2014年01月31日

多かれ少なかれメンタル問題は誰にでもある

病気って概念はどうなのかって話を時折する事あるけども、今回のテーマ的には主たる要素ではないのでこの辺呼称の問題は飛ばすとします。
さて、現象としてのメンタル問題は誰にでもある現象です。
問題とまで言わなくても「心理的ストレス」と言えばこれ頭痛やら倦怠感やらと同様に日常的に起こり得る話しですからね。
これをメンタル問題であるとか精神的問題と規定するのはあくまでも当事者の認定によるのであって(違う方向性を志向しても構造的にどうにも対処が難しいなど)、『ナントカ病』のような固有の病理性が存在すると考えるのは実情と違っている。
(※ここは構造的に自分自身で問題の是非を認識できなくなる側面ある場合は例外だけど、←この場合は心理的問題であると気が付かないが、派生する諸問題を本人が自覚するみたいな間接的ルートになる。→後から「心理的なところが原因ですよ」的な。)

やれギリシャ神話だやれシェークスピアがどうこうじゃないけれど、古くからこの人類ヒト科の自我における心理的な側面の観察なり疑問なりというのは哲学やら文学やらの世界でひとつのテーマになっており、フロイド登場以降それは哲学やら文学に多大な影響を与えた事からも「心理学が心理的問題への理解だけに特化したものではない」。
勿論社会心理という点から社会学との関係もあるし、特に岸田心理学の場合『共同幻想論』的にそっちのがメインかしらと思うようなとこも含まれてくる。
心理問題の発現も「文明論的な社会の変遷に応じて変化する」ので、個人心理学を所属社会の文明化的側面と切り離して考える事もナンセンスである。
それだけ心理学ってのは「その時の社会学的状況と変遷」を重視しないと論点ズレちゃうんだけれども(学問としての神学論争的な意味の心理学は別だけどさ)、
そういう意味で考えるなら「心理学の実践という場面で見た場合、個人が所属している『共同幻想』の内容に応じてあれこれ個別対応的に考えなくてはいけない部分が多い」って事になる。
大雑把に言えば「日本人とアメリカ人のメンタル問題の内容というのは違うのだし(背景となる『共同幻想』が違うのだから)」それに応じる形で問題出現の構造も微妙に違ってくる。
(まさか中世封建社会で身分制度も明快な時代の個人の自我の在り様と現代社会のそれとじゃバックグラウンドが全く違うのだから。)

「所属する『共同幻想』の内容を情報として全く知らない場合」当事者からそこんところ「お国柄」みたいなものを予め確認してから(同時に調べもしてから)じゃないと論議を進められないところがある。こうなっちゃうと文化人類学的な知見がどうのこうのって話。
 ↑
そんぐらい「多かれ少なかれメンタル問題は誰にでもある」って事ですよ。
心理学的実践のナントカって状況においては、社会全体広範の見立てが必要になるのだから、「それは個人の話であるのと同時に、人類ヒト科の文明論てもある」←なんですからね。
(それを指して「人間はひとりではいきていけない」的な道徳論引っ張りだされちゃうと困りものですが、←そういう意味じゃないから。)
自我を構成している言語でありロジカルがさ、PCにおけるUNIXがどうたらとか機関的な話に及ぶからなんだけど。

