありました。
●ある意味時代の社会にとって都合のいい『共同幻想』社会適応人格に育てあげることを想定したもので、同時にそれは全体の利益にもなる合理的選択でした(内容を決めるのは権力サイドなワケですが)。
※時代背景を無視して「思春期反抗期において一足飛びに『単独者』を志向する個人」は(貴族階級や戦国武将などを例外に)なかなか多数とは言い難い。ざっくり『単独者』選択の台頭は先進国以降・高学歴社会の話と考えるのが自然。
(この辺の話は『単独者』論的にこれまで書いてきたので以降説明省略)

結果的にメンタル問題の発現に子供時代の『共同幻想』や『反抗期』の不全が関係する以上、
人格傾向として高い確率でメンタル問題を発現する自我の周辺に依存性や従属性問題がくっついてくるケースが含まれると考えられます。
ですから『被(こうむる)』のように「それと見てわかる従属的傾向」も顕著となる。
 ↓↑
●メンタル問題を発現している時には「表面的に『共同幻想』適応人格をマトモで立派な人」だと(無意識に)漠然と認識しているケースが大変多く、
何気に近親者や知人友人などにもそれ系の人が多い場合も珍しくありません。
(『被(こうむる)』スタンスが構造論的に)いかにも『共同幻想』っぽい人をスカウティングしているケースも多く見られる傾向です(そりゃそのタイプの人を”いい人認定”する傾向があるのだからそれも自然な話)。
※この現象が「他人の視線が異常に気になる」形で認識される場合もあります(バックグラウンドの構造は同じ)。

故に、メンタル問題を発現している自我ほど、
「世論動向や、現実社会の認知と”全くかけ離れた”『共同幻想』こそ正しくて立派なことだ」みたいなですね、
(この辺の現代社会実DATAは末尾リンクを参照)
 ↓
個人的には、イジメ問題などに強烈に憤るってのに(イジメなんてのは『共同幻想』社会しかやらないしできない)、場面が変われば途端に「『共同幻想』適応している人達はすごく立派で幸せそうな人達だ」って熱烈に語ったりします。
(構造論的に、それに比べて私はどうだろうみたいなルサンチマンで興奮するからなんですが。)
この辺の説明は直近のシリーズで書いているので以下を参照
社会適応論(3)
http://kagewari.seesaa.net/article/434791814.html


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posted by kagewari at 00:46 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

大雑把な「依存性の問題」(3)

前回からの続き
■消極的共依存における別の意味の心理的リスク
いったいどんな世界なのか実体験が不可能なのでよくわからないものに「ママ友社会」ってのがありますが、偶然中央線車両内で「極ママ友軍団」に遭遇したことがありまして、
「なるほどこれが噂のママ友か」と驚いた事があります。


その時、始発車両に乗り込んできたご婦人方の様子は「明らかに自分達だけの強烈な結界(こっち見みんな)を発現」しておりまして(笑
傍から見ると「昭和に絶滅した暴走族レディース軍団の方ですか?」としか思えない状況。
(軍団で何やら「SNSのなんとか」をやっているらしく全員スマホを手に)
「共有できた?画像見えた?」
「すごーいすごーい可愛い!!」
「えーみんなできちゃったの。アンドロイドの私だけダメとかどうしてーー!アイフォンじゃないとダメとかですかー!」

えーっと、、どう解説したらいいものかアレですが…。
前の席のド真ん中に座っていた私は(いえ私を含めて周囲のサラリーマン達の雰囲気も)、可能であれば数メートル後方に下がりたい心境になっており、
そのクソ画像がなんなのかはともかく、、
明らかにアンドロイドな主婦などはその集団心理の中「関係し付き合いを盛り上げる事が人生の目標か」な状態で、もうそこだけ異空間・亜空間かって凄まじいものでした。
唐突に目の前で赤テント劇団が何か寸劇パフォーマンスおっぱじめたかのようなですな、、えー、私頭か抱えてしまったワケですが、
(みなさんも似た雰囲気を通学路沿線などで搭乗してくる「中学・高校の友人達『共同幻想』の小世界の絵」で時々経験されていると思います。アレのすっごい感じの風景だと想像してください。)

