そのままの意味で「現実」でも通るって言えば通るんだが、
人類ヒト科の視界やら他五感で認識されているイメージもこの時点で偏っている。
360度の視界のある生き物だっているし超音波で対物感知している生き物もいる人間の目をレンズにたとえると35oって話があるように、これが広角や望遠レンズに変わるだけでも世界は変わる。
これはひとつのイメージであり、
だからこそ絵画の世界は「より実存する現実」を求めて(2次元の世界に)古代から延々といろんな挑戦をしてきているのだし、
映画なんてもののリ”アリティー(現実性や現実的)”などはもっと大胆で、人の一生をモンタージュなどの技法と、背景音楽付きで表現しますが、
「なんだ2時間じゃねーか」だとか、
「こんな時後ろで音楽なんかかかってネーよ」などの不平を口にする人は少ないです。ゲームの演出もそうですがドラマには音楽が欠かせなくなっており、
実際みなさん音楽ってものを聴く時に「その気になって聴いてる」状態ですよね。
「こんな音自然界にはネーっす」とか言う人はほとんどいない。
そうなると、
「果たして人の脳内において現実はどれだけの状態で認識されているのやら」と想像もつくというワケです。
■「誰しも”かなり”ハチャメチャな状態ではなかろうか」と、
(背景音楽かかってたり、記憶がモンタージュ的に編集されていたり、何故か登場人物が俳優的美形化デフォルメのフラグ立てていたり、)
事実人は芸術において壮大な交響曲やら名画のコレクションやらで恍惚と何かを感じるのであり(それが愚にもつかぬ空想であればそうは楽しめない)、
思うにその表現された何かは「イデア」に近づいているのか、或いは脳内の”それ”をあたかも言い当てるかのように表現していることになるのだろう。
哲学的に見れば「イデア論」(その後のアイデア)の着想からして、
これは素で見えている現実への疑問というか、
それとは違うところのなんとやら的格闘が話のメインになります。
(平たく言えば曖昧な現実云々ではなく真実は何みたいな問答ですね、)
これに対して冷徹なリアリズムってのは、
言うならばジャーナリズムですよ。
ドキュメンタリー映画でもいいです。
必ずしも執筆者や監督が個人的意見をそこに含めていないのではありません。
ジャーナリズムやドキュメンタリーにおけるリアリズムは「専ら”情報の羅列”とその解釈に特化する事」で担保されてます。
ドラマのような「終わり(エンディング)」もありません。
芸術のアプローチも同じですが方向性が違う。
「ひたすら違うんじゃ無いかと追及し続ける姿勢」そのものがジャーナリズムであったりドキュメンタリーであったり芸術だと言い換える事もできるでしょう。
だとするならだよ?
(昭和の表現で大変申し訳ないのだが)
明日のジョーにおける台詞じゃないが「明日(現実)はどっちだ?」。
ここで芸術におけるイデア論的アプローチをですね、
「現実逃避と呼びますか?」
言いませんよね。
(鉄板で共同幻想に価値認定されている場合には特に)
ところがやれゲーム世代だの、ネット依存だの言葉はどうでもいいですけどね、自分にとって都合の悪い”表現”なり自分が興じている芸術なぞの価値をあざ笑うかののうな「その時代のサブカル」に対しては『常に現実逃避のフラグ』がついたりします。
(ビートルズだって出だしの頃はさんざな言われ方だったのであり、そんなロックに興じる若者は「現実逃避している」と当時は言われたワケです。←この価値がひっくり返ったのはビートルズが女王陛下の前で演奏してからなんでしょう。)
■心理学的な意味での現実逃避ってのは「強迫心理にのまれる」事であり、
現象としては「自己嫌悪という反動的且つ逆転的な興奮にナルチシズム的に固着してしまうこと」なのであって、
本人が「こりゃ面白い」と興味を惹かれて楽しむなり感動するなりの行為は決して『現実逃避ではありません』。
たとえそれが映画マニアだろうとゲームマニアだろうとアニメオタクだろうと「事の本質というかサブカル世界を認識していればアリアリ」なのです。
(注:映画マニアな人ほど強い批評性があり「リアリティーに欠ける」など言うわけで、求めているのはこの場合も現実なのであって、現実から逃避している人が「リアリティーに欠ける」などの批評をしますかっての。)
さてここでひとつの仮説が成り立ちます。
■『共同幻想は組成としては強迫心理である』
厳密に言えば共同幻想は多数決的リテラシーで合理化されているのでそのままでは一概に「強迫心理」と言えないが構造は強迫心理と何ら変わらない。←『共同幻想社会』がそれでも壊れないのは”インセンティブ”がセットになっているため。→つまり交換条件によりこれは均衡している。
(『共同幻想』における”インセンティブ”とはお祭りや(旧時代は事実上の乱交パーティー)、権威による認定(IDの付与)=安全保障など。)
(勿論当該自我が『単独者』の場合疑いも無く『共同幻想は強迫心理』と何rな違わない:単独者には『共同幻想』の多数決的合理性が無効であるため。)
ところが『単独者』であったりその予備軍である『共同幻想崩壊過程の離脱者』にとって、『共同幻想』は強迫心理でしかない。
つまり、
『現実逃避』なる言葉を、前述の定義から現代社会に照らし合わせると、
