2015年07月30日

偏向が末期的様相を呈しているマスメディア

どう呼べばいいのかと考えてみる。
「あたかもこの世に”左翼的平和主義”なる抽象概念があるかのような幻想に”乗っかって”(多分)その潜在意識は、自らの既得権崩壊の不安から逃れられる感覚をあたかも正当性感覚と認知している。」
かなりの部分は、無意識に”左翼的平和主義”を快不快原則で選択している。
という事なんだろうと思います。
(その主張をしていれば不安から逃れられるため、きっとそれは正当な事だと思っている。)
勿論その一部には意図的扇動目的者もいるだろうけれども、そのスケールは所謂ナントカ陰謀論程度の分布だろうと思うワケです。

■事実そっち方面に世論が大きく動く事は無く(反対政党の支持率がドーンと上がったりしていない)、どちらかと言えば「何の話で大騒ぎしているのかよくわからない」というのが実際のところなんでしょう。
結果として(中国関連の説明ガがどうしてもタブーであるため)「何をやっとんの?」世論は、マスコミの無意識な”左翼的平和主義を連呼するドクトリン”みたいな動きを容認してしまっている。
(ご他聞にもれず、この容認状況をマスコミは視聴率の読み違い同様に「自分たちは上位階層で賢いからだ」ぐらいに思っているんだろうと思います。)
この辺の話ってのはWWU以前の米国モンロー主義とたいした違いはありません。

■本来これらの動きこそ危険で、日本がWWUに突っ込んでいった理由でもあるのに、です。
どうしてもこうしてもだね、
「まったく理詰めで考えたものでは無く、そう主張しているとなんか気分がいいから」という快不快原則によっているのであれば、日本が偶発的な侵略行為を受けるなどした場合に急速に不安になり「何をしてるんだ」と反動化するからです。
マスメディアの手のひら返しは(田中角栄でありライブドアであり)これまたみなさんご存知のとおり。
しかも、その大マスコミが(そのスケールそのものが誘導扇動機関とも呼ぶべき独占性の高い危険な存在)そこで手のひらを返したら?
(今現在が理詰めじゃないんだから。)
米国のモンロー主義が「リメンバーパールハーバー」でひっくり返ったように、
日本において決起する青年将校を英雄視してしまったように、
「快不快原則で動いている=いつでも主張は180度変わる」つー事ですから。

実際の話「左翼的平和主義」をイメージできても、
その中身を考えているかって、、到底考えていると思えない。
あたかもどこかの新興宗教信者が「この本に教えがあります」と説くように、
「この憲法に(俗称も平和憲法だし)平和主義ガ語られているわけですが」てな事になっているのであり、どこにも「憲法9条は平和主義なのか?」なる主体的思考が語られた事が無いのです。
根拠がさ「そういう評判でみなさんご存知ですよね」だけであると、、。
■右派と左派で話かみ合わないもなにもですね、、
「左翼的平和主義」を語る人の前提が「これが平和憲法だから」になってちゃっているんですよ。
本来、そこは「何故にその条文に平和の実現性が保障されているのか」の証明が無くちゃいけないのですが、肝心要の根拠が空っぽなんですよ。
著作者である米国に真意を聞けば「いやいや、日本こそこの時存在そのものが悪の枢軸だったのだから、日本の武装解除と再武装の禁止=世界の平和って事でしょ」なノリですよそりゃ。
更に風呂敷広げると、
「悪の枢軸の日本に武装放棄させれば、他はまーまー話の通じる同じ連合国なので、世界は平和になるって事で」という趣旨である。
話の大前提がですな、、、日本以外の諸国間で武力紛争も無ければ米国のパワーバランスが失われる心配も無いって話であって、
著作者米国から見れば「日本が武装放棄するから世界が平和になる憲法」なのであって、
この前提が早晩超戦争や米ロ対立で壊れまして、
「日本が武装放棄しているので、世界が戦争状態になり兼ねない憲法」になっちゃったので、
著作者の意思で、「警察予備隊(後の自衛隊)」「日米安保条約」が締結されていくワケであります。
既に著作者は「それはもう(朝鮮戦争の時から)平和憲法では無いんだけれど、日本はその憲法を何故平和憲法と呼ぶの?ひょっとすると(後から失敗したなと思っている)米国への嫌がらせなのかな?」って事でしょ。
「日本は意地でも米兵に生命を守ってもらう。その権利がある。と言いたいのだろうか?(吉田茂も米兵を番犬と呼んでたし)」

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posted by kagewari at 18:36 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月26日

「総じてメンタル問題なるものの誤解」

この件に関しては完全に臨床系や医療系と見解異なるのですが、
文系心理学から言わせていただくと(公的には病気申請でOKですが)メンタル問題は病気ではありません。←労災申請や障害者申請が誤りだという意味ではありませんよ。
心理的な誤解を招くので、(言語学的に)病気病気言わない方が合理的だという見解です。
時に、高齢者の痴呆症ですらメンタルケアの介在で症状の改善が見られる場合もあるんですから、
概念として病気とは何かって部分にも関係しますが、
「逆さまに考えてみましょう」
心理学的分析であるとか論理サイドからのアプローチの有効性(レスポンス)が高ければ「現在症状として何がどうなっているのかそれはさておき」心理学系に出番のある「メンタル問題だ」と言えるのであり、それこそ臨床系であるとか医療系の「対処療法的有用性の検証」と同じでしょう。
(彼らの場合原因の理解がさっぱりなままでも「それでも可」で押している水準です。)

心理学的アプローチに有用性が確認されるのですから、
「心理学はそれを固定的だと考えない」
同時に個別具体論として何か能力的にどうこうを論じない(なんちゃらセミナーじゃありませんから)。殊更文系心理学となれば事実上哲学的な要素をどこかしか内包してますから、そこで合理性が担保されているのか否かがクリアであれば(そもそも人類ヒト科としての日常生活が営めれば能力的問題はどこにも無いのであり)、個別具体論や能力的にどうこうなどは無関係ですから。
(少なくとも心理学は『共同幻想』に対して批判的乃至中立的であることが条件としてマストでしょう。)
 ↑
どうにもここを誤解される方もいるので突っ込んで説明しておきますけれど、
■「所謂『共同幻想』社会適応する状態を標準とする」なんて事を心理学がやったら「もう思想的な洗脳バリバリ」になりますから。
その後当事者が何を志向しようと干渉しませんが、
何か特定の人格構造を優位であるとか、人として標準であるとか、それが可能になる事がやれ社会復帰であるかのような予断は単に『共同幻想』の論理に過ぎず、
人間個人と対峙する心理学が軽率に発言したり示唆したらイカンのです。
(※別段人類ヒト科が「働かなければ云々かんぬん」なんてのも一切意味の無いプロパガンダのような代物ですし。いろんなところから論議はあるでしょうけどね「ぶっちゃけ昭和の専業主婦」自営家事労働以外は働かないのが当たり前の事だったんだから。そこはパートでどうこう言う人もいるかもしれませんがね、当時受験戦争なんてアホな『共同幻想』なければ随分とそこのところも違っていただろうと思いますよ。)