確かにですね、昭和『共同幻想』ですとか、ローカル『共同幻想』においてそういった世界が合理的に存在したり・していた時代がありました。
それが唐突に(時に変人も多くB型文系路線などとも言われる)東京の中央線に登場したもので余計に驚いたってのもあります(三鷹のジブリ帰りだったのでしょうか)。
えーこの姿ってのもは、『共同幻想』の問題ってよりですね、
社内の空気的に「いい歳こいたカタギさんの大人が」群れてそれはないだろうって、、
周囲がドン引きしとんの見えないのか的な話です。

勿論私は彼女達を批判したり揶揄しようって思惑はまったく無く、
「これ当事者だんだけ大変なことになってるのか」←関心はそっちにありました。
私も若い頃のフリーター時代に随分濃密に昭和の奥さん『共同幻想』と付き合いありましたから、所謂「ご婦人方の社会」はむしろ慣れている方なのですが、それとは全く異質なものです。
このような状況が出現した一義的な原因は「世代間の断絶」でしょう。
まずここは『共同幻想』ありきで考えてみましょうか。
(直接的な問題点は事の是非より”その質的部分”です)
端的に言えば姑の指揮命令系統が存在していないって事です(どうしていいのかわからない末端組織が暴走している図のような)。
 ↑↓
どういうことかわからない人もいるかもなので解説しますが、
彼女達の姿が(勿論そんなつもりは無いのに)無意識にレディース軍団みたいなことになってしまう理由は「依存性」です。
この場合消極的依存が主力だろうと思うので、その反語は「主体性」となります。
(この段階で個々人の判断でブレーキ踏む事もできないことがわかります。)
育児やら家庭の運営やら様々な部分を自分で決められない、考えられない依存系の奥様の場合(勿論昭和までそれは全く問題では無かったので→その消極的依存性は通常の『共同幻想』適応系人格の傾向で昔は「順応性」なんて呼ばれ評価されもしました)、権威上位者からの「こうすべきだ」「こうしなさい」などの指導を受ける従属(従順)的関係により所謂『共同幻想』における常識論(共有すべき状態)を確認し自己に導入します。

ところが、昭和末期からこの嫁姑の関係性は事実上崩壊しました。

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posted by kagewari at 20:15 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

大雑把な「依存性の問題」(2)

>これは自傷や自殺騒動関連に現象として関係する場合もある。←こういう現象の影には”お前もなー”の「共依存関係の(友人や恋人や家人を名乗る)共謀者有り」だったりするもんです。

■「共依存関係を考える」
厳密な概念は”ありません”。
そのつもりなく依存性ネタに巻かれて(ミイラ取りがの図式で)”共依存の禍”みたいな状態になってしまう場合もあれば、そもそも関係の動機が最初から共依存な場合もあるでしょう。
いずれにしても「”なんとかじゃないと大変”」みたいにブチ挙げられたテーマに対して相互補完で(現実から乖離している筈のお題を)追認し、あたかもそれが現実であるかのような演出に手を貸してしまう共犯関係・凶暴関係の図を指すものです。
(そしてそんな強迫系幻想世界から抜け出せなくなってしまう。)

「これこれなになにで大変。もう耐えられない。」
「本当に大変ね、どうしたらいいのだろう。」
 ↑
このような関係を継続・反復してしまう二人以上の図です。
(共依存ではありませんが、リアクション的に切れて「うるさい、もう知らない」と激高してしまっても”弱共依存”となります。この場合「やっぱり誰にもわかってもらえない」などの『被(こうむる)』心理が大いに盛り上がるため。)

■ここ、本来は「大変だ」ってお題が既に現実から乖離していたり、エスカレートしている状態なので、「馬鹿か俺(君は)」で水かけないといかんところですから、
「は、そんなワケ無いでしょう(ま〜説明を聞きたまえ)」であるとか、
「見当違いも甚だしい(経済統計はそんな事になってませんよ)」であるとか、
「何をちんぷんかんぷんな話をしてんですか(代わりに意味の通じる話に翻訳してみるとですね)」のような返しをしなければ”現実に着陸できない”場面です。
(そりゃ勿論このような対処をすると「強迫心理は大変面白くなくお怒りで」別の意味で大変な事にもなるのですが、「それだけ意気軒昂に反論できるんだから元気一杯じゃないですか」な話にもなるのでありまして。少なくとも当該ネタによる鬱ブーストみたいな仕掛けをストップできるってところが鍵。)