「もう既に崩壊している『共同幻想』の中で、(これを素で批判的に認識できず)自己嫌悪的にこれに依存するように無理な適応を続けている”どっちつかずな人達”」となります。
言い替えれば変にまともを装う事のがベタな『現実逃避』であって、
(いえいえい当該人物がハートマン軍曹並みに筋金委入りの『共同幻想ニストな方』であれば全く違いますが、)
■こう考える時「現実ってなんだろう」と思うワケです。
(ここは生物学的意味から乖離して「人間」なる得体のしれない抽象概念を中途半端なままにあれこれしているのとよく似た話なのですが、)
現実ってのは「わからないもの」なのでしょう。
わからないから永遠に興味を引き続ける。
(芸術においては無限の表現がある)
ここは時制で考えてみればいいのです。
現実なる止まった次元は存在しません、
時間は常に流れていますから、補足した瞬間それは過去でありもう現実ではありません。
言うならば現実なんてものは『パスカルの賭け』的に未来を受けるというか(時間の波を海の波になぞらえればサーフィンをしていて先の波を見ているように)、時間に挑むような”形”(或いは構造)なのであって、
(なのでアクディブを『抗(あらがう)』と捉えるのがピタッとくる)
「現実とは時間に対して挑むような形なのであって(『抗(あらがう)』)、現実という事象が存在するのでは無い」
単独者の場合は特別説明しなくても話は難しくないので省略。
↓
現代社会では稀な存在になりつつある『共同幻想ニスト』における現実ってものでこの話をしめますか。
「『共同幻想』にとっての現実とは保守本道(の本質)を追い求め続ける事である。」となるんでしょうね。
ですから”保守”なる思想哲学を曖昧にする(否定論肯定論含む)『共同幻想』は似非(現実逃避も同様)だって事なんでしょう。
(現代社会では「適応しただけの『共同幻想』」はもうほとんど”前崩壊段階”のような形でしか現状を維持できなくなっている。)
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2012年07月27日
2012年07月19日
『喫茶店論』
案外この喫茶店なる要素は重要なのです。
メンタルな問題がある場合、その後『共同幻想協調人格』を選択するにしても『単独者型人格』を選択するにしても、経過期間中は「仮想反抗期=リハビリ過程」となりますので、想定として”思春期時代の印象”に被るところ少なくありません。
みなさん思い出してみてください、
中学高校の頃「ひとりで喫茶店に行く」ってどういう世界だったでしょう。
人によっては大人びたというイメージだったかもしれないし、贅沢って意味だったかもしれません。
どちらにしてもそこには(前提として実家には同居家族が関わるので)「ひとり感の強さ」が観察されます。
(※中には経験的に「生まれてこの方ひとりで喫茶店に入ったことなどない」なんて人もいるかもですが、、)
昭和の時代であればそこには(法律論はちょっと横に置いておいて)「煙草」がありました。(喫茶ってぐらいなもんですから)
ぼーっと考え事をするなり、お気に入りの文庫本を読むなり、喫茶店のラックから漫画や雑誌スポーツ新聞って人もいるでしょう。
見方を変えればですね、この喫茶店のボックス席の空間は「自室と違う意味のプライバシーエリア」になります。
(※インターネットにおける”匿名性”がちょっと被っている←その店における不特定多数の個人のひとりに過ぎないため)
■ここで「引き籠り問題」と重ねてみます
「引き籠り」という言葉の暗韻は「家族同居の自室に引き籠る」でありまして、
一人暮らしのアパートに引き籠るってのはちょっと違うワケです(←これは出不精とも言いますから)、
確かに「自室アパートに引き籠る」というケースもあるんですが、これは「会社を無断欠勤し」などのように(あたかも家族同居における外部空間同様の)想定されている生活動線があたかも常識化している場合で、
大学生活みたいに「まーいってもいかなくてもいいような」外部条件であれば、自室アパートに籠っていても「言っても出不精」です。
なんと言えばいいですかね、
前述説明における『引き籠りが成立する条件』なるものの対局が『喫茶店』なんです。
↑
これじゃ意味がわからないか(笑
どう整理すりゃいいでしょうかね、、
”想定される日常の枠組み”
→その心象をデ・コードすると
”半ば強制されている生活の枠組み”
これを拒絶するから「引き籠り」と言うワケで、
(なので「いってもいかなくてもいい大学生間なんて背景では自室に閉じこもってもせいぜいが出不精ってことになる」)
その反対に『(ひとりで)喫茶店でもいっか』てのは「完全に自分の好き勝手な行為」でありまして(バックグラウンドの”想定”やら”強制”やらの外にある行為です)、
しかも外交性の行動である。
(出不精を押して出るワケで、)
つまりですね、
メンタルな問題(時に『被(こうむる)』状況の恒常化の事)、
ここの対抗軸は『抗(あらがう)』ですから、
(『抗(あらがう)』対象は”想定”やら”強制”やらです)
↓
■『(ひとりで)喫茶店でもいっか』てのは
逃れようの無い『抗(あらがう)』系の動機形成なんですわ。
普段の生活でメンタルがどうもアレかもな時には、
(前回の煙草論も読んでください)
『(ひとりで)喫茶店でもいっか』によって問題回避できる可能性かなるあるのではないかと思うワケです。
