貨幣経済や市場経済は何のためにあるのか?
(その合理的根拠は何か。)
これが経済学になるのかちょっと微妙ではあるのですが、
ままよで、話を進めましょう。
経済学の目標はGDPの上昇など生産増と流通が循環的に成功することです。
ぶっちゃけ「増産されそれが需要者の手に渡る速度や流通量の拡大などがスムーズに成立する方法論」のようなもので、
貨幣もですね、手段であって目的ではありません。
インセンティブってのもそうです(結果を導く手段であって目的では無い)。
どういうことかっていうと、
・誰かが芋の生産に新発見をしたとする
少々手間がかかるが、その方法なら芋を倍生産できる。
この時、倍に生産した芋を流通させた時、収益が上昇するインセンティブが成立しなければ「しょうしょうの手間」は単なる赤字になるので、彼は生産性の上昇分を労働時間の短縮に振り向けるだろう。
これを解決する方法が”市場”であり、市場の合理性により過剰生産も抑えられます。
(アンチ共産主義的に言えば民主的・自由経済主義が間接的計画性を発揮する仕組みが市場。)
みたいな話です。
芋の生産を全国的に倍にするには、倍売る事で利益が出るというインセンティブをつければ(過去と労働時間は同じだが)、彼は(少々の手間分を除く)倍近くの生産を行い、その国では芋の生産額が倍になる。
つーワケです。
書籍で言えば、著作権であり印税所得などに部数を多く生産するインセンティブがあります。
さて、しかし、
web小説などを無料で公開している市井のセミプロ作家さんは多数いらっしゃって、
この部数は”フリーエコノミー経済”の中で、部数を伸ばしています。殊更ビジネスモデルとして貨幣によるインセンティブの設定が無いのにです。
言語道断な話になっちゃいますが、違法動画などで流通してしまうweb上の動画は、作品の根源的目標を(広い流通と拡散)インセンティブ抜きで発生させるのであり、確かにこの結果に萎えた作家さんが製作活動を停止してしまってはアレなんですけど、経済学的には「できちゃんだね」って話なんですよ。
元からが、上記のようにフリーエコノミーにはインセンティブなどの貨幣経済の論理を無視して目標を達成してしまうパフォーマンスがあるので、インターネットにおいて流通している著作活動などを課金しビジネスベースに乗せようとすると「ほとんどが失敗する」のも不思議な話じゃありません。
ぶっちゃけ金銭的インセンティブが無くても回るのがフリーエコノミーの特徴だからです。
事実、市場経済においても「米国の某企業の偉いさんの給料が何百億だ」なんて話が時々ありますが、もうナンセンスですよね。人間が一生かかって使い切れない金額とかになればもうインセンティブとしての意味も無くなります。
インセンティブの利得は、先進国になればなるほど効果として減衰しちゃうワケです。
(※いやいやそんな話と関係無く、米国では旺盛な出世意欲があるではないかって声あると思いますが、米国の先進国化には重要な宗教系『共同幻想』が関係しているので、米国内でも『単独者』系層においては「インセンティブの減衰現象」と「フリーエコノミー的なものへの需要」が発生しています。)
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