実際の話、世界的にもかなりデカイ宗教のキリスト教系では(少なくとも旧約から新約まで)「人類ヒト科の労働ってのはアダムとイブのりんごがどうした事件における神罰」であって、囚人の労役と認識変わりません。
それが無い方が人して正しいって話を盛んにやってる『共同幻想』だってあるって話です。
(この辺あまり突っ込むのも建設的では無いのですっ飛ばしますけれど。)

■重要な転換点は「やはり寿命がどんどん延びているところ」でありまして、
高学歴化も合いまって、現代社会の人類ヒト科は「ざっくり人生100年と考えた場合、労働力年次を30年から35年と見てもだね、70%近くは働いていない状態」なんですよ?
所謂仕事量を派生させていないって意味じゃありません(子供時代の部活だって立派な仕事量に至る活動ですから)、
「いかにも正社員でございますって労働が”人間としての働き”のデフォでは無い」って事です。
心理学は財務省や経済産業省の回し者じゃありませんので、社会適応「職場復帰(中高生なら就学復帰)を回復の前提とする」なんて馬鹿話に付き合っていたらインチキ心理学です。
(そこは個人の自由なワケで、)

「いやいや能力的ななんとかも問題だろう」と拘る方もいらっしゃるかもですがね、
あのですね、『共同幻想』適応人格ってのはここのところ書いてきたエントリーで鉄板の論証したように「完全に個人の能力にリミッターかける仕組み」です。
つまり「いかにも『共同幻想』適応な社会復帰をどうたら」みたいな話をされてもですね、いやいや個人の能力的なものをスポイルする人格構成の話になってしまうんですがって「ガチの論理矛盾」に突き当たります。
それは「どうすれば宝塚に入れますか?」みたいな話と同じになるワケですよ。
心理学は「そんな事しらんがな」となるスタンスで「心理学的に矛盾の無い証明」となるのであって、いくら横槍入れられようとも「いかにも旧来の『共同幻想』が言いそうな”社会復帰ネタ”」には組しません。

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posted by kagewari at 21:45 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月24日

ここんとこの政治を振り返ってみる

何か左翼系進歩派のみなさんはすっかり忘れてしまったのか、あまり論議になりませんが、
戦中日本軍部はぶっちゃけ”ある意味”共産党とも仲良しでした。
共産党の神話からすると「戦中激しい弾圧に」がメインになるのかなと思いますが、
戦中日本帝国陸軍は、特務機関を使って当時敵国であったロシアの国力を削ぐため「共産革命左翼」を援助する工作やってます。
軍部が共産主義をって?何も不思議じゃありません「軍人は公務員ですよ(笑」、
確かナチスだってなんとか社会主義を名乗る政党だったかと、
労働者を全員公務員にしようって共産革命に軍国主義・軍部独裁系の組織は「それほど抵抗無いというか仲間みたいなもの」でしょう(やとうろ思っていることほとんど同じなんだから)。
(※日本の一部右翼の間の”オカルトネタ”に「北朝鮮が明石機関により創設された説」なんてがあるのも上記背景。「だから北朝鮮の核は米国を狙うのである」みたいな。)

でー、
■日本内地で反戦運動やらの結果特高警察にしょっぴかれた左翼インテリの一部は、満州におけるプロパガンダ機関でもあった満鉄新聞社にスカウトされていたりするワケです(果たしてこの中にロシア共産化工作などに従事したメンバーがいたのかいなかったのか知りませんが)。
この満鉄新聞社が後の「電○」です。押しもおされぬ現代日本の広告業界のナントカみたいな存在として皆さんご存知。
なんだかんだ戦後の日本のマスコミ関係者に左巻きが多いってとこにも関係しているかもしれませんが(当時大学のインテリはほとんどが左翼思想を学ぶ事が半ば常識だったりもしたし)、日本の大新聞はですね西側世界で唯一「人民日報やプラウダ並みの発行部数を誇る、あり得ないほど大きな組織」であり(つまりプロパガンダや工作機関みたいな組織とスケールが同じ)、言うならそのスケールの在り様が「表現の自由を侵している」だけでなく、独占禁止法だって怪しいじゃないかって存在です。
(※ご存知読○新聞創設の正力氏は元特高警察ってのに、権力闘争により後のドンであるナベ○ネ氏は元共産党支持者から後に保守派に転向の人物です。)
事実戦後もそのプロパガンダ機能をGHQも利用した(プロレスであり巨人軍であり米国の人気TV番組配信などです)。

●朝日のように戦前のイケイケどんどん大本営発表の自己批判から左巻き化した事例もありますが、全くわかっていないことが「ここまで読んでいた方々にはご理解いただけたかと」→真っ先にやるべき事はプロパガンダ機関の反省から”大新聞制の解体”でなければならなかった。
今度は左巻きでプロパガンダ機関を仰せつかまりました「新朝日です」となってますが、、戦後左巻きってのは55年(八百長)体制の一部であって、反米化を恐れたGHQが「米国が善いもので戦前日本は悪者史観」であるため実に都合のいいものだったので(米国人は核兵器使用による米国への戦争責任追及を日本が思う以上に嫌がっている)、何気に「組織防衛に成功し既得権益を確保」します。
独禁法違反も怪しい特権階級そのものです。←メディア関係は平均所得もダントツのトップランク。
(※ちなみに戦後日本が本当に軍事的強国化することは勿論当時のGHQが望んでいる筈も無く、所謂日本の戦後左翼の反戦ってのは”その時”のGHQに都合のいいものだったからに絡んでおり、なんというかもうね、、。最近の左翼の集団的自衛権批判のピントのズレ方って今に始まった話じゃありません。)

■随分ジャーナリストの池上氏が「韓国が棚からぼた餅でできた国」発言で批判されてましたが、
日本も同様に「米軍により造られた”ナンチャッテ民主主義国家”」であったのは事実。
右翼に評判悪い憲法も米軍の創作物です(著作権的にも合憲意見は憲法学者では無く米国執筆者に聞くのが早いのじゃないのか?)。
結果、「シナリオありきの議会運営」が定着し、55年体制となった。
ネトウヨには極めて評判悪い、釣り人オザーさんじゃありませんが「普通の国」や「日本の独立」を論じるなら「米国の属国から離脱」する事は必然であり、
何もそれは日米安保を批判するとか、反米になるという趣旨では”無く”、
これまでの日本の政治ってものがエスタブリッシュメント的に多くの「帝国軍部の残滓」の中にある事や、総体として「米国の支配下にあった」のは事実ですから(反核運動も何故か反米化しない)、そこを認めない限り話が先に進まないのです。