ネタバレすればですね、
それこそ「ひとりでフロイド・カウチソファ」だからですよ(笑
心療ナントカではまず言えない事なんだろうと思いますが、
「ひとりで喫茶店とかいって珈琲注文して煙草吸ってポカーンとかしてますか?」
本当はね、こういうのアリなんだけどね。
嫌煙ブームの現代社会じゃ言い難い事になってるけどさ、
(これはオマケだけれども、「地域に感じのいい喫茶があって、尚且気ままに喫茶店に行く文化が根付いている場合メンタル問題発症率に変化はあるか」的な検討なり検証なりとかも無いじゃ無いテーマだと思うんだがね。どうだろう、)
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メンタルな問題がある場合、その後『共同幻想協調人格』を選択するにしても『単独者型人格』を選択するにしても、経過期間中は「仮想反抗期=リハビリ過程」となりますので、想定として”思春期時代の印象”に被るところ少なくありません。
みなさん思い出してみてください、
中学高校の頃「ひとりで喫茶店に行く」ってどういう世界だったでしょう。
人によっては大人びたというイメージだったかもしれないし、贅沢って意味だったかもしれません。
どちらにしてもそこには(前提として実家には同居家族が関わるので)「ひとり感の強さ」が観察されます。
(※中には経験的に「生まれてこの方ひとりで喫茶店に入ったことなどない」なんて人もいるかもですが、、)
昭和の時代であればそこには(法律論はちょっと横に置いておいて)「煙草」がありました。(喫茶ってぐらいなもんですから)
ぼーっと考え事をするなり、お気に入りの文庫本を読むなり、喫茶店のラックから漫画や雑誌スポーツ新聞って人もいるでしょう。
見方を変えればですね、この喫茶店のボックス席の空間は「自室と違う意味のプライバシーエリア」になります。
(※インターネットにおける”匿名性”がちょっと被っている←その店における不特定多数の個人のひとりに過ぎないため)
■ここで「引き籠り問題」と重ねてみます
「引き籠り」という言葉の暗韻は「家族同居の自室に引き籠る」でありまして、
一人暮らしのアパートに引き籠るってのはちょっと違うワケです(←これは出不精とも言いますから)、
確かに「自室アパートに引き籠る」というケースもあるんですが、これは「会社を無断欠勤し」などのように(あたかも家族同居における外部空間同様の)想定されている生活動線があたかも常識化している場合で、
大学生活みたいに「まーいってもいかなくてもいいような」外部条件であれば、自室アパートに籠っていても「言っても出不精」です。
なんと言えばいいですかね、
前述説明における『引き籠りが成立する条件』なるものの対局が『喫茶店』なんです。
↑
これじゃ意味がわからないか(笑
どう整理すりゃいいでしょうかね、、
”想定される日常の枠組み”
→その心象をデ・コードすると
”半ば強制されている生活の枠組み”
これを拒絶するから「引き籠り」と言うワケで、
(なので「いってもいかなくてもいい大学生間なんて背景では自室に閉じこもってもせいぜいが出不精ってことになる」)
その反対に『(ひとりで)喫茶店でもいっか』てのは「完全に自分の好き勝手な行為」でありまして(バックグラウンドの”想定”やら”強制”やらの外にある行為です)、
しかも外交性の行動である。
(出不精を押して出るワケで、)
つまりですね、
メンタルな問題(時に『被(こうむる)』状況の恒常化の事)、
ここの対抗軸は『抗(あらがう)』ですから、
(『抗(あらがう)』対象は”想定”やら”強制”やらです)
↓
■『(ひとりで)喫茶店でもいっか』てのは
逃れようの無い『抗(あらがう)』系の動機形成なんですわ。
普段の生活でメンタルがどうもアレかもな時には、
(前回の煙草論も読んでください)
『(ひとりで)喫茶店でもいっか』によって問題回避できる可能性かなるあるのではないかと思うワケです。
ネタバレすればですね、
それこそ「ひとりでフロイド・カウチソファ」だからですよ(笑
心療ナントカではまず言えない事なんだろうと思いますが、
「ひとりで喫茶店とかいって珈琲注文して煙草吸ってポカーンとかしてますか?」
本当はね、こういうのアリなんだけどね。
嫌煙ブームの現代社会じゃ言い難い事になってるけどさ、
(これはオマケだけれども、「地域に感じのいい喫茶があって、尚且気ままに喫茶店に行く文化が根付いている場合メンタル問題発症率に変化はあるか」的な検討なり検証なりとかも無いじゃ無いテーマだと思うんだがね。どうだろう、)
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2012年07月12日
そろそろ煙草の話をしてもいいのじゃないかと
一時の嫌煙ムードは凄まじかったですから、喫煙の話をする事自体「どこか後ろめたい」なんてところありましたが、
一部でトンデモ系とも批判されつつこういう話では一種防波堤にもなっていらっしゃる武田邦彦教授が頑張ってくれているので(笑
お医者さんの窓から見た社会・・・タバコを医師が禁止する理由
http://blogos.com/article/38966/
妥当なタバコ・マナー運動とタバコ健康指導は?
