昔の記事にどこかで書いてますが、
経済において「お金が増える仕組み」にあるとおりで(金融機関を通じて派生する信用創造などで無い筈の金がある事になるとかを経て”回れば回るほど”どんどん市場のマネーが額面として増加する←融資を受ける企業も翌月一括で返済などしないのでこの辺のタイムラグ込みで100万円が1000万円になったりする仕組み)、富が増えるプロセスってものは「極論すると労働や生産とは無関係である」。
(重要なポイントは生産性の向上は「ほら話の辻褄あわせ」に必要なものなんだわ。)
投資の合理性ってのも、本来的には「生産性が増し大量生産などが可能となり」などなど需要と供給がタイムラグを経てバランスしトータルで生産量が増えるところがポイントで「勤勉さやハードワークが道徳的に奨励されご褒美で経済成長が起きるみたいな御とぎ話」にるなろうものならはっきり言って経済学にとって迷惑な話(週休二日制の普及などの方が合理性を高めるのだから)。←そこはインセンティブで担保される話になってないと合理性失うから。
なんだか「楽して儲ける与太話」のように聞こえるかも知れないが、
経済学の大前提として、この学問は山師的な要素や心理的錯覚を取り扱い専門にしているのもので、WW2のトリガー(世界大恐慌)となった米国市場の大暴落だって、信用取引(購入した株をまた担保にして手持ち資金以上の投資を行い倍々ゲームで投資額を倍増すること)をバックグラウンドにしており、同時に資本主義で信用取引に制限設けるなんてナンセンスである。
投資なんて言葉を使っているが、背景に博打要素(経済ではリスクと呼びますが)の無い投資などあり得ない(←かといってキャピタルゲインが本質だみたいな事は言ってませんよ)。
西欧諸国などにおいてもその『共同幻想』の殿堂である宗教的倫理観を宗教革命により世俗化できたから、資本主義・自由経済があり得たのであって、原理主義的道徳観が本質的に経済の足を引っ張る要因だってのはガチですから。
当時笑い話にもなったが、ライブドア事件の時の経済界が「汗水流さず物作りがなんとかこうとか」みたいな腰抜かすような道徳論をツラツラ発言した無知蒙昧な方いらっしゃいますが、お宅のメインバンク含めて金融界の仕事をご存知ないのかと、、。
資本主義を批判した、マルクスの共産主義だって背景に労働者革命的な理想論や倫理観はあるにせよ(案外ここ重要なんだけどね)着想としては「資本主義のリスク管理が市場経済だけで合理化・最適化されるなんて幻想だ早晩過剰在庫で破綻する」ってな話で、名目上は「過剰在庫がノーリスクな経済の拡大が可能なのだから計画経済のが正しい」てな話(ま、結局そんな理想論の方がよっぽど根拠の無いリスクだったのだが)。
この共産主義が心理学的に「事実上宗教改革を経て世俗化を受け入れた資本主義に対する、キリスト教的反動的批判である」と分析されてしまう根拠は、なんだかんだと彼らの資本主義への批判は宗教教的道徳や倫理観に始まるものであって見方を変えれば「世俗主義への原理主義的批判」に他ならなかったからだ。
(あたかも人間主義的に労働者なる階級を聖人視したとも受け取れる。←これじゃ宗教的『共同幻想』手法と何ら違いがない。)
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