あくまでも個人的意見ですが、
共○党もですね、、小沢パージに絶賛参加したり、裏で検察(半ば米○の出先機関)と何かあるのじゃないの?って考えてもどこにも不思議なとこないワケですよ。
(公安の監視がどうしたって話も「プロレスでしょ」ぐらいにしか思えない。)
田中金権政治ナントカもあからさまな米国からの工作でしたが、随分頑張りましたし、時に共産党は国会で爆弾発言追及を行い(情報源はどこなんでしょうね)評判となりますが、朝○新聞のその後を思うと(唐突に親韓親米右派が台頭し小沢パージに邁進したり)、そういう批判されかねない振る舞いをまず反省したらどうなのかと思います。

最近ではすっかり安倍政権は中韓に強硬みたいに見られてますが、
満州特務機関系の人物である岸信介の直系なんですから、本来親韓です(所謂朝鮮支配層的つながりの親韓→戦後”勝共連合”の一翼)。
勿論この辺も『戦後民主主義』という茶番劇の狂言回しな要素が多々ありで、
はたして安倍首相の「戦後レジュームからの脱却」という言葉にそのバックグラウンドも含んでいるのか?実際のところはまだわかりません。
(あくまでも個人的意見ですが小沢氏なども腹の底では「”そういう意味では”それほど安倍政権に批判的では無い」と思いますぜ。日銀総裁人事などに入れ込んでいた着眼など同じですからね。)

■少なからず、2chを中心とする「反マスコミ」のネット世論は全体像はつかめていなくても、その雰囲気全体を『戦後共同幻想』として察知し、激しい批判に転じたと分析すればわかりやすい動きであると思います(特に大新聞に対する敵愾心は強いものありますからね:ですから安倍政権の新聞批判も報道への干渉だと思いません→「2ch的敵愾心と同じ」だからです)。
小沢ファンだった人間から見れば「それは違うだろ」と思う事もありますが(2chの小沢批判は強烈ですから)、全てのバックグラウンドを「『戦後共同幻想』全てにに対する批判」と考えるのであれば、小沢氏に対する批判もごもっともだと思います(ある意味この人も秘密主義者でしたから)。
●心理学的原則から言えば「政治家って人材として昇華系(=若干どうかしちゃっている人)」となるので(超人志向の営業部長とでも呼びましょうか)、最初から大きな期待をしても無理なんですが、誰かが代議士やらないと民主主義は崩壊します。←ここ大問題。
何かの拍子に、心理学的にゴリゴリ追及すると政治家的人格みたいなね、、アバンギャルドな論文書く人も登場するかも知れない。←昔から一般庶民にある日常会話ですよ。
ところがでっせ、この問題意識がマジなった瞬間「民主主義は崩壊します」。
代議士になるべき人材がいなくなるからです。
早晩「スーパーAIによる独裁の方が公平だ」なーんて事にもなりかね無い(共産主義ってのは「スーパーインテリによる独裁」ってコンセプトでしたが、、、「史的唯物論・計画経済」なんて現代用語に訳せば「コンピューターによる政治・経済」でしょうに)。

ですから、
■「あんまり政治家を批判しちゃいかんぜよ」とも思っちゃいますが(私は安倍政権支持者じゃありませんが彼のバックグラウンドを考えるに「意欲的にやっている」のは事実なので世論調査でもきたら”割と支持します”に一票入れますよ)、
一歩踏み込むだけで政治生命はおろか下手したら生物学的生命も危ない政治家稼業で、それはかなりの熟考無しにできない事ですから、安全なところから批判だけしているより遥かに大変な事です。
(バックグラウンドの魑魅魍魎がイロイロ凄い事になっているんだから。)
各論で言えば、TPPに大反対ですし、グローバリズムなんてのにも反対ですし、財政再建系の動きも反対ですし、賛成なところは「インフレターゲット政策と自衛隊予算を増やしたところ」ぐらいなんですが、それだけでもデカイよデカイ。滅多にできない踏み込みです(しかも日銀動かすって半ば超法規的というかかなり強い思惑ないとできない)。安倍首相自身からして「野党がもっとマトモなら、自分にはできないところも(責任分担で)」と思っているのでしょうけれど(小泉元首相の動きってそれ系の意図なのじゃなかろうかと思ってます)、しばらくの間は無理でしょう。
 ↓↑
この点は『住まいの心理学』に書いたアイデア
「各党のみなさん。選挙制度的に”与党は党議拘束あるべし”ですが、野党になった時には党議拘束無しとする」←これを導入しませんか。
法律としてでは無く、国対通じた国会慣習としてです。

これやってくんないですかね。
心理学的に「政治家個人の問題より政党問題がかなり大きい」とも見ているので(政党は同時に組織であるためです)、野党になれば『単独者』的な踏み込みが議員個人に任されるって受け持ちになれば、与党の国会運営も”正直助かる”と考えるのですよ。
悪いアイデアでは無いと思うのですが、、、

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posted by kagewari at 15:16 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月21日

イジメ問題の構造

昨今痛ましい事件も続いているようなので、何度か書いているテーマではあるのですがまとめておこうと思います。←大きくイジメ問題なるものを勘違いしている方が多いためです。
(その意思も無いのに悪循環化しても不毛ですからね。)

言っときますが、凄く長文です。悪しからず。

この話にも私が「刑法39条反対」である事関係してきますので、ご存知無い方は以下リンクを事前に参照ください。
「刑法39条が問われる犯罪」について補足”犯罪心理のボーダーライン”
http://kagewari.seesaa.net/article/420975511.html

(趣旨は「イジメ加害者」に免責などを与えないためです。)

■まず大枠から
仮に自殺事件や登校不能、乃至鬱病の発症などが合った場合「それが職場で起きていたらガチに労災適応事案」であり、「パワハラ・セクハラ・過労死などの事案同様に刑事責任問題の可能性が高い」という事です。
支援NPOや支援弁護士の着想と立証にはもう一段の工夫あり得ると思います。
ともすれば話が情緒的にあっちの方に流れ、興味本位な報道が拡散するばかりです。
少なくとも、文部省は「イジメ実行犯」に対し「内申書備考欄へへ致命的内容の記載が可能」ですから即時実行するべきです。そしてブラフとしてネットなどに情報流すべき。
(同時に「オフレコだがイジメ傍観者にも過去アンケートなどに虚偽記載があれば内申書ブラックリストの可能性」もブラフで流すと更に効果的でしょう。)
警察庁は学校側の協力など確認無く、躊躇無くガサ入れすべきだし、
パワハラ・セクハラとイジメ・ストーカー犯罪を同じ部署にまとめて「通報義務」の告知をする。
イジメ実行犯の保護者に対しても「参考人として任意同行」求めるべきでしょう。
今回一部報道されている岩手事件のように教師側に隠蔽の動きがあれば、即効警察は「共同正犯」として指導教諭に任意同行求めるべきです。
(警察権力の介入でもなんでもありません、任意で引っ張るったって嫌疑の有無について話を聞くだけなんだから。)
被害者支援の弁護士は「空振りでも何でもいいので即時裁判所に加害者親の資産差し押さえ請求」に動くべき(ブラフ目的で)。