http://blogos.com/article/39350/
副流煙・・・受動喫煙について(その1) 女性の肺がん(腺がん)
http://blogos.com/article/38592/
(勿論論議は様々でしょうが”こういう分析もある”っちゅう話)
幾分煙草の話もしやすくなったかなと。
煙草と言えば「ネイティブアメリカンが戦いでは無く和平の会議を円満に」と喫煙しながら部族定例会議をしていたなんて逸話から”リラックス”の作用がある事が知られています。
勿論強い習慣性もありますが、ハリウッド映画の「悪徳タバコ企業の陰謀」とかみたいなレベルで言えば、様々な添加物の方が疑わしいのであり(私も高級煙草には手が出ませんが無添加で知られているナチュラルアメリカンスピリット吸ってます)、特にメンタル関係などの事例に関わっていると「下手な薬物飲むよりよっぽど安全でしょうに」と思うワケです。
薬物処方する前に「煙草吸ってますか?」ぐらい言っても間違いでは無いと思うのだけれど、まず無理だろうね(笑
心理学的にどうよって考えますとですね、
『自意識マター』全開なんて場面はイメージ的には随分と集中力も最大化しているだろうから”煙草でリラックス”とか違うのでは無いか?と思う方もいらっしゃるでしょうが、これは違うのです。
『自意識マター』やら、『(想定では無く)現実への集中力』にもっとも重要なのは平常心でありまして「アンチ興奮」なんですよね。
効用としてリラックスに何を求めているのかと言えばそこなんですよ。
(ネイティブアメリカンの伝説話もそうです)
過緊張と集中力は反比例するものですし、
思考がごちゃごちゃしてきた時に「うーんとちょっと待てよ」と『頭を整理する』なんて言うじゃ無いですか、
こういう時に喫煙は確かに有効であると考えてます。
(防波線張っておきます「私はタバコの特徴を説明しているのであって、決して喫煙を勧めているものではありません」←ココ間違わないように。)
更にもう一段リラックスを求めるなら珈琲という追加選択もあります。
人によっては飲酒でリラックスできると主張の方もいらっしゃるかもですが、あれはハイになって余計な事を忘れて寝るみたいな方向の話であって、『現実への集中力』ってよりは『楽しい事への集中』とかなので全然方向性が違う話かと。
昔文豪と言えば煙草をイメージさせたように、物を考える時や論議が宴たけなわな時に煙草ってスタイルが昭和では定番だったのは疑いようの無い事実です。
(飲酒の場合でも難しい話になり始めたら煙草が登場したもんです)
昭和刑事ドラマで犯人が自白する時も煙草でしたね。
キャッチコピー的に言うならば「自意識と煙草」とでも言いましょうか、
(刑事ドラマネタをもうひとつ入れると確か薬中がなんとか正気に戻ろうとする時のアイテムも「珈琲と煙草」じゃなかったスかね。)
※関連として鬱や恐怖症とかの類の状況を緩和する効果もあると思うんだが、
そして現代社会の『嫌煙思想』の存在、
(武田教授もこの点「日本人の心の問題」と指摘してますが)
現代社会の『嫌煙思想』は一種の『共同幻想』に他ならないのであり(『嫌煙思想』と健康のために禁煙とかは別の話)、共同幻想特有の「合理性の担保」を”権威””科学””倫理”などが比較的異論無く揃うというナチュボーンな共同幻想ネタなワケで、下手すりゃ放っておいても”鉄板の常識”として『共同幻想』になるような話。
↑
言い難いけどさ、
「この時点でちょっといかがわしいんだわ(本当に)。」
そらトレードオフ的に「メンタルな問題への効果と健康被害や周囲の嫌煙との間でトレードオフが成立するのか」って聞かれりゃ正直なところ人それぞれだからわからんけどさ(笑
ここで言うトレードオフってのは病院で処方される投薬の前に「煙草でもいくらか問題緩和すんじゃないか」という部分では(手順的に)トレードオフ成立しているでしょう。
煙草の次に珈琲追加って方法もあるのだし、
■何を暗示しているのかと言うと
『喫茶店』ですよ。
<つづく>
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一部でトンデモ系とも批判されつつこういう話では一種防波堤にもなっていらっしゃる武田邦彦教授が頑張ってくれているので(笑
お医者さんの窓から見た社会・・・タバコを医師が禁止する理由
http://blogos.com/article/38966/
妥当なタバコ・マナー運動とタバコ健康指導は?