こっからは想像ですけど、
コンピューターの世界でAIの開発が何気に苦労しているのもそこいら辺に原因あるのじゃないかと思います。ミクロに考え過ぎでコンピューターネットワークをソサエティ的に持ってかないとダメなんじゃん。「アダム」を開発しているのじゃないんだから。
逆説的に考えれば「人間の人間たる所以は心理的ナントカにある」って話なんでしょう。
(人間とは考えるナントカじゃないけどさ、)
即ち、そこに標準化だとか究極の人間像みたいなもんがあってもトンチンカンな話だし、「心理学は経済学に似ている」って話にも繋がる。
文明の流れの中で派生してくる現象なんだし。
(経済って視点で言えば負債や過剰在庫があるからといっていきなり病気だ破綻だという事にはならない。←程度問題でもあるけども当事者である法人にとってそれが個別にどういう事になってんのかだとか、その時の市場との関係がどうなっているのとか複合的な話だから。)
経済がそうであるようにミクロの問題を個別具体的に考える場合(商店街アナリストみたいな立場で)、背景となる業界団体なり商圏なり商店街なり国の経済などの背景とリンクせずに個別問題を考える事はできないですからね。「外部環境や背景分析としてマクロ」「自我の内面的にミクロ」と双方の視点が必要になってくる。
 ↑
■心理学を考える場合困っちゃうのはそこいら辺で、
究極の経済学が無いのと同じで、何々派的に割れても仕方が無い学問でもある。
言うならばフロイドは、投資とか消費とか生産の基本的なフレームを発見したと考える方が無難な線かな。
なんだけれど、心理学の周辺に必要なナントカってさ特別な呼称も無いしさ、説明するのも難しんだよね。どうしたって微妙に別分野の学問に触れる事にもなるから。
事実『岸田共同幻想論』から『単独者の台頭』に至るってところも「何々分析」とか特別な呼称が無いんだよね。

「多かれ少なかれメンタル問題は誰にでもある」
逆説的に言えば
「どこからどこを問題なのかそれを切り分ける事はできない」、心理学的側面ってのは世界のどこにでもあてはまるのだから。
故に問題意識ってのは(それが心理問題だと理解できず周辺問題として認識されてもいいのだけれど)当事者発でなければ心理学関与の理由を担保できないし、
そこんところが「心理学の原則として結果論には意味は無い」って話に繋がるんだな。
第三者中立性としてジャーナリズムに似たその立ち位置からして、学問として表舞台に出て主体的役割みたいな事になるのは適当じゃないと言えるんじゃないのか?
(※経済学も同様に、裏方学問としてはとても威力を発揮もするけれど、『資本論』が共産主義思想の原典になっちゃうような表舞台に出てしまうと、もう学問としてダメなんだわね。)

いつの時代にも普遍的に通用するのはフロイド先生の発見した原則論のとこだけなんだよね。
(そっから先は「その時代その時代の当事者が心理学を使える状態に整理しとけ」みたいな。)
そんだけフロイドは偉大だとも言えるけど、
まーね、めんどくさい学問でもあると思うよ。


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posted by kagewari at 23:18 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月23日

心理学的に保守化傾向なるものを分析してみますか

てかね、昨今の日本は全然保守化でも右傾化でもありませんから。
(某国の批判は見当違いな話でありまして)
徴兵制も無い日本どこが右傾化してんのかさっぱりわかりません。
自衛隊予算だって、安倍政権でほんのちょびっと増額されたとはいえそれまで削減削減だったので一般的水準にもまだ戻っていないぐらいの話ですよ。

■そこで、本質的な意味での保守化傾向(右巻きバネとでもいうか)そこいら辺を考えてみましょう。WWU前後に見られた話を見ていけば実に簡単な話で、
「経済破綻など国民の不満が半端無い状態」且つ「国家財政的にもデフォルト上等で大規模公共投資などに踏み切りたい雰囲気アリアリ(大規模軍事予算もそのひとつ)」、こんな時に救国内閣的にこういう話が頭角します。
社会心理的には「保守化傾向=自己保存欲求」ですので、破綻したなにがしかを回復するための退行化が保守化に相当します。
世の中が経済破綻などで更に荒廃してとかあれば、道徳バネも聞いて(社会依存心理とでも言うべき)伝統宗教であるとか、独裁政治であるとかも付随して台頭する場合もあります。
(ですから現在の日本と全然違う水準の話←現在日本で進行中なのはマスメディア含めた左巻き史観みたいなプロパガンダ的なナントカが絶賛崩壊中なだけです。)

ある意味保守化傾向として今現在最も危険なのは「欧州と中韓」って事になります。
(米国は腐ってもなんとかで景気回復傾向だという話ですから。)