「暴力団は滅多に事件を犯さない」割と有名な話です。
いきなり現行犯で逮捕されるようなヘマをしない(言うならばグレーゾーンでしのぎを得る)。
威圧はするが実はカタギに対して容易に手は出しません。
その方針が原因となって暴力団が無秩序な素人系犯罪グループに手を焼いているぐらいなんですから。
ちゃんと情報取得した組織は、暴力団ですら「馬鹿か俺」を発動して無茶な事をしません。
そこまで大人の判断できる期待値は無くても、広報で抑止できるものが何件かでもあるなら即時やるべきです。

(※既に事案が発生ないし現在進行形の場合、当事者となるイジメ被害者が特にする事は”無し”です。←詳しくは後述。)

さて、イジメ問題の原則論となりますが
●「事実関係の認識がまるでトンチンカン」なんですよ。
多分それは『共同幻想』への認識がまるでなってないからなのでしょう。
原始時代より『共同幻想』発生最大の合理性は「集落などの安全保障」です。
基本的にその性格は「武力装置」であり、そのモデルとなるのは『自警団』です。
特に「義務教育」は事実上法的に拘束されますから(状況に応じて回避も可能ですが「その法的根拠の事前説明の研修など無しに思いつかない場合」もあるでしょう)、「労災認定される職場環境のパワハラ・セクハラより当事者が追い込まれる背景」は強い。
学校の場合『共同幻想』の負う当事者責任は通常の大人社会より重い(てか現状の義務教育学校制度がもう人権侵害の可能性すらある)。
勿論「義務教育」のモデルは「徴兵制」です。
(と言っても義務教育の運営意図はまるで違うのですから、運営当事者は特に「徴兵制と受け取られないよう留意」必要なんですが、「いきなり司令官(校長)の訓示やら、右向け右前へ進めとかバリバリにやってますからね」しかも軍服を模した制服を”謎の法的根拠による校則”で着用命令出すは、、違反者をどういう法的根拠あるのか罰しようとしたり、、校則は一般の法体系から離れる軍法会議法制なんですか?学校は日教組の人民開放軍少年兵学校じゃありませんよ?朝日新聞も帝国陸軍テイストの高校野球運営主体でその本音が垣間見えてるけど、軍旗みたいな朝日新聞の旗立てて「選手は丸坊主マスト」ってどういう趣味なんですかね。)


流れを見れば明白で、
■「イジメ問題が散見されるのは?」→「小・中・高校に多く」→「職場・ママトモグループなど大人社会にも多い」傾向があり、最もイジメ問題が目立たないのが「大学です」。
ご存知のとおり、大学には事実上クラス(階級)社会運営が”無く”、特定集団の形成が行われません。「限りなく自由参加のイメージ」で運営されてます。
端的に言えば『共同幻想』密度・濃度が低い。
『共同幻想』の原則論で説明しましたけれど、大学は基礎的プライバシーの共有すら行われませんので、講義に参加している他生徒の名前も不明のままです。ある程度なんとなくクラス運営に近い講義に必須科目の語学とかがあったりなかったりする程度(語学は教授や講師が生徒を指名する機会もあるので「名前バレ」することだけでも『共同幻想』発生フラグになる)。
大人社会より大学社会の方がイジメ問題発生確率は低い。
特に注目すべきところは「就職先の会社・組織実態の無いママトモグループ」のようなところでさえイジメ問題が(大人社会になると呼称がパワハラ・セクハラなどになりますが)発生しているところです。←この背景は『家族社会』志向が自動的に『共同幻想』適応志向を呼び込んでしまうため。

その法則性ですが
■当該『共同幻想』社会に何らかのストレスがかかっている場合(主要メンバーの個人的コンプレックスや内部的競争や外部からの圧力や煽りなど)、『共同幻想』の母体は「自警団」ですから、即座に「防衛体制=攻撃態勢」に入ります。
個人心理学にたとえると『共同幻想』社会側の何らかのストレスは当該組織にとって事実上の欲求不満状態や不安と認知されますから、快不快原則により「『興奮』を伴う代謝」があればしのげます。
その『興奮』が再現可能であれば(アル中心理じゃありませんが)「現状の維持が可能」だと認知されます(ポイントは発端となったストレス要因が手付かずである事)。
そして行為が組織化された時点で完全に現実から乖離します。
この組織は解体されない限り、永久に迷惑な存在で在り続ける事になります。
発端となったストレス要因が「組織的なもの」ならまだ可能性ありますが、内的なもので有力メンバー個人の問題が共有化されたものだとしたら、労組じゃあるまいし団体交渉で解決する事案じゃないでしょ。組織の解体無しにストレス要因の原点にも戻れないワケです。
 ↑
つまり、この集団は『興奮』と認識される”トンデモ”な事を「そこにいるだけで常に希求している」組織ですから「集団で違法行為をしてみたり」、イジメ事案のように「誰か何かに攻撃開始する」なり、予め「何かやらかす」事が織り込まれ。組織が解体されるまでやらかし続けます。
それは限りなく「暴力団と同じ、下手したら(抑制もきかず)暴力団以下」の犯罪者予備軍だし、
中高の教育関係者に問いたいのは、更正だの教育だの以前に「確実に卒業生から将来大人になって立派な犯罪者も輩出してるんだから」、、実績として違う方向にも育んでるじゃん。
大人社会で言えばさ、同じマンションや職場に「日本の犯罪発生率と同じ分布で制度的に刑務所に入るべき人材も(少年法により)同居と同僚となることを強要されている社会」が学校なんですぜ?
(イジメ問題統計以前に学校別のOB全員の犯罪発生件数統計でも出してみたら←教育の場がどうしたとあれこれ人権派ぶるのであれば、OBの犯罪についても学校は責任取るって事ですか?)
教師の抵抗もあってそこでは安易に警察も呼べないとか、どんな罰ゲームなんだよ。

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タグ:共同幻想
posted by kagewari at 03:24 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月16日

『共同幻想』の論理(掘り下げて考えておく)

どうにもこうにも『共同幻想』ってものの理解が難しい部分も多々ありなので、
掘り下げて考えてみます。
※ひとつ参考になるので少し前のエントリー参照ください
ワーグナーとへヴィメタル
http://kagewari.seesaa.net/article/422011240.html