そこをですね、そのまんま受けて「そうなの、大変なのね」と返しちゃうのは「火に油をそそぐ行為」です(『共同幻想』の”だよね〜追従技”がこの目的に利用される場合もある)。
『強迫的幻想禍』のような演目が轟々とおっぱじまってしまいます。

■■■<ここで実にやっかいな消極的共依存を説明しておきます>■■■
ある意味「最強に無責任な関与」の話なのですが、
時に福祉関係なぞを職業として選択しようってな自我は、潜在的に「”漠然と”人の役にたちたい」だとか「人に感謝される仕事に就きたい」などの困った動機を持っている人が少なくありません。
ざっくり言えばヒューマニストへの羨望というか、志向。
(マジに哲学などやっている方には「それはヒューマニストじゃネーよ、思い切りナルチシズムだろうが」などのご意見あると思いますが、、、言葉は怖いもんで、十分前述の流れで当人はそれをヒューマニズムみたいに考えるのであります。)

するって〜と、この職員や関係者の方ってのは非常に高い確率で、
「本当に大変、辛いわね」みたいな『共同幻想』ご自慢の”そうだね・だよね〜追従技”を連発します。
 ↑
俯瞰で見れば誰にでもわかる事ですが、この行為ってのは、
冤罪の可能性もある事件があった時、(現行犯逮捕では無い)容疑者逮捕のTV報道を見て、速攻「あら〜この人が悪いのね〜」だとかやっちゃうアレと同じです。
「実は全っく話を聞いてない時の典型的な対応」なんですよ。
(「本当に大変、辛いわね」なんて言葉を反射的に使う人はほぼ100%「何がどう大変で、結果どのように辛いのか」などさっぱりわかっていないしマトモに考えてもいない。限りなく無意識的な対応だったりする。)

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posted by kagewari at 03:50 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月17日

大雑把な「依存性の問題」(1)

前回の話を引き継ぐ形で、
依存性の問題と言えば「それが退行化のフラグだから」に尽きます。
分離不安的な部分もありや無しやでもありますが、事細かに分類する必要も無いでしょう。ここではひとからげに『依存性』というくくりで説明していきます。

『依存性』とは、自我スタンスでは無くってもう外形的事実として『被(こうむる)』を人間関係として表現してしまう(無理筋の既成事実化)というやっかいなもので、図式的にそのまんま幼児期の自我を呼び出し現在の大人の自我を上書きしちまおうって動きを指します。
『依存性』を言い換えれば「従属的人間関係」である事に間違いありませんから。
似た言葉に「依存症」ってありますが(薬物やアルコール中毒に典型的な)これは退行の一歩手前「強迫心理的自我状態の保守継続が狙い」みたいな若干の違いがあります。

メンタル問題あった時の初動で最も大事なことは「ひとり暮らしのすすめ」ですが、
それが「わかりやすい対抗策」であるのがご理解いただけるかと、
(そっちかその気ならこっちも外形的事実でバランスを計るみたいな)
実際欧米諸国や帝王学的な戦国武将などの成人過程というか、反抗期を大規模に促す手法の基本も「とっとの個室を与える、ひとり暮らしを促す、親元で同居させない」ですわね(帝国時代の天皇家もそうなってます)。
それを制度的に運用しちゃうとまたそれはそれで形骸化してしまうと思いますが、
手法として「ひとりぐらし」が王道なのは事実(西友じゃないけど「きほんのき的」に)。

