元からリアリズムであって”現実主義”として考えても現実そのものでは無くって「踏まえた」だとか「捉えかた」や「向き合い方」って事になるでしょう。リアリティーなんて事になれば「現実的の”的”」ですから全く現実じゃなくてせいぜいが「現実らしさ」です。
当たり前の話ですが、動機形成における想定って奴は未来の話なのだから現実そのものじゃありません。かといって現実は静止画像じゃないのだから(時間の流れを水にたとえれば川面を眺めているようなもので)「これです」と切り出せるものでも無い。
先、先、と半分”読み”つつも更に「その先」を想定する行為は現実の流れの中で現実の先を見ているのであれば行為として現実だと考える事もできる。
心理学であるとか「強迫心理」の説明で頻繁に『現実との乖離』の話が出てきますが、
専らこの話は「過去の認識と事実関係との確認」から説明される事になりますが、現場というか過去ではん無く現在・その時に『乖離』ってのはどういう状態になっとるのかと。
■ここで冒頭の話に繋がるワケです。
ぶっちゃけ「先、先、」レベルが荒唐無稽なのは無理あるとしても、「その先」をどう考えるのかってところはパスカルの賭けとかの話そのまんまなので、ぶっちゃけ「空想だのSF級の現実との乖離」あっても全然OKなんです。
(一瞬そりゃ「現実”離れ”」って事になるのでおかしくないか?とお思いの方いらっしゃるかもしれませんが、そうはならんのです。)
「○○の夢を”目指して”頑張ります」
「○○を目標に”向かって”頑張ります」
上記2例はどちらも「本当にそれを実現させようって思っているワケでは無い」事を明言してます。
(意思表明しているのは「方向」だとか「行先」について、)
せいぜいが「できたらいいなと思っています」という表明ですわね、
つまり「その先」の話だから(確率的には地球が滅亡している可能性だってあるんだから)荒唐無稽でもいんです、それは現実との乖離にならないんです。
更に言うと、乖離どころか(ここがパスカルの書けまんまですが)乖離している事を誰も証明できない。ひょっとして有り得る確率はあるんだから(それこそ地球滅亡だって)。
■モチベーション論でもあるんだけれども、
自分の動機形成における「馬の鼻の先にぶら下げたニンジン」ってのはさ、ライオンなんかで当てはめれば(狩り的に言えば成功する狩りの方が数は少ない)「あのバッファロー食おうか」という企画意図ですな(泥棒で言えば「次のヤマはあの現金輸送車だ」など)、「獲得利益の想定」さえあれば実現性に乏しくても動機形成は可能です。
で、この動機を実行するか否かの選択が”賭け”って事になる。
更に「人生は賭けである」って話に繋がるわけだ。(未来は誰にもわからないんだから)
現在行おうとしている行為の動機形成とその実行プロセスは「常に賭け」であって、
おばちゃんの「○○スーパーならもっと安いんじゃないかしら」とかだって立派な賭けです。
そこで、
言語学的見地としてだね「現実的なる方のリアリティー」で行くと、
『共同幻想』社会適応人格の場合、これは暗韻的に(間接的というよりモロ暗韻)『共同幻想的世界観との一致性があるか』を意味していて(現実ってものが『共同幻想』の枠内から外れない事)、むしろ「現実との乖離フラグ」になる訳だよ。
現実ってものの可能性をひとつの予め想定された枠組みに押し込めるって認識だからね。
(曰く『抑圧』プロセスと全く同じ)
しかし『共同幻想』社会適応人格の場合、乖離もクソも現実認知ってものが『共同幻想』の想定範囲内に無理しゃりにでも収まっていない事には「話が違う」って事になるため「現実との乖離があるんだがそれで仮想上の合理性は保たれている事になる」←無意識に『共同幻想』保守主義という政治思想を自分自身の主義主張として(賭けの中で)選択したことに”なっちゃっている事”を容認する形で事後承諾しているって自我プロセスになる。
(※これを覆すには「リベラル主義的抗弁」というような形で「抗(あらがう)姿勢」を取れば各論で突破可能なのだけれど=「自意識マターによる反抗」という概念を肯定できていないと「自意識共犯肯定」が変化する事は無い。)
てことはだ、
言語学的見地としての「現実主義的リアリズム」ってのはだ、
前述の乖離を「そりゃ乖離してんだろ」と批判的位置取りになってくると思うわけさ。
リアルに加工してんじゃネーぞとね。
(わかりやすく極端な表現にすれば「現実至上主義」だからさ、)
「この野郎、ひょっとしたら明日世界は滅亡するかも知れないってリアリズムをどういう立ち位置から堂々と否定してんだ、お前は神か?」←みたいな感じかな。
皮肉な事に「リアリティーよりリアリズムのが空想的だ」とも言える。
この辺のだね、一見論理矛盾しているように見えてそれが正解ってのわだ、極めて言語ってものがその論理性において『共同幻想寄りである』って事を表しているようにも思える。
そりゃ言語自体『共同幻想ツールの一種』なんだからさ、まーそうなんだけれど。
■<話は戻って>
「スゲー空想なのに現実から乖離していない”賭け”」←この概念をどう見るかなのさ。
時間軸との関連性が重要なんだけどさ、
心理学的に言えば頻繁に登場する「時制認知の問題」って言えばいいか。