えーっとですね、
『共同幻想』ってのは「共有化された(神話や概念などの)幻想」って意味ですから。
一番わかりやすい例が「宗教と信者達」の関係です。
或いは前述エントリーのワーグナーじゃありませんが、クラッシックになどの「楽曲のテーマ」も、そう設定された幻想です(映画で言えば「これはフィクションです」)。
シンプルな例だと「貨幣の信用」や「国籍認識・民族意識」や「言語」もそうです。

最近書いた「超自我論」と被っているんだけれども、『共同幻想』は「超自我の共有化(クラッシックの演奏で言えば譜面の共有)」に限りなく近い概念であり(拘束強い事例だと絶対君主の正統性認知や所属宗教の正統性認知など)、
必ずしも単一なものでは無く(会社員なら「アフター5は個人の時間」となる)、
その時その時帰属が認知されている当該集団との間に形成される「共有化現象」です。
(単純な「集団心理」のことでは”ありません”。)
超自我ジャンルの「道徳倫理や正義感・社会的コンセンサスから、貨幣や言語の基本的価値や前提となる設定や、希少性・重要性のある情報と”その解釈”の共有(昭和の新聞制とかだね)や一般常識など主に『自意識マター』の更に”上位概念”に属する事項」←これらが主要な『共同幻想』ジャンルとなります。
 ↑
『当該所属社会の関係性』と符合する『共同幻想』がその都度適応選択され「あたかも役者が”課せられた”多数の役を演じ分けるように」上位概念が「場に応じてクルクルっと変化する構造」を持ちます。

オーケストラの演奏家も演奏会の帰り道に小規模室内楽をやれば別の『共同幻想』所属に変化する。
勿論超自我マターに限らず、社会の運営に関わる一般常識も含まれ(服装など)、
その共有化の範囲は「規定も制限もありません」当該社会の事情で勝手に変化します。
所謂”その小集団なりを束ねる上部概念関連項目”は何であれ全て『共同幻想化』します。
(そこ成立しないと『共同幻想』組織はヒエラルキー構造にならない。)

注:近代以前は『共同幻想』の中身を所属個人が論議する事すらタブーで、王の命令や革命でも起きない限り中身の入れ替えは無し(超自我には本来入れ替え機能があるんですけどね)。
明治維新以降でも「どれだけ迷信と呼ばれようが村単位で近代医療を拒否する」とかザラに起きてます(現代でも先日エボラ出血熱の時にアフリカの地元住民が国際医療団を攻撃したりしてましたね)。
現代社会においても所属社会のコンセンサスを得ないと中身の入れ替え論議はできない。
(「あれ?なになにだよね?」同意を求めつつ語尾は疑問系となる。)
明治の健康診断やエボラの例にあるように「いかに説得する側に鉄板の合理的根拠の明示があっても」容易に『共同幻想』は壊れません。→「悪魔の使者だ」みたいなノリで悪者扱いされ徹底抗戦されるのが”落ち”です。←極論すれば「その論理的証明の必要も無い」。

前述は勿論「ごく普通の『共同幻想』適応系の人達の話」ですが、『共同幻想が』強迫観念化し「強迫心理」となっているメンタル問題における自我防衛でも、勿論『共同幻想』適応一般と同様に激しい抵抗が発生します。
それは「強迫心理」が『共同幻想』同様に内部的には道徳系上位概念なので(=超自我系)、
自我内において『自意識』に対し比較”上位”の概念だからです(ザックリ言えば”憲法”)。

しかし近代以前の『共同幻想』も社会学的変遷(所謂産業革命に始まる社会的コンセンサスの大転換)によって大規模崩壊し、高度経済成長系の『共同幻想』へシフトしてきました(ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ)→これが先進国化への始まりです。
(勿論現代社会に至るルートでは「民主主義」という社会”コンセンサスの変更可能制度の確立”により、『共同幻想』の変遷が「社会的入れ替え選択」みたいな形でその都度選挙などにより施行される形になります。←民主主義は言うならば「革命権の自由化」みたいなものです。)

注:一般常識や日常の共有化ジャンルとなると、旅行時の記念撮影(証拠写真の共有)やおみやげ(旅行先産品共有感のアリバイ)などなど「全員参加の旅行で”なくても”抜け駆けや情報の個人所有を認めない」その情報共有化は場合によるとプライバシー領域に及びます。←勿論旅行の理想系は所属社会の全員参加。
”おみやげシステム”の性格上、同じ商品が羽田空港にあるから羽田で買えばいいか←どうしてもこれは禁じ手であり、面倒なので羽田調達みたいな行為に”おみやげシステム”は罪悪感を発動させなければならなない。←ここにも超自我特有の道徳的縛りかかっていますね。
昭和に見られた「温泉旅行でハダカの付き合い」も同列で、『共同幻想』共有感や”共有密度・濃度”は「秘密の共有(希少性=上位価値概念)」により更に高まる法則がある。
●プライバシーの喪失と引き換えに共有水準は上昇するため「すっ裸の共有」は強い連帯感を演出する。←恋人関係における「裸の付き合い」も同じ法則であり、共有される情報は単なる裸から更に恥部の公開に及び『共同幻想(恋人関係幻想)』密度・濃度を増す結果を生む。
モスリム社会の場合「嫁の顔は家族内にしか公開しない」ってありますが、ここも『共同幻想』の優先順位をよく表していて、アラブはどちらか言えば現代でも氏族社会であることを証明してます。

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タグ:共同幻想
posted by kagewari at 17:04 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月12日

南シナ海でもそうだけれど「世界的に腹の探り合い」が行われているっぽい

たとえばギリシャだったりウクライナだったりもそうだが、
「やるとなったら容赦しない」キメてきたロシアさんから、最近へっぴり腰の中国さんや、下手すっとゲルマン圏VSラテン系なんて事にもなり兼ねないEUも、最近誰が味方でどこが仮想的になるのか暗中模索の中(世界遺産で腰の据わらない国をあぶりだしてくれた親切な某国もありますが)、激しい探り合いが始まってます(これ米国内もだよ)、
危険水域高いレベルだと思います。冷戦時代『共同幻想』の二次崩壊が凄まじく(変動要因は「なんちゃってドイツ帝国と化したEU」であり「中国のインチキバブル」であり「現代社会の先進国は戦争ができない事を証明しつつある米国」であり)、どうなっちゃうのかさっぱりです。
全く先が読めないものだから「防災に努める」のが肝要です。
地味ですが日本は「目立たないように自衛隊の強化」に努めるべしです。都合のいい事に日本には憲法9条がありますから、(財務省対策経験も込みで)防衛省もその辺は得意とするところなので、是非「目立たない強化」頑張っていただきたい。

外交関係も昨今とても複雑で、
腹の探り合いというか(AIIBの時もそうでしたが)「誰と組んで誰と敵対するのか」各国疑心暗鬼で、南シナ海も米国がタイの軍政に厳しい対応しているものだから、タイ軍が「中国から潜水艦購入するぞ」みたいな話が出てきたり、もーね何がなんだかさっぱりで、
少なくとも中国経済はバブル崩壊含めてこれから大変な事になるだろうって世論が定着しているのは(どっかの世論調査の結果だと)どうやらまだ日本だけのようで、
そりゃね他の国は遠いから中国の実情わからなくて当然です(案外そんなもんなんだよね)。
この辺の「情報量の差異」なるすっごく単純な理由から更に混迷は深まっています。
※そんな事言っていたら思い切り上海相場が大幅下落で、ようやく諸外国もそこんとこわかった?