ぶっちゃけメンタル問題などを発現した時に、始末にをえないのは「周囲の家人」に他なりません。
わかりやすくするために極論すれば「百害あって一利無しの人達」です(そもそも『共同幻想』適応局面でメンタル問題派生させた管理責任者の方々なので「おいおいどの面下げて出てきてんの」な話、まず自分達の事をどう省みているのかその前に話せって)。
ですから、先進国病でもあるメンタル問題は『社会福祉』の関与がとても重要になります。
無職で食えないとなれば、えー説明の必要ありませんわね(笑
(てかね、北欧辺りじゃ世帯の所得に関係無く高校進学レベルから国が家賃補助とかを学生個人に対して行うなど、平時でもそんぐらいあってもいいワケでさ。)

「家人や地縁者と絶縁しなければならない」って話じゃありません。
(何らかの行事なりがある時にはご自由にどうぞです。意図的に関係悪化させる必要も無い。)
メンタル問題は先進国病なワケですよ、
そして先進国って何?→急速にプライバシー保護が叫ばれる時代の到来です(『単独者』としての権利保護)。
個人の利益としてプライバシーの確保と保護はもっとも高い価値がある社会の変遷ですから、ある意味時代のパイオニアでもあるメンタル問題などの諸事例自我は、オンザレールな社会適応自我タイプよりプライバシーの保護が重要になるって、単純な構造論でもあります(逆行するとそのまま「退行フラグ」となるのは自明)。

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タグ:共依存
posted by kagewari at 21:22 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

社会適応論(3)

前回の続き
>●それはともかく、メンタル問題だとか総じて神経症などと言われる様々な症例について、『共同幻想』との関係について典型的な悪循環パターンが存在する

ここ最後のとろでぐるーっと初回の「反抗期の説明」にも被ってくる話で、そこまで読むと「構造」って部分もつかみやすいと思う。

さて典型的な悪循環のパターンは、
強迫的に(悪く言えば「考えもなしに」)社会適応を模索したり、社会適応をしなければと自分を追い込んでいたりな水準だと「どこにでもよくある強迫心理」に過ぎないのだけれど、
コンプレックスの対比で(コンプレックス的には自分を不当に卑下しているものだから)、社会適応している他者を「過剰に持ち上げている人」ってのがかなり多いんです。
上記説明のまんま、一種の経済原則的な自我バランスとして(コンプレックス的に自分を卑下すると)自動的にそれ以外の(メンタル問題の場合その組成から権威性認知サイドが対象となるので)『共同幻想』社会適応者を過剰に持ち上げる事になる。
しつこく繰り返すけども「コンプレックス的に自分を卑下すると自動的にそうなる」
逆さまに言えば「コンプレックス的に自分を卑下するとは=社会適応系人物を過剰に賛美するのと同じことである」
 ↑
まさか、この説明わからない人いないと思いますが、念を押して補足すると、
「イタリアのデザインを引き合いに出して、日本のデザインを(コンプレックスでもあるのか)過剰に貶めるような話を興奮ぎみに話す人は、自分の話の建て前上イタリアデザインを過剰に持ち上げないと(そもそも自分を貶めているところからして現実から乖離した過剰な認知なので)話の辻褄が合わなくなる」←こういうこと。
自分を批判する方便の合理性を(既にここで興奮しているから)証明するために、引き合いに出す事例は「お手本」として自動的に認知されるワケ(乃至そう思ってしまう気持ちから逃れられない)。

でー困った事に、
自分で自分の言葉にのまれるワケですよ。
すっごく『共同幻想』適応人格を賛美(=相対自分を卑下)するものだから、あたかも「アイドルグループの追っかけ」のように、好き好んで『共同幻想』適応的行き方を(その”普通幻想”への憧れから)追い求めるとかに転じ、転じたはいいがその筋立ては必ず百発百中で「そして自分を卑下するのだった」となる。
 ↑
流石に最後のところイマイチわからない人いると思うので補足しますが、
精神分析などで自分に関するコンプレックスが解決していないのだから、その人物の目には『共同幻想』適応人格な人が(アイドルをファンが過剰視するように)随分とまたすばらしく幸せそうなお手本に見えてしまいます(そんな人物『共同幻想』適応人格には滅多にないってのに)、

自分で自分のハードル上げてますから非常に高い確率でその社会に自らフラフラ近づいてもうまく行く筈がありません(そもそも想定しているすばらしい人生実現している奴なんていないんだし)、←んで、この姿は勝手にお手本扱いされている『共同幻想』適応人格な人の目に「自己愛過剰でありもしない現実見ている人」でしかありませんから、初歩的人間関係もうまくいきません。