■この話はそのまんま個人心理学の場合にも相当する話で
不平不満の充満した現状がある場合、昔のナントカだとか往年のナントカ頼み的に古い自我ロジックが呼び出され(いい風に見れば若返りとも言えるけど実際のところは”幼児化”)、強い権威に引っ張ってもらいたい的な依存傾向を併発させるって事でもある。
(或いは権威性認知を前提とする不平不満の暴発)
 ↑
ここの本来機能は「調子に乗って左ハンドル車を購入したけど、いやー失敗でしたわ、やっぱ車は右ハンドルだね」程度のものでありまして、
これが大規模化すると(失敗感の水準に比例して劇症化)心理的問題といえるような水準の話になるって事です。
注意深く見ていただけるとわかると思うんですが、上記の本来機能の場合でも「やっぱり右ハンドルだね」とあたかも見直された過去が道徳的に正しい的な認知がくっついてきて(退行には権威性認知との関係が必要なため)、余計な尾ひれが付いたりする事あるので(=自動的に左ハンドル車愛好家を非難する結果になる事に本人自覚が無いまま認識が先行する)、本来機能の場合でも第三者思考のルートを残さないと「左ハンドルを試した行為の教訓資産の所有権」を喪失してしまいます。
「ダメだった、悪いんだ」みたいな判断にはなんら教訓性が無く(情緒性は強いから本人はそっちのが満足しちゃうこと多数なんですが)、折角獲得した経験値を放棄しちゃう場合もあります。

■どういう意味なのかわかりにくい話なので補足しますとですね、
道徳論を世俗的に言えばそれは「いい悪い論」って事であり、自分が神様でもない限り事象の判断をいいだの悪いだのに集約されちゃうためには何らかの権威性認知が必要になります。
(話の正当性を担保するためです)
やれ「誰々もそう言っていた」だとか「あの評論家もどうたら」だとか、代表例は「先生がこう言っていた」なんて奴ですね。こうなるとその判断を決したのは勝手に神棚に挙げられた権威の側にある話になっちゃうので(当事者は無責任ポジション)、物事の認識として「やっぱり○○は権威的に凄い」みたいな事が経験値の主力になってしまいます。
具体的に何がおきてどうだったのか、自分はそこにどういう賭けをして(自己責任担保)その読みはかくかくしかじかって話はどっかにすっとんでしまうんです。
仮に退行的状況が発生してもですね、権威性認知を持ち込まずに「左ハンドルにもいいとこあるんだけど、実際のところかくかくしかじかでアレかもだわ、俺にとってはやっぱ右ハンドルって事になるんだとわかったよ」←こうなれば教訓資産(記憶の著作権)獲得になります。退行化では無く戦術的撤退って水準に留まる。
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posted by kagewari at 18:14 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月14日

ちょっと政局「細川知事で決まりでしょう」

東京都知事論議の前に、
どうもここのところ思うんですが、「左翼だとか右翼ってのは『共同幻想』乃至そうでなければイデオロギーです」即ちこの左右の論議は現代社会ではいずれ崩壊しその政治哲学部分が政治思想程度残るだけです。
この辺の社会心理学的見方を抑えておかないとですね、日本と言えどもジャーナリズムにしてもネットの保守論にしても「極端に過ぎるだけの娯楽として消費されるだけ」みたいになってしまうので、リテラシー的に注意したいところです。
(左翼の謀略論にしてもネトウヨの嫌韓にしてもいずれ崩壊するものを極端に敵視しても、「逆贔屓」って言いますか、敵視している相手側の存続を刺激するばかりですからナンセンスなんですよ。)