ここから話は「安全保障法案」に逸れていきます、
なお且つ、ちょ〜っと収拾つかない話となっております(ご了承ください)。

■国会やマスメディアでは荒唐無稽なナンセンスな話も論じられてますが、
ここ昔ガンマニアだった人間だからしみじみ思うことなのですが(ガンマニア的突き詰めると日本のエアガンは実銃ジャンルだったりするなど”銃”ってのは「弾を打ち出す機械」が基本概念です)、素人さんは「武器や武装」を何だと思っているのでしょうか?自衛隊の装備は全部武器になっちゃうの?
「工兵部隊のユンボは?輸送機も武器ですか?」
あのね大変困ってしまう事なんですが、
集団的自衛権どころか民主の菅首相が事実上命令した「自衛隊機による福一への散水」これですね、完全に憲法違反じゃないの?事実上現場サイドでは「特攻命じられた」ぐらいの勢いだったワケでしょ。しかも自衛隊機を使用したのであれば(左巻きの方やマスメディアの論調から言えば)武器であり武力行使なんですよね?
「え?違うって?じゃあオスプレイは武器ではないと?ただの輸送機なんですが。なんで散水した時の自衛隊ヘリは都合よく武器以外になるんだよ。じゃさ?散水目的にすればオスプレイは武器じゃなくなると?てことは被災地にカップラーメン運ぶため戦車が出動してもいいって事?或いは威嚇のため空砲なら自動小銃で撃っても”それは爆竹と同じ”なので武器の行使にあたらないとなるのでしょうか?」

あのですね、軍隊は人殺しが仕事では無いことを少し前のエントリーで書きましたが、
戦争における発砲率とかいう話
http://kagewari.seesaa.net/article/421123514.html

■軍隊は『安全保障』が主な業務であり、ジュネーブ協定的にも「殺戮を目的とした銃の使用はNG(フルメタルジャケット弾の使用)」なわけです(名目だけれどさとても重要なポイントです)。
大工の現場でお馴染みの通称テッポウ(自動クギ打ち出し機)、たとえばですよ。自衛官が大工道具のテッポウを護身用に使うなら武力行使にならないの?
或いは、
自衛隊の使用は憲法9条違反だからと、
JAXAのイプシロンロケットの先端にさ「次も空砲だと思うなよ」のメモ書き入れて某国の天安門に落下させるのは武力攻撃にあたらず合憲となるのでしょうか。
(海外ではJAXAの技術のかなりの部分が「安全保障的性格」として注目されているのは事実です。)
 ↑
これに比べれ、自衛官に福一への散水特攻を命じるなんてのは(いったいどういう法的根拠があったのでしょうか)ガチ憲法違反じゃないのかね。

話がむちゃくちゃ過ぎ、
軍隊は軍事紛争に突入したり戦争に至った場合「それに対応するため合理的な資材やノウハウを集めている組織」であり(武器マニアじゃないのだから)、勿論「その装備には武器以外も多数含まれる」ワケです。
自衛隊自慢の「炊飯車両」が単独で出撃しても武力行使になるのかよ!
海上自衛隊が尖閣付近の中国船舶に「おにぎり打ち出す巨大ゴム砲」発射しても武力行使?
南シナ海の某諸島に自衛隊が「実は装備エアガン」で上陸したら合憲なの?
それとも武装を全て外したイージス艦をさ、自衛隊OBが運営するNPO「ピースメーカー・ボート」なーんてありそうな団体つくって「すっごく周囲が見える海の流通観察船」として自由航行した場合、
これはどういうカテゴリーになるの?
(勿論民間の船舶を防衛するため協力国の軍隊が同民間船舶を護衛しているとしましょうか。)
■現実問題、米国のブラックウォーターのように自衛隊OBの会社を『警備会社』として海外で登記し、海外の保険会社の依頼により派遣された場合どうカテゴライズするんでしょうか。←同会社の生命保険をODAで支出するって手もある。
(例のISIS関係事件の背景のひとつはこれですよね。)

俺は本来自衛隊は厳密に言えば憲法違反だと思っているから、
解釈改憲も「時代によって古典文学の読解が変遷する程度を超えない範囲で」と思うけれど(その憲法解釈の中で合憲なんでしょうから)。
■自衛隊が合憲ならばさ←まず現代はここにコンセンサスあるよね。
■勿論自衛隊合憲の背景は日米安保条約であり(日米で防衛する事が合憲とされている)
憲法9条の解釈も
武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

上記となるから自衛隊が(リアクションしかしない交戦権を持たない専守防衛の軍事・警察組織なので)”業務として合憲”となっちょる。
前述のように「自衛隊の装備は必ずしも全ては武器では無く、どこからが武器でどこからが武器以外と区別できない装備も多数あり」更に言えば、民間のゼネコンやJAXAやJALには更に武器っぽい性能の代物がいっぱいあるワケ(下手したら自衛隊より豊富に)。
電力会社の原発は核兵器じゃないからね(しかし間接的にその核技術は周辺国に安全保障的性格の情報として認知されてる)。
 ↓
極論すると「憲法9条で自衛隊が使えないからと、退役した自衛官に法外な退職金と遺族の生活保障を確約して民間機を使用しての特攻を首相が命じた場合”それは国家テロ”だから国際法違反となるが、日本国憲法としては合憲」となるのでしょうか。
どっちが上位概念よ、、。
(繰り返し言っておくけど「憲法解釈による違憲合憲論」やるなら”自衛隊合憲はいいけど”みたいな前置きするのは卑怯だと思いますぜ。現在提出されている法案も「なんとか憲法の範囲でと」そこ強く留意しているのは事実なのだから。)
憲法9条さえ守れば平和になるとかそれはあり得ない(福一のヘリ特攻散水命令が可能なんだからさ)、その上位概念である国際法の遵守含めての話です。
自衛隊を論ずる場合、まず比較対象は「他国の軍隊」であり(趣旨は自衛隊が軍隊では無い範囲の確認)、合憲とされることが確認された後→その合憲となった憲法解釈の文章作って→各論にいかんとさ、※憲法9条は戦争放棄がその趣旨で「自衛隊の業務内容個別指定」じゃないでしょう。その本旨は国連憲章に順ずるもので、なんとか自衛権とかの論争するためのネタ元とは思えない。