いきませんってかその手法は『共同幻想』社会の掟的に最も嫌煙忌避されるパターンの振る舞いです。
そして、ひじょ〜うに高い確率で人間関係悪化後、
「(まんまと)自分を本格的に卑下する確信を得て(喜ばしいことに)不快な興奮全開(快感原則的には脳がエクスタシー状態)」
あるいは、
「自分はどこに行っても被害者である、ルサンチマン状態に転じ→突然周囲全体や特定個人を”悪の権化”のように批判蔑視する(被害感情で脳がエクスタシー状態)」
バリバリの悪循環って奴です。

(※「快不快原則」→脳内物質的に興奮が脳にとっての快感である。ジェットコースターのように現象として総和的にそれが脳にとって快感であっても、自我にとって快となったり不快となったりバラつく。→それが快か不快かは自己都合であって、脳にとっては興奮は全て快感分類である。)

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posted by kagewari at 22:05 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月04日

社会適応論(2)

■何気にオンザレールで社会適応しちゃっている自我タイプな人とはなんぞや
殊更哲学的な話をしようとは思いませんが、
自然界における木々でも(風通しがいいものだから)どこからも雨風にさらされる一本の樹木もあれば、森として群生し自らがその環境の一部を形成し成長のバラつき幅の少ない樹木もあります。
なんぼ地球環境変動で森林のステップ化が今後の方向性だとしても全ての森林が(このたとえだといつかはそうなるとしても)今そうなるのでも無いし、唐突に全ての森林は滅びるべき論おっぱじめるのもイカレタ話です。
「確かにそっちの方向性である」というのは事実でも(漫画版のナウシカじゃないけれど)勿論森林は森林で現実に『抗(あらがう)』ってスタンスが自然(保守本流)なんですからね(実存スイッチがそっち方面にアクティブになる)。

かといって、環境変化による森林のステップ化により「平原と個別の樹木」って生存状況が自明になっているこの時に「あれま周囲が平原だぞ」と語る樹木に対して、『森林教団』じゃないけれど「おかしい君も森林に参加する努力をするべきだ、そうであってこと木であって、平原に一本とか間違っているし、それは逃げだと思う」なんてトンチンカンな演説されてもですね…。
「失礼ですがジュラ期の松さんですか?」
世代間ギャップのような(現実との乖離では無いが現実認知の乖離であるのは事実)、それはそれはみごとな「すれ違い様」になります。

『森林教団』の彼らの視界に入っているのは常に一面の森林なものだから、「世は森林、俗に言う森林、木の一生は森とともにあり、森に神木ありそは無限の存在なり」みたいな認知に至っていても(俯瞰で言うと前述たとえの環境から見ればあだ花的例外に過ぎないのだけれど)当人にとっちゃ至極真面目にそのまんま永劫回帰しかねない勢いなわけで、
この人物を強引に引っ張ってきて「これからの時代は平原に一本の木だ、そんな新興宗教みたいな考えは改めるべきだ」みたいな話をふっかけるのもおかしな話でしょ。
喧嘩売りたいとなから別だけどさ、
木の好き好きなんだからさ(この世には滅びの美学だってありますわね)。

しかしですね、
様々な経緯から「森林から一度出た木」はですね、そもその状態となる物理的背景が「なんと周囲は大平原じゃないか!」に気が付くなんとやらがあったからなので、
認識としては「おいおい何か違っているぞ(平原に一本生きるにしても、森に還る手段を考えるにしても)」から始まっていかなけりゃいけない。
人間のパフォーマンスなんて人間を超える事無いので、そういう環境変化がもう過半数超えちゃう勢いで進行中だから「3割もの樹木があれれと気がつく」のです。
●「木のアウトサイダー」浮動票が普通に台頭している=『森林教団』組織票は既に過半数割れしているってことですからね。