http://blogos.com/article/39350/
副流煙・・・受動喫煙について(その1) 女性の肺がん(腺がん)
http://blogos.com/article/38592/
(勿論論議は様々でしょうが”こういう分析もある”っちゅう話)
幾分煙草の話もしやすくなったかなと。
煙草と言えば「ネイティブアメリカンが戦いでは無く和平の会議を円満に」と喫煙しながら部族定例会議をしていたなんて逸話から”リラックス”の作用がある事が知られています。
勿論強い習慣性もありますが、ハリウッド映画の「悪徳タバコ企業の陰謀」とかみたいなレベルで言えば、様々な添加物の方が疑わしいのであり(私も高級煙草には手が出ませんが無添加で知られているナチュラルアメリカンスピリット吸ってます)、特にメンタル関係などの事例に関わっていると「下手な薬物飲むよりよっぽど安全でしょうに」と思うワケです。
薬物処方する前に「煙草吸ってますか?」ぐらい言っても間違いでは無いと思うのだけれど、まず無理だろうね(笑
心理学的にどうよって考えますとですね、
『自意識マター』全開なんて場面はイメージ的には随分と集中力も最大化しているだろうから”煙草でリラックス”とか違うのでは無いか?と思う方もいらっしゃるでしょうが、これは違うのです。
『自意識マター』やら、『(想定では無く)現実への集中力』にもっとも重要なのは平常心でありまして「アンチ興奮」なんですよね。
効用としてリラックスに何を求めているのかと言えばそこなんですよ。
(ネイティブアメリカンの伝説話もそうです)
過緊張と集中力は反比例するものですし、
思考がごちゃごちゃしてきた時に「うーんとちょっと待てよ」と『頭を整理する』なんて言うじゃ無いですか、
こういう時に喫煙は確かに有効であると考えてます。
(防波線張っておきます「私はタバコの特徴を説明しているのであって、決して喫煙を勧めているものではありません」←ココ間違わないように。)
更にもう一段リラックスを求めるなら珈琲という追加選択もあります。
人によっては飲酒でリラックスできると主張の方もいらっしゃるかもですが、あれはハイになって余計な事を忘れて寝るみたいな方向の話であって、『現実への集中力』ってよりは『楽しい事への集中』とかなので全然方向性が違う話かと。
昔文豪と言えば煙草をイメージさせたように、物を考える時や論議が宴たけなわな時に煙草ってスタイルが昭和では定番だったのは疑いようの無い事実です。
(飲酒の場合でも難しい話になり始めたら煙草が登場したもんです)
昭和刑事ドラマで犯人が自白する時も煙草でしたね。
キャッチコピー的に言うならば「自意識と煙草」とでも言いましょうか、
(刑事ドラマネタをもうひとつ入れると確か薬中がなんとか正気に戻ろうとする時のアイテムも「珈琲と煙草」じゃなかったスかね。)
※関連として鬱や恐怖症とかの類の状況を緩和する効果もあると思うんだが、
そして現代社会の『嫌煙思想』の存在、
(武田教授もこの点「日本人の心の問題」と指摘してますが)
現代社会の『嫌煙思想』は一種の『共同幻想』に他ならないのであり(『嫌煙思想』と健康のために禁煙とかは別の話)、共同幻想特有の「合理性の担保」を”権威””科学””倫理”などが比較的異論無く揃うというナチュボーンな共同幻想ネタなワケで、下手すりゃ放っておいても”鉄板の常識”として『共同幻想』になるような話。
↑
言い難いけどさ、
「この時点でちょっといかがわしいんだわ(本当に)。」
そらトレードオフ的に「メンタルな問題への効果と健康被害や周囲の嫌煙との間でトレードオフが成立するのか」って聞かれりゃ正直なところ人それぞれだからわからんけどさ(笑
ここで言うトレードオフってのは病院で処方される投薬の前に「煙草でもいくらか問題緩和すんじゃないか」という部分では(手順的に)トレードオフ成立しているでしょう。
煙草の次に珈琲追加って方法もあるのだし、
■何を暗示しているのかと言うと
『喫茶店』ですよ。
<つづく>
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2012年07月09日
サイト構成にいくつかの改変を行いました
主な改変は『公開掲示板』の新規相談受付停止に関係するものです。
掲示板に管理人告知した内容を下段にコピペしておきます、
この趣旨を補足説明しておくと、
やはりOTD掲示板の閉鎖が大きいですね。
一種の錯覚というか、以前のサイト構成は”HP”と”OTD有料レンタル掲示板”が両立していて(それこそ掲示板サイトというのは古い時代のブログみたいな代物でしたから)、『公開掲示板』がHPから無料版として独立して見えるような構造になってたんですよ(URLからして全然違うワケだから)。
その関係もあってOTD時代は「発言のハードル」も低かったのかなと、
そのOTDが閉鎖の関係で(今思い出しても便利な掲示板でした)、通常のCGIで動作する掲示板をHPに設置したのですが、構造上「正真正銘HPコンテンツの一部」となりましたし(HPのメール相談は有料ベースですから)、SEO的に発見されにくくなったところもあるのだろうけれど「発言のハードル」も上がった側面もあるかなと。
同時にログの閲覧可能な公開性という点でも『過去ログ』は普通に大学などで研究ベースに使える分量もあろかという規模ですから、もう十分でしょう。掲示板機能は生きているので簡単な質問があれば答えますが、いわゆるひとつの「通常の掲示板用途となった」という事です。
(※過去ログページも専用に起こしたのでブログベースの『過去ログ検索ボード』は削除します)
■結果として簡易相談のニーズをどうやって残すかって事で、有料に『簡易相談コース』を設置して、この簡易相談との整合性を取るために他のコースもバランス取って調整したって感じです。