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posted by kagewari at 04:46 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月08日

ワーグナーとへヴィメタル

私クラッシックに関してはCMで耳にする程度の知識ですから(笑、突っ込みどころ満載かと思いますがそこはエントリーの趣旨とは違いますのでご容赦ください。
さて、大げさな音楽と言えば「マーラーであったりワーグナー」が思い出されます。
いかにも権威性『共同幻想』真っ盛りのドドーンとした構成。
実際にワーグナーはナチにも利用されというかワーグナーの周辺自体民族主義的なサロンと化していたなど(その関連で哲学的に全く民族主義と無縁のニーチェが超人的妹の画策でナチに売り込まれたなんて逸話もあります)、モーツアルト時代における宮廷音楽というよりハリウッド大作ばりの帝国音楽てな勢いでもあるのでございます(神話性や偉大性的強調や過剰化)。
そんなドイツ人がロック系においてヘビメタ好きなのも有名で、時に環境云々などでも極論に走るドイツ人の社会的ビヘイビアーに強い権威性(規律性)のなんとやらが介在している様を感じざるを得ないところですが、マーラーやワーグナーがスケールの大きな音楽の大御所である事に異論は無いでしょう。ちなみにヘビメタも教会音楽張りの様式美が特徴でもあるので、その容姿とは別に”印象化・様式化された権威性”のような強調表現あっての世界観かと思います。

■『共同幻想』崩壊論においては、
日本の歌謡界の変遷がそこに符合している事を折に触れて書いてきましたが(美空ひばり先生のような大御所・国民歌手と呼ばれるような存在は現代社会には台頭しない論など)、欧州の動きを見てもそこは顕著です。
個人的には「結局活動家になった歩留り野郎」だと思っているサルトルあたりがお盛んな頃、米国においてはヒッピームーブメントであったりですね、モダンJAZZなども盛んでありまして、当時の風俗を眺めるとさしずめ「モダンJAZZは実存主義の音楽」みたいな側面もありました。
そんなこんなが起きるさらに前、
クラッシック界にはドビュッシーやラヴェルという印象派(でいんでしたっけ?)が台頭します。
それこそマーラーやワーグナーと好対照であり、てかそもそも印象派なるものはJAZZやブルース他世界の民族音楽(=非権威性音楽)の影響を受けており、そこを先取りしたって赴きです。
ここんところはラベルのひと世代前ですか、絵画における”浮世絵の影響を受けたゴッホがどうした”みたいなのもありますがここ相似形かと。ラベルと同世代はピカソですね。
(ちなみに文壇の方は実存主義の元ネタとなるアルベールカミュがラベルの更に次の世代ですね。)

ラベルのwikiに面白い引用があったのでそのまんま引用しますが、
1928年、アメリカとカナダの25都市の大きなコンサート・ホールでピアノ公演を行なうため渡米した際も、アメリカの作曲家達に「ヨーロッパの模倣ではなく、民族主義スタイルの音楽としてのジャズとブルースを意識した作品を作るべきだ」と述べており、一説によればオーケストレーションの教えを乞うたジョージ・ガーシュウィンに対して「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要などない」と言ったといわれている。

  ↑
■これは心理学的に言えばとても明快な(単独者論的な)『歩留り論』ですね。
(依存的帰属では無く、普遍的帰属性を「そのままに・なんてことなく」確信犯的再選択するべきだ、みたいなね。)

更に現代社会においては「それこそボーダレス」と申しましょうか、ミニマルコンパクトと言えばいいのか、音楽も「身近に小スケール化」しており(某アイドルグループの発案もキャバ嬢並みに身近な存在とする小スケール化戦略で成功してます)、音楽の”規模”が本質的なスケールに回復(縮小して適性値ですから)しているとも思われで、
ネット社会における「演奏してみた、歌ってみた」などの風俗はひとえに(何かに承認されるだの評価されるだの抜きに)「好き勝手に音楽やってます」な方向性を示唆しています。
(※実際のところはまだまだアクセス数など気にしてどうこうも大量にあるのだろうけれど。)
ボーカロイドソフトの普及もそうですし、昨今ベストセラーとなったラノベが元は無料のネット小説だったりもする。
「普遍的帰属性を「そのままに・なんてことなく」確信犯的再選択するべき」みたいな『歩留り論』も選択肢に過ぎない事(それもアリだけど的範囲)が示されているように思います。

■更に突っ込むと音楽演奏スタイルそのものの『共同幻想論』もここに関係します
「オーケストラによる偉大な演奏」←これまさにオーケストラという社会に帰属し個別の役割を担うことで(ソロパート以外)、合奏時に驚くべき奇跡が起きる。そして演奏する譜面は権威性が担保されている偉大な楽曲であり、、、←という「ひとりではオケを演奏できない」って図式ね。
(同時に偉大な指揮者はカリスマとなる。←王権神授説的『共同幻想論』とも言える。)
そもそも近代以前はPA(音響)もなければなので、箱物としてのオペラ劇場なんかの舞台装置もインフラとしてその一部を構成していた(だから王家や貴族がこれ造った)。まさに国家的事業の『共同幻想』スケールですよ。
しかし文明化によりPA(音響)の登場、ビートルズみたいな少人数でも演奏ホールに関わらず大音量の音楽を演奏可能になった。この点だけでも時代がさ、
 ↓
現代社会においては「それこそボーダレス」と申しましょうか、ミニマルコンパクトと言えばいいのか、音楽も「身近に小スケール化」しており
 ↑
ここに推移していくのがわかるってもんです。
(モダンJAZZ台頭ぐらいの時代だと、ホールから小規模クラブへって庶民の文化水準の趣味性向上に追随していく様「音楽の市民化みたいな」社会学的動きに合わせたものと見てもいいかもだけど。)

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posted by kagewari at 17:24 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月06日

しつこくやりますが「いい悪い論」の誤謬

広い意味で『道徳』ってのは、世界に「法治国家」の概念が登場する前の「慣習法的常識」のようなもので、基本的には法律と同様に知識であり情報です。
「これだけは絶対に許せない」など興奮している時に「自分が感情的になっている状況を体感」できるのは、そういった現象が「自意識を超越する権限(権威上位の概念)」が自我を拘束する”重要事案”だからで(自意識をすっ飛ばすほどの興奮事案)、
客観的に言うと「自意識マターじゃない(超える事案)」状態を自我が体感している様です(当事者自意識はその興奮に圧倒・抑圧されている状態)。
●自意識が後から興奮状態を振り返る時に「あの時は自分を見失っていました」なんて言葉で語るのはそれが理由(興奮時自意識が当事者外れている証拠)。