そういう意味では、『森林教団』の方々は”彼ら”の生息環境からそう思えないだけ(現実認識にギャップはあっても間違っているのでは無い)。
加えて、彼らの神秘的な幻想世界の物語にしても「森が途絶えるなど考えるものには神罰が下る」なんて話がくっついており、その保守制御システムが認識の均一性(=兌換性=共有性)を保持させてもいる(チラッと平原が視界に入っても「左翼には騙されんぞ」みたいな認知に留まる)。

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posted by kagewari at 20:37 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

社会適応論(1)

さて、まずは広義の話からいきます。広義っても”かなり広義”です。
どこやらで書いてきたと思うけれどメンタル問題だとか総じて神経症などと言われる様々な症例は「社会的説明としては病気」ですが、心理学的には病気ではありません。
ここは「病気の概念とはなんぞや」ってところの話になりますが、
骨折しても病院行きますが、骨折は(骨の折れる機能障害あっても)病気じゃありません。
ガンもある意味老齢化過程で起きれば自然現象ですが(いつかは人は必ず死ぬので)、それを病気として疑う人はいないでしょう。

「その問題の改善に医師免許所有者の介在が無ければどうにもならない」となれば『病院案件』となり、そんな枠組みの中で病気という言葉が用いられていますが、
所謂成人病における生活改善なんとかは「病気の治療なのか」と言われると、むしろリハビリ過程と呼ぶほうが適当でしょう。

メンタル問題だとか総じて神経症などと言われる様々な症例は、少なくともそれを専門とする何らかの介在無しに”なかなか解決しない”症例ですから(尚且つ解決することが約束されてもいない)、他人に説明する時には社会一般側には心理学的知見など無いので「そういう病気です」で説明するべきですが、当人が安易に病気って言葉をベタで使うと問題になる場合があります。
強迫心理にだって自己保存なんとかはありますから(防衛)、当人が無意識に「絶対に解決しない難病だ」的世界のイメージで、第三者の介在を否定する都合のいい理由に使われる場合があるからです。
(むしろメンタル問題はそのリハビリ過程に時間かかるものなので尚更です。←その工程を自分で批判し遠ざけるとかなるとやっかいな話になる。)
心理学的に「どうしてそうなるのか」そして「解決のプロセス」はわかっている事ですからね。

さて、リハビリってものを考えるとなれば「どこを目標にするのか」の論議があります。
「プロ野球選手として完全復活するまで」
「普通に歩けるようになりたい」
行き先は個人個人様々です。
どこを目指すのかってそれこそプライバシーだし、
仮にプロ野球選手のリハビリにしても、
「肩が壊れるほどの剛速球は最初から間違っていたのか」なんてアイデアがあれば、リハビリ後に目指す姿は全く別の技巧派になる場合だってあります。

つーか、メンタル問題だとか総じて神経症などと言われる様々な症例は、自我に関わる問題なので「リハビリのその後」は「回復では”ありません”」。それ以前からして潜在的な問題あったのですから、リハビリ後は「それ以前と別の選択」となってなけりゃプロセスとして矛盾します。
イメージとしては「子供時代からの靴選びがある理由で妙なことになっていて、外反母趾になっていた。」←みたいな話ですから、リハビリ回復後の目標が→「あの外反母趾になるような靴をまた履けること」になっていたら無理があり過ぎというか、話にならんですよね。

※注:上記の話ってのは仮にその外反母趾が先天性であっても以降の話は同じ事になるので、”その外反母趾”が後天性なのか先天性なのかを巡ってなんとやらしてもおおよそ意味が無いところにポイントがある。後天的事情で道に迷うようになっても、先天的方向音痴でも解決を意図するリハビリ過程は同じですから(あらゆる疾病において前提となる生物の自己回復・自己治癒機能は共通であるため)。
 ↓↑
少なくとも発症原因を先天性であると過剰に傾斜してしまうと、症状が慢性化している背景に”現在進行系の問題が介在する可能性”を見落としてしまうため”危険”である。見立てとしてそれは”後天的にも起こり得る”というフラグを優勢に立てておく方がむしろ安全だと言える。
(解決が容易だと言っているのでも無い。また当人がその症状を問題視しない場合『歩留り論』的にそれを個性と判断する可能性も否定しない。)

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posted by kagewari at 18:32 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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