各コースの改変は回数短縮化と料金の低額化なんだけれども、一番重要な変更は「相談間隔の調整」にあります。以前明示しているのは”最短の場合”なのだけれど、この相談感覚が誤解を招くというか『進行が壊れる(反動的な強迫心理保存系の依存的送信)』可能性があるかなと→「相談間隔を空けて回数を減らす」。
この改変はかなり建設的なものじゃないかしらと思ってます。
(間隔を空ける『一拍置く』は相談一回分に相当するかってぐらい重要なので)
↑
そもそもログが残るところがメール相談のキモなので、資源の有効利用というか優位性の立て方的にわかりやすい結論に思う。
http://kagewari.cside.com/kage2.htm
■このブログもカテゴリ的に「心理学テキスト」増やす方向で考えてはいるだけれども、現在HPの方の心理学テキストを完成させて→更にまとまった形で別途心理学テキストの作成を考えているのでここはもうちょっと煮詰まってからお知らせします。
掲示板に管理人告知した内容を下段にコピペしておきます、
この趣旨を補足説明しておくと、
やはりOTD掲示板の閉鎖が大きいですね。
一種の錯覚というか、以前のサイト構成は”HP”と”OTD有料レンタル掲示板”が両立していて(それこそ掲示板サイトというのは古い時代のブログみたいな代物でしたから)、『公開掲示板』がHPから無料版として独立して見えるような構造になってたんですよ(URLからして全然違うワケだから)。
その関係もあってOTD時代は「発言のハードル」も低かったのかなと、
そのOTDが閉鎖の関係で(今思い出しても便利な掲示板でした)、通常のCGIで動作する掲示板をHPに設置したのですが、構造上「正真正銘HPコンテンツの一部」となりましたし(HPのメール相談は有料ベースですから)、SEO的に発見されにくくなったところもあるのだろうけれど「発言のハードル」も上がった側面もあるかなと。
同時にログの閲覧可能な公開性という点でも『過去ログ』は普通に大学などで研究ベースに使える分量もあろかという規模ですから、もう十分でしょう。掲示板機能は生きているので簡単な質問があれば答えますが、いわゆるひとつの「通常の掲示板用途となった」という事です。
(※過去ログページも専用に起こしたのでブログベースの『過去ログ検索ボード』は削除します)
■結果として簡易相談のニーズをどうやって残すかって事で、有料に『簡易相談コース』を設置して、この簡易相談との整合性を取るために他のコースもバランス取って調整したって感じです。
各コースの改変は回数短縮化と料金の低額化なんだけれども、一番重要な変更は「相談間隔の調整」にあります。以前明示しているのは”最短の場合”なのだけれど、この相談感覚が誤解を招くというか『進行が壊れる(反動的な強迫心理保存系の依存的送信)』可能性があるかなと→「相談間隔を空けて回数を減らす」。
この改変はかなり建設的なものじゃないかしらと思ってます。
(間隔を空ける『一拍置く』は相談一回分に相当するかってぐらい重要なので)
↑
そもそもログが残るところがメール相談のキモなので、資源の有効利用というか優位性の立て方的にわかりやすい結論に思う。
http://kagewari.cside.com/kage2.htm
■このブログもカテゴリ的に「心理学テキスト」増やす方向で考えてはいるだけれども、現在HPの方の心理学テキストを完成させて→更にまとまった形で別途心理学テキストの作成を考えているのでここはもうちょっと煮詰まってからお知らせします。
1)『公開掲示板』における新規の相談依頼の事実上停止
「公開掲示板の過去ログ」が閲覧目的の公共性などの点で十分以上の内容に達している事。
そして公開掲示板自体OTD掲示板閉鎖以降”サイト内掲示板”として以降し継続していますが、
kagewari精神分析相談事務所自体有料相談サイトという事もああって”web構造上”新規の投稿が無くなっている事。
(OTD掲示板を有料契約で運営していた当時は「掲示板が単体で独立して存在しているように見える」とこともあったと思います)
よって今後も公開掲示板の無料運営を継続するより「有料でも簡易に相談可能なコースの設定」の方が実際の利便性からも適切であると考えられる。
『公開掲示板』への相談書き込みは「公開討論会発言的ハードル」がありますから無料であっても必ずしも公平性を担保できない部分もある。
↑
上記理由から『公開掲示板』は機能は残しますが「新規の相談受付を停止」します。
2)公開掲示板の無料運営の停止に応じる形で有料相談に『簡易相談』のコースを設置
詳しくは有料相談依頼専用ページを参照いただくとして、
http://kagewari.cside.com/kage2.htm
ザックリ説明しますと、
当初から「誰もがプライバシーの保護など公開掲示板に書き込める」とは言い難いところもありました(前述のように公開掲示板での相談には「公開討論会での発言的ハードル」があります)。
これまでの有料相談の構成は「簡易な相談は無料で」を背景に単価的にも気安く相談できるコースが無い一面もあるため『簡易相談』のコースを設置します。
■1回のみでも相談可とし(1回のみの場合2500円)基本構成は4回までの『簡易相談』コースになります
(個別事例に心理学的見解を求める的な簡易相談)
3)ブログベースの『過去ログ検索ボード』の閉鎖
これはOTD閉鎖に伴い過去ログをHTML保存した時から将来的には閉鎖の予定だったものです。
ほとんど「過去ログをHTML保存」により機能を満たしているため、ブログベースの『過去ログ検索ボード』は閉鎖とし、HPに過去ログ専用ページを設置する事とします。
http://kagewari.cside.com/kage_OTD.htm
4)有料コース全体の見直し
コースのセット回数が非公式な消化等を助長する可能性もあるため(依存的に相談を短期間で繰り返してしまうなど)、逆に回数をコンパクトにして料金減額をする方が適切且効果的であると判断しました。
注)実質的な一回当たりの料金が割安になる訳ではありません