注:衝動的欲求(言語解釈されていない生理的欲求)なんかも自意識を超越します。「動物的本能の残滓」とでも呼ぶ領域で「言語翻訳して自我に取り込まれていない」と解釈する事もできますが、基本的に人類ヒト科はこの脳内の生存本能に関わる上位意識領域に「超自我として言語化された『道徳野』のような概念」を置き換えている。
(「この欲求・本能はこういうことだから」と言語翻訳した瞬言語化された概念に間置き換えられる。)


仮にですが、「慣習法的常識」の常識それ自体が勘違いだったりする事が後から判明すると、途端にその興奮状態も”どこへやら”ぐらいの勢いで消滅します。
「あれれ、間違っちゃいました」だとか「”ばつが悪い”様」。

●わかりやすい例だと、
初期状態「なんとか戦争を始めた責任は某国である許せない」だとする。
その後歴史を勉強し「歴史事実が全然違うじゃないか」と知るやいなや、どこやらの国は許せないなどの興奮は消滅します。→「それじゃどういうことなのこれ」みたいに、

●もうちょっと複雑な例だと、
「そういう頭ごなしの営業指導はパワハラだ許せない」とかがあるとする。
その後実際に営業の現場を踏んで(その強烈な指導姿勢には賛同できないが)「言わんとしているバックグラウンドは前より理解できる」な事実認定の深まりがあると、興奮の内容は「パワハラ」から「その強圧的人物個人のパーソナリティーへの嫌悪だけ」に縮小する。
場合によると「何故彼はそんなパーソナリティーとなったのか」という疑問だけに収束する場合もある。

上記に見られる法則性は『道徳野』が出張る時には(自意識はひっこんでろと超ユーザー権限者として登場)、興奮を伴ったり感情的になったりするため「怒る私とその対象の間で”絶対”にその判断(責任追及など)が揺らぐことが無い」と自我は誤解する。
てか誤解しなければ自意識を超えるユーザー権限は存在し無い事になるし、日常的な自意識の振る舞いの度を越した興奮を説明する事はできない。←てか誤解した認識で運用上正しいって言えばいいか。
(その興奮や感情は自意識を従わせる権威上位者の姿そのものだから、自意識が後から四の五の言いだして”その判断”を覆されても困るんだよね。)

しかしだ、
実際に存在するその関係性は全くもって”絶対に普遍などでは無く”、情報や事実認定の深度によって「自由に移動する」のであり、”関係性が固定化・構造化”しているのは「自分と対象物・対象者では”無く”」、「自分といい悪い論を司る『道徳野』のようなものとの関係」である。
(つまり自意識の上に超越的権限者の概念が存在する構造が固定化しているだけ。←元となる動物としての機能は「この食物には毒があるから絶対食べない」などの重要事項命令。軍隊用語なら差し詰め「DEFCON」。)
 ↓
端的に言えば「バイブルに手を置いて”誓います”」とやったり「六法全書に手を置いて法に従いなんとかかんとか」とやる図式と同じである。
(「刑法に宣誓するから→刑法犯が許せない」のであり、刑法への宣誓無しに”刑法犯”なる概念もその認知も成立しない。)

さらに具体的な事例を上げると
「売り上げ重視点の場合、来店客に高い商品を薦める事は”いい事”」だが、
「コンサル込みで親切な接客をブランディングとして重視する場合、来店客のニーズを的確に掴み適性価格の商品を薦める事が”いい事”」となる。
前者の場合「安価なものを薦めるのは悪い事」となり、
後者の場合「事情の理解も無く高い商品を薦めるのは悪い事」となる。
 ↑
「よき店員でありたい」と思っていても、契約した(宣誓した)店舗の営業方針で「いいこと悪いことは余裕で正反対になる(対象物への道徳的認知は”絶対普遍では無く”自由に移動する。)」。

ところが、たとえばの話、前者の店舗に新卒から長く勤務しその営業姿勢に「六法に手を置くように」帰属する契約を由としている場合、当事者は「高い価格がいい商品」「安物は悪い商品」と、その対象物に対して固有の感情的固着する状態を実際に体感するのであり(その関係性を”絶対普遍”と認知する)、あたかも「安い商品など許せない!」と実際に興奮するのである。
当人は”超自我”の介在を自意識に優越する特権的状態と認識はしているけれど(正義感のように)、「超自我マターだから今俺は怒って興奮しているワケだ」と冷静に理解する事はできない(そりゃ怒って興奮している人が冷静なワケが無い)。

ところがどっこい

何かの経緯で退職する事になり、後者のブランディング重視店舗に再雇用されたとする。
研修を受け(「六法に手を置くように」契約し正社員へ)、実際に同僚店員の営業を見て「私は長い事営業重視点で営業成績ナンバーワン目指してひたすら頑張ってきたんですが、はじめて営業とは何かを考えるきっかけになりました。私の今の理解が”正しい”のかわかりませんが、価格の安い商品にも魅力と存在意義がある事を知りました」←なーんて言ってのけるのが人間である。

前述の「道徳の所在が移動する様」なーんてのは仏教哲学あたりじゃ煩悩ジャンルなので、激しい禅問答で変化しないところまで突き詰めてなんとやらって事になるのだろうが、
そんな”変遷や変節”抜きにしたら人間の成長なんてプロセスを説明する方法が無いのね。
(勿論その反対に「”変遷や変節”無しに人間が落ちるさまを説明する方法が無い」な場合もあるわけで、これらは同類項です。果たして実際のところ「それは成長なのか落ちる様なのか?」そこは関係無い。変化可能ってところが重要なの。)

ぶっちゃけですね、
自我の中でどれが本人(だとか中の人)と考えればそりゃ『自意識』です(車で言えばドライバーの事だから)。ここは勿論変わらない。
ところが『自意識』に超越するユーザー権限を持つ”超自我”ってのは容易に中身が入れ替わったり(それに応じて”いい悪い興奮”の対象も)自由的に移動したりするわけ、
 ↓
広い意味で『道徳』ってのは世界に「法治国家」の概念が登場する前の「慣習法的常識」のようなもので、基本的には法律と同様に知識であり情報です。
 ↑
所詮知識であり情報なんだから。
その上位概念の機能は普遍的だが、中身は再インストールもできちゃうワケです。
(『共同幻想論』では、この超自我内部の記載情報を常識として社会で共有するため「個人の自我が共有ネットワークでリンクされる」かのような”仮想的群体”に化けるワケ。厳密に言うと「『共同幻想』社会では個人単体では実存できない」格好になる。各人の正義は共有され個人で勝手に判断する権限は無い。共有されている正義の内容をアップデートするには社会のコンセンサスが必要となる。→「最近はこうなんだって」などなど、)

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posted by kagewari at 05:25 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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