前述『共同幻想』事例における典型的な現実との乖離話で言えば、「将来の可能性も『共同幻想』枠内なのである」というようなドグマによって「事実上現在により”枠の範囲だが”未来が規定されちゃっている」=時制の認知がズレているわけだよ。
(言い替えるとだ→未来と現実世界を混同している。)
この場合自分の言葉の論証っていうのかな〜、その証明は「あたかも未来の自分がそれを断じるような」形になるんよ。思考のベクトル的に、
自分の認知座標が『現実から乖離』しているよね。←そういうことよ。
「わかんネーぞ、ひょっとしてこんな事になるかもしれない」という思考は、実行行為としては(どんなに読みが深くても)空想なんだけれど、「可能性を示唆しているだけ」なんだわね。
常に「違うかもしんないけどさ」って暗韻含んでで言語が構成されている。
↑
こういうプロセスであれば、思考はどんなに飛躍しても『現実から乖離しない』のだよ。
「空想って現実だから」
(前述の『共同幻想事例』は「未来も『共同幻想』は健在」って”断定”なんだわ。)
動機形成における「そもそもの企画」ってのは常に空想なんだからさ(その取捨選択が”賭け”)、そこ余談や与件化された想定があっちゃいかん事になる。
(”読み”の部分の「能書き」としての余談や与件化ってのはアリだけれど、)
■『現実との乖離』度合ってのを測る尺度は、
「わかんネーぞ、ひょっとしてこんな事にあるかもしれない」という可能性が(読みによる空想的想定以外で)否定されずに担保されてっかって事に尽きるんです。
↑↓
▲なものだから勿論だが「強迫心理的思考」ってのは、
「○○に決まっている」「○○に違いない」が定番メニューですんで、ガチで『現実と乖離』していってしまうワケです。
あたかも別の時間軸というか別の世界線を生きている人みたいに「自我の時計(マシンの時刻設定の国が違ってるみたいに)」がズレてしまうと考えていんじゃないか。
5年先を考える時には「5年先から現在を」、来月の事を考える時には「来月から現在を」というように現在時刻が未確定なら未来にあたかも確定した状態で現在の自分を見下ろしているような図式です。
(※そのまんま『自我を超越的権威認知から抑圧する図』とはそういう事なんでしょう。リアリズムでは無く「強迫心理が設定したリアリティーの強要」という図です。)
なものだから、肝心要の「今現在への認知が激しく辻褄合わなくなる」のであり(未来の設定に無理があるため)、自意識が後追いするようにこれを『自意識共犯』の恰好で追認していく流れですね。
だから「強迫心理的思考」の時って、理由や根拠が後から出ててくる傾向にある。
■逆に言えば『単独者』的な自我の場合、空想半端ない事もアリアリなので(それがリアリズムである)、普通にサブカルっていうか(メジャーに対してインディ系なのだからむしろサブカルじゃないと構造論的におかしい)、バカばっかりな結論になるのであり、
「バカだなあ」という賞賛と「実存主義における不条理による証明や”反抗”というような世界」とそこで符号するんですよ。符号というか一致というかね、
立ち位置が間違いなく”今現在”だからアホみたいな話に花が咲くという論理です。
※最後に岸田心理学における『唯幻論』との関係で言えば、唯幻論は自我の認知そのものに対する意味と同時に(岸田心理学時代は『共同幻想』との関係を主に論じたものなので)共同幻想下における構造的「強迫心理構造」があるが故の幻想ですよって(所謂メンタル問題に限らずというところがポイント)話の基調にあって、「それは幻想か空想か」と言葉にするとわかるとおり「前者は認知においてパッシブであり後者は当事者主体が明瞭なアクティブな認知である」って話をすればその関係もわかりやすいかと思う。更に言えば「空想する主体がリアリズムである」とするならば、それを俯瞰から観察するとそれも現象として幻想って事になるので、何か殊更『唯幻論』の文言までどうこうするような話では無い。
<10/5追記編集>
加えて、岸田心理学には「理論的には現実から乖離した幻想を周囲が共有化して『共同幻想』として成立させてしまえば」って仮説が語られているぐらい立ち位置は『共同幻想』と個人の自我の関係性から語られているけれども、ここは経済学で言うところのマクロ分析の話で(ミクロのフロイド心理学にマクロ的視点を持ち込んだのが岸田心理学の真骨頂なので)、ここでも言わんとしているのは『乖離』をどう合わせるかって論点になる。(この仮説は周囲のマシンの時間調整も全部ズレてるマシンの時間に合わせちゃったらみたいな、あえてナンセンスな仮説を提示しているんだが、)
つまり「リアリティー」の担保を狙った場合の説明だね。
この”無茶な仮説”は実存主義における「リアリズム(単独者系)」と(『共同幻想』における「リアリティー」)の違いがわかりやくすく理解できる対比になっているかなと思う。
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2013年10月03日
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