野田政権時の官邸原発デモにおいてエポックだったのは、妙ちくりんなのぼりを持ったいかにも活動家を「勘違いするな(プロの左翼活動家は)帰れよ」みたいな雰囲気があったところで、まーこの時の官邸デモはお祭りみたいなものでもあったのですが、轟々とうごめく日本の本音の世論みたいなものの存在を感じさせるには十分の規模でした。
この現象に勘違いしたのか、過去の遺物みたいなプロ左翼活動家が「俺の時代がきた」みたいに活性化するだとか、ネトウヨ諸君も貴重な嫌韓情報挙げてくれるのは裏ジャーナリズム的に結構なんですが某国内においても「メディアとネットのナントカは困ったものでアレコレ」みたいなところあるんで、某国報道をそのまま世論のように拡散すると相手側の困ったもんだ的要素を刺激してしまうのも事実なんです。わかりやすく言えば『マンションなんかの隣人騒音問題の対処における失敗』みたいな話になっても違うだろうとね。

何も心理学的視点は第三者だから、政局云々で自分が絶対の第三者性を担保するとは言いませんけど(個人的に俺は小沢ファン公言しているし)、ジャーナリスト岩上氏のIWJの風評がアレになってしまうだとか、孫崎さんの貴重な情報があっちの方向に極端に振れちゃうだとか、ネトウヨの指摘にも貴重な情報がある事を評価されないだとか、そうなっちゃうのは残念ってか勿体無いと思うんですよ。
貴重な情報は情報として活用された方がベターですからね、
■かく言う私も心理学サイト運営において、『公開掲示板』などで実際どんな運営になるのか情報公開には務めているつもりですが、その意図にはリテラシーを担保するためのネタバレ効果があるんですよ。
現代社会のネット情報などで注意すべきは「いい悪い論の罠」だと思うんですよね。
事象の認知にいちいち”いい悪い”のフラグを付けちゃうのは『共同幻想』の癖なんで、いつまでもやるもんじゃないんですよ。”いい悪い論”やっちゃうとそれで興奮するどちらかサイドのナントカがわいわい騒ぎになるってか得する事がなんにも無い。

注:”いい悪い論”はその正当性を『共同幻想』か或いは宗教権威などに求める必要性があるため(個人的な哲学論には”好き嫌い”などの個人の趣向はあっても構造的に権威性認知とある”いい悪い”と論じる道徳論にはならない)、本人の趣旨にそのつもりが無くても無意識に「いずれかの『共同幻想』のヒモが付く」傾向にあるんです。なんつーか”いい悪い論”は安いドラマにおける演出上の「勧善懲悪」と同じエンタメ要素であって、ついその”正義の興奮”求めてしまうと本筋と違う話になってしまう事多数なワケです。

■細川氏の立候補表明には、なんとなくこの前段のなんとやら現象による埋没だとか喪失へのカウンターであったのかなと思います。
この政局においての最大の貢献者が小泉元首相であるのは言うまでもありません。
(今この段階で小沢出てきてももう現在の風評じゃ全然アウツですから←後から出てくるかも知れませんけどね。。)
実際に小泉氏が何を思ってこの行動に至ったのかは推測の域を出ませんが、
小沢氏的政策方針の叩かれ方は簡単には取り返しのつかない状況にあるし、小泉氏として直接安倍政権を批判する意図は無いんですが、今古賀氏だとか旧自民リベラル派が野党の革新系メディアで発言せざるを得ないみたいな昭和から見れば異様な状況があるんですよ。
(全ての原因は民主党の権力闘争にあったんですけどね、)
前段説明における「今時『共同幻想』どうこうじゃないだろうに」何か過度な認知で勿体無い事になるなんとかも出てきてるねって側面。
ここで細川氏を小泉氏が応援して「原発0」を打ち出せば丁度いいカウンターになる。
(ある意味小泉氏はそれは安倍政権のためにもなると読んでいるのじゃないかと、←深読みし過ぎでしょうかね。)
 ↑
ちょっとこの辺何の意味かご存じ無い方いらっしゃるかもなので補足しますと、
昭和の自民党は、対米政策的に裏で国対通じてる社会党とか公明党を利用してきました「この案じゃ野党を説得できない」みたいな。
(米国にしてもホワイトハウスは外交において「その案じゃ議会を説得できない」とかやってるだろうし)
民主主義の権力者にとっては「どちらの選択も可能な”なんとなく”『共同幻想』的な合理性」はそりゃ必要で(自らの政策の正当性担保も選挙という『共同幻想』的合理性ですから)、それが無いと自分の公約に縛られ過ぎていろいろ融通効かなくなる場面あります。
(小沢氏は悪訳泥かぶり役のやり過ぎで、逆に自分の求める政策が遠のくって悪癖ありますが、)