■■■今後の公開掲示板の運営について■■■
書込み機能は停止しません。
個別の相談依頼や分析依頼にお答えする事はできませんが「サイト運営上の質問」であるとか「一般論としての心理学的な質問」には今後も返信を付ける予定です。
(完全に掲示板を解放し”自由討論可能な場”とする予定はありません。)
2012年07月06日
あえて政局
小沢氏の話じゃありません。
自民党がガタガタなんです、
ここは半ば小沢氏の読みだった部分でもあるのですが、
下記リンクに登場するジャーナリストの田中良紹氏が以前から論説している「日本の政治家は以前から官僚の差配によって政治資金を得てきた」という部分が関係してます。
(簡単に言えば官僚が設定した業界規制に関してロビー活動する対価に業界から政治資金を集める一種の出来レースで、間接的に官僚が政治資金を族議員に分配ししているという構図で、単純な利権がどうこうって話ではありません。)
田中良紹氏の論説でわかりやすかったのは田中角栄論における「金権だとか利権だとか言われたが、田中角栄を評価する上で重要なのは利権と言われようが金権だろが彼が政治資金を官僚に依存することなく調達した事」にある。
その系譜に属する小沢氏が何故官僚と対峙できるのかと言えば”そういう意味”と言う事。
(田中ロッキードを見て小沢氏は小選挙区制と政党交付金による選挙制度によって脱官僚を目指した。)
言うならば55体性の自民党・社会党というのは官僚に飼われていた形に近い存在だったのであり、そういう官僚依存で政治活動している構造を(与党も野党も)壊さない限り日本に民主政治はあり得ないと小沢氏が考えた事に始まる。
■さて自民党に話を戻すと
元から党の体質が官僚依存だった事もあり、「とにかく政権与党じゃないと食えない」政党になってしまっていて(公明党との協力無しに選挙ができなくなっていたり他にも依存的体質はある)、すっかりバイタリティーを失った実情がわかりやすく見え始めている。
除名処分を迫る自民党の愚かさ
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/06/post_305.html
自民、中川氏を役職停止6か月…採決欠席で処分
http://news.livedoor.com/article/detail/6723309/
↑
この辺どこで報道されたのかわからないぐらい小さい扱いだったと思われなのですが、自民党内にも相当数の増税反対派はいたのですが(郵政の尻すぼみも凄いが)、中川氏が”ひとり”みたいな体たらくはもうなんといったらいいのやらで、、
党内どこでもそうですが性格の違う「参議院自民党」はもう少し反発あるのでしょうが、どこまで期待できるのかなんともで、
いえいえ自民党に増税法案反対の云々を期待しているという意味ではありません。
党内論議として(民主の論議が大荒れだったような)盛り上がりがまったく見受けられない「低調感」というのか、ニュースにもならなさ加減というのか、
これは以前の体質を引きずるあまり、良くも悪くも「自民党」なる概念を推し進める原動力を相当に失ってしまい「滞留している」という事なんだろう。
(簡単に財務省OB長老派に仕切られて以降、党内で喧嘩する気概もないみたいな)
■そんな意味で既成政党から見た場合通常であれば小沢グループの離党は考えられない話で、
(政治資金を捨て、支持組織を捨て、じゃないが全く割に合わない話だから)
自民党としても「まさか処分が出る前にサクっと離党するとは思っていなかった」という事なんじゃないか(自分にたとえてみて)それが引用記事当時の「除名処分を迫る自民党」の姿だったのじゃないかと思う。
事実はご存知のとおりで処分どうこう以前に小沢グループは輿石氏の顔を立てる余裕を見せつつ離党した。
小沢氏が多数派工作しなかった理由の一部には「そんな資金も無いし」という部分も少なからずあるでしょうね。
(ここ本当に赤穂浪士みたいなノリで)
(小沢氏に関してよく後継者を育てないなんて話がありますが、こういう判断を自主的にできる議員は育てるとかそういうレベルでは無いでしょう。「なんとか見出そうとしてきた」というのが本音じゃないか。)
今度の政局は「ただ人数がいればいいということではなく”リアルな意味の数の力”」そのもので、各政党は50人余りの小沢新党が不気味でしょうがないって構図になっている。
考えてみれば自民党の凋落を随分と心配していたんだけれど、
自民党が野党となった事を契機に大規模な組織改編に成功していれば、今回のような野田政権と”なんちゃって連立”のような体たらくにはなっていなかっただろうし、三党合意もなかっただろう。
何をやってんだかと思うが「検察とマスコミ」そして「民主党の反小沢頼み」で抑え込んでいた”小沢氏”にみすみす自由な立場を与えてしまい自分で困っている図はなんと言ったらいいのやらで、、
「解党的出直し」だとか「本当に解党」しないと無理なんだろうね。
(ここはマスメディアも同じ)
▲『共同幻想への依存』ここはマスメディアも自民党も同じだから
現状小沢新党が解散総選挙で過半数を取るなんて事はちょっと考えられない。
(それだけの候補者を擁立する政治資金が無い)
しかしだ、
『小沢陣営が準備不足のうちに解散総選挙』が現行自民の最善策だと思うが、そもそも三党合意は「早期解散しない三党合意」なのであり、この手が打てないでしょう。
そうなると、解散は先に伸びる事になり、
民主党支持組織の分裂が進んでしまう。小沢陣営の支持組織がジワジワと増えていけば候補者擁立の余裕が増える事になり、選挙が来年なんて事になれば「小沢陣営が過半数」なんて可能性も出てきてしまう。
(※困った事に現在輿石氏が主導している定数是正の逝去制度改正は公明党を引き込むため小規模政党に有利となる比例代表併用を検討している。仮にこれが通ってしまったら小沢陣営にも有利になるばかりか、自公運命共同体が崩壊するかもしれない。)
自民党はこの状況どうするんだろうか?
