メンタル問題における「自我スタンスが『被(こうむる)』状態に陥る」って図式は、幾度と無くどころかいたるところで解説してきました。
(※この用語は独自に説明の利便性から使っているものですが岸田心理学において『共同幻想論』全般の中で”認識が共有されない場合”の解説として示唆されているものですが、某心理学のアダルトなんちゃとか甘えのナントカなどとも似た着想の説明上の”略号”です。)
前回の『深刻さ設定』認知シリーズの補完です。
■「『被(こうむる)』か『抗(あらがう)』か」
各所解説にあるように、この略号の中身って言うと、
『被(こうむる)』=パッシブ・リアクション・受身・被害認知・依存性
『抗(あらがう)』=アクティブ・主体的行動選択・攻撃的・能動認知・独立性
などなど、
基本中の基本があやふやな方もいるかと思うので「主に『被(こうむる)』心理」の説明を主眼にちょっと掘り下げておきましょう。
(『共同幻想論』まで話が及ぶとえらい大変な事になるので、ここでは簡略な説明に留めます。『共同幻想論』は過去エントリー各所でかなり突っ込んだ解説やっているのでそれらを参照の事。)
■前述の各言語に関連付けられる概念を更に補足するところからいきましょう。
▼『被(こうむる)』=認知速度として被害認知が先行する
△『抗(あらがう)』=認知速度として外的事実認定を優先する
時に臨床系が「被害妄想」なんて言葉でまとめちゃう場合もあるので、アレなんですが、妄想も何もそういう認知は「誰にでも」あります。
そんな「誰にでもある」認知が何故問題化するのかって話です(それだけなら過度でもせいぜいが『視野狭窄』)。
彼らの言うところの「被害妄想状態」ってのは、被害認知速度関連の状況において「認知のエスカレート・現実との乖離」が甚だしく進行した状態と考えればよい。
『認知速度』ってのはですね、
たとえば「眩しいのが苦手な人」が屋外に出た時に(今日のお天気は眩しいだろうかに強い関心事項があるので)「いやあ今日も眩しいぞ」なんて言ってる間に足元の犬のウンコを踏んじゃったみたいな話で、既にちょっとした『視野狭窄』になってますよね。
或いは「色的に青に強い反応ある人」が、アパレルショップで「あまりにもお気に入りの青があった」と喜んで(本来購入目的ジャンルの衣類を失念し)、帽子を衝動買いしてしまったみたいな話でもあります。
更に「肉に目の無い人」が、昼飯時に(昨日の飲み会で胃もたれしているってのに)うっかり「カツどん頂戴」と言ってしまう瞬間の認知現象でもあります。
はたまた、「趣味はバードウォッチングだ」な人が、都会生活通勤時に通常誰もみつけられない小鳥を次から次へと発見し「あ〜もうナントカ鳥の渡りの季節なんだな」と同僚誰一人理解できないワビサビを味わっている様も同じであります。
↑↓
勿論のこと「やれ頭がおかしい」みたいな話と”まったく関係無く”ありません。ましてや「被害妄想」などの妄想話でも無い(認知症の「お財布盗まれた事件」も結果論であってそういう”妄想”が固有に存在するのでは無いと考えます)。
→続きを読む