小泉氏個人には小沢を援護する意図は無いと思いますが、
時代が小沢氏に求めていた政治的スタンスの欠落を見て、政局的なバランスの回復を考えているのでは無いかと思うんですよ。小泉氏的には「俺はパージしずらいだろうよ」と自信もあるでしょう。
小泉氏は自民党内ハト派である旧田中派を(角福戦争のケリを付けるとばかりに)郵政民営化を梃に一掃した当該者ですからね。小沢氏とは別の意味で「各政党内でバラバラでは無く政策で政党が分かれた方がいい」を求めていたのも小泉氏であったことになります。(当時の自民内旧田中派が小泉氏小沢氏共通の敵であったのは皮肉ですが)
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posted by kagewari at 21:01 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

高寿命化の問題とベーシックインカム

経済学はなんだかんだと今後の焦点になるんだと思います。
■この件に関しては「現代社会のメンタル問題」が深く関係しているので、経済学的に後期資本主義国家の政策がどうあるべきかなんて話は心理学関係の話なワケです。
参考までにどこやらの北欧諸国では「高校のひとりぐらし資金援助」だとか「世帯の所得と関係の無い奨学金」などがあったりします。一件保守派の古典的経済学好きな人から見れば「ばら撒き政策」に見えるんでしょうけれど、大間違いでありまして、
前述の政策は「子供の進学などにおける家族権威の干渉から個人の自由を守る」って趣旨があるんであります。この辺は「高齢者介護政策における”家族でなんとしなさいよ保守層のナンセンス”」と非常に似た話かなと思います。
先進国で保守政策を無理強いしてもメンタル問題が過剰化するだけなんで(彼らが想定するより国家予算的にも費用がかかるだけでなく)、憲法上間違ってる事になります。←それこそ国民の財産と生命をなんて事で言えば国防上も間違いって事でしょ。

そんなこんなで経済のファンダメンタルは市場経済のまま(投資活動や金融サイドも)、所得分配の局面と汎用産業ロボットへの国民性番号割り付け的公共投資によるベーシックインカムってのは後期資本主義国家が進む政策として(右とか左とか関係無く)検討なり研究なりしていかないと話が始まらないのです。
勿論フリーエコノミーとの関係にしてもベーシックインカムは適合性が高いので単純にGDPなりの云々かんぬんに対しても有効性が高い。

■保守派のみなさんは重大な要素を見落としてます。
(しつこく言っておきますが俺は左翼じゃありません、)
『少子高齢化社会』の本質がわかっていない。
少子高齢化のバックグラウンドには「高寿命化」が心理的にも関係してます。
高度成長時代における核家族化もそれなりに社会変革の要素であったように、仮に家族同居を保守的に選択したとしても「ひ孫の子供は何ていうの?」じゃありませんが、もうね国語の問題でもあるんですよこれわ(笑
そんなもん『共同幻想』の前例にある筈も無く「孫がいるような世代間でも出産もできる」とかね、もうね『共同幻想』的なアブノーマルがノーマルとして直面してきてます。
ここにご存じ『単独者予備軍』である非婚晩婚シングル世帯の台頭が被っているのであり、
所得面で言えば日本の資産所得の大半が60歳以上の高齢者であるとかですね(勿論ここにニート世代の発現も関係している)、
もう過去の『共同幻想』保守の政策では対応できない世界なんですよ。
▲少子高齢化の話をもっぱら出生率ばかり問題視している人いますが、そりゃ一元的に過ぎる視野狭窄もいいところで、少子高齢化をバンバン加速させるのは「高寿命」の方です。
それこそ、年金制度「日本の平均寿命が150歳になったらどうすんの?」って考えればどこの小学生だって事の重大性に気が付くでしょう。
年金制度の世代的統計なんとか持ち出す必要もありません。生産者年齢が「22歳〜65歳」としても40年ですよ。寿命が150歳ならこれどうなりますか?人生の三分の1以下の積み立てなり貯金なりでだ、リタイア後(70歳リタイアだとしても)80年もあるんでっせ。
今現在でも100歳なら余裕で視野に入っている時にだね、30そこそこの年齢を「後20年もしたら自分の生存もそろそろだから子孫を」なんて思考はでてこんのです。
しかも同じ老後でも「子供が巣立って再び予備校生ライフみたいな老後が30年とか40年とか」そういう想定がある場合、子供なり夫婦生活のコアな時代(せいぜいが30年)それは自分の人生の中で3分の1だとか下手すると4分の1に過ぎません。