(少なくとも輿石氏は次の選挙で民主大敗北の後、小沢陣営が勝利すれば民主内の”当時の反小沢派をパージして”小沢陣営との合流すればいいのだから「民主が負けても小沢陣営が勝てば同じ事」ぐらいの見当は付けていると思う。)
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自民党がガタガタなんです、
ここは半ば小沢氏の読みだった部分でもあるのですが、
下記リンクに登場するジャーナリストの田中良紹氏が以前から論説している「日本の政治家は以前から官僚の差配によって政治資金を得てきた」という部分が関係してます。
(簡単に言えば官僚が設定した業界規制に関してロビー活動する対価に業界から政治資金を集める一種の出来レースで、間接的に官僚が政治資金を族議員に分配ししているという構図で、単純な利権がどうこうって話ではありません。)
田中良紹氏の論説でわかりやすかったのは田中角栄論における「金権だとか利権だとか言われたが、田中角栄を評価する上で重要なのは利権と言われようが金権だろが彼が政治資金を官僚に依存することなく調達した事」にある。
その系譜に属する小沢氏が何故官僚と対峙できるのかと言えば”そういう意味”と言う事。
(田中ロッキードを見て小沢氏は小選挙区制と政党交付金による選挙制度によって脱官僚を目指した。)
言うならば55体性の自民党・社会党というのは官僚に飼われていた形に近い存在だったのであり、そういう官僚依存で政治活動している構造を(与党も野党も)壊さない限り日本に民主政治はあり得ないと小沢氏が考えた事に始まる。
■さて自民党に話を戻すと
元から党の体質が官僚依存だった事もあり、「とにかく政権与党じゃないと食えない」政党になってしまっていて(公明党との協力無しに選挙ができなくなっていたり他にも依存的体質はある)、すっかりバイタリティーを失った実情がわかりやすく見え始めている。
除名処分を迫る自民党の愚かさ
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/06/post_305.html
自民、中川氏を役職停止6か月…採決欠席で処分
http://news.livedoor.com/article/detail/6723309/
↑
この辺どこで報道されたのかわからないぐらい小さい扱いだったと思われなのですが、自民党内にも相当数の増税反対派はいたのですが(郵政の尻すぼみも凄いが)、中川氏が”ひとり”みたいな体たらくはもうなんといったらいいのやらで、、
党内どこでもそうですが性格の違う「参議院自民党」はもう少し反発あるのでしょうが、どこまで期待できるのかなんともで、
いえいえ自民党に増税法案反対の云々を期待しているという意味ではありません。
党内論議として(民主の論議が大荒れだったような)盛り上がりがまったく見受けられない「低調感」というのか、ニュースにもならなさ加減というのか、
これは以前の体質を引きずるあまり、良くも悪くも「自民党」なる概念を推し進める原動力を相当に失ってしまい「滞留している」という事なんだろう。
(簡単に財務省OB長老派に仕切られて以降、党内で喧嘩する気概もないみたいな)
■そんな意味で既成政党から見た場合通常であれば小沢グループの離党は考えられない話で、
(政治資金を捨て、支持組織を捨て、じゃないが全く割に合わない話だから)
自民党としても「まさか処分が出る前にサクっと離党するとは思っていなかった」という事なんじゃないか(自分にたとえてみて)それが引用記事当時の「除名処分を迫る自民党」の姿だったのじゃないかと思う。
事実はご存知のとおりで処分どうこう以前に小沢グループは輿石氏の顔を立てる余裕を見せつつ離党した。
小沢氏が多数派工作しなかった理由の一部には「そんな資金も無いし」という部分も少なからずあるでしょうね。
(ここ本当に赤穂浪士みたいなノリで)
(小沢氏に関してよく後継者を育てないなんて話がありますが、こういう判断を自主的