これさ、生産者年齢の問題をだ、保守派経済学ではどーーすんのと、
考えるまでも無く彼らは「じゃー80歳定年制で」とかになっちゃうワケ、
しかし企業的にもですね、仮に終身雇用だとした場合同じ人材が60年近く同じ職場とか無理過ぎなだけでなく「80歳になってまで社畜生活かよ」って話になります。
すると保守派は「50歳早期定年で新シニア労働市場でどうだろう」って事になるのかもしれません。
でもよ、これ500歳とかならどうするよ?
(この場合は350歳まで働けば誰でも有数の資産家になるって事になるので、以降は資本家って事でいいのかもしれないが←そういう話じゃないだろうにさ。)

■実際こういう話が出てきてます、
60歳の高齢者が20歳の若者に戻ることに匹敵する「若返り」がネズミによる実験で成功
http://gigazine.net/news/20131225-anti-ageing-human-trial/
遺伝経路操作で蠕虫の寿命を5倍に 人間に応用できれば500歳まで生きられる可能性も⁈と米研究機関が示唆
http://irorio.jp/sousuke/20131216/96028/


こういう時代を前にしてさ、ベーシックインカムがイカレタ左翼や過激な右翼の政策だとは言えないでしょうに。リンクの話に及ばなくても巷のTVショッピングの大半は「アンチエイジング系」なのは間違い無いのだし、時代がそっち向いているのは事実ですよ。
(あまり語られていないけれど「戦争で兵士の死を受け入れらない時代」にも高寿命化は関係していると思う。)
ここにノーベル賞のES細胞療法の各種実験も現在急速に研究されている。
「そこそこ視野に入ってきた話題」には違い無いんだわ。
前述の「なんだかんだで高齢者が自動的に資本家化する」構造と合わせて考えれば、現行高齢者の資産を赤字国債で交換して先行投資のベーシックインカム政策(産業ロボット投資含む)に切り替えるってのは自然な方向性だと思うんだけどね。
(更に無労働社会的意味の労働フリー化が進めば、所謂”正社員”の概念も無くなり放っておいても労働の流動性は次元の違うフェーズに移行する。NPOやNGOも爆発的に増える事になるしね、)

前から書いてきましたが、心理学的にも後期先進国社会が「不老不死を目指すのは必然の心理」ですよ、こりゃね。サイボーグ論じゃありませんが、今現在でもネットなどに残したテキストなんかは延々とどっかのサーバに残る可能性があり、これは記憶の一部電脳化に他なりません。又、PC使い過ぎで漢字は読めるが書けなくなってきたって話を随分頻繁に聞くようにもなってきてます。脳機能の一部電脳化なんで事実上今でも絶賛促進中です。(←遠く無い将来に「亡くなった方の過去ログ情報からAIがその人が生きていたらなんと言うかお答え機能付き墓地」とか登場しまっせ、)
死生観だけでなく、宗教観なるものも今のままでいけなくなるって事でもある。
人類ヒト科の自我にとって大変革なんですよ、
(だからメンタル問題が大規模に発現する現状は過渡期特有のもので、現象としてちっともおかしく無いワケ。)


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posted by kagewari at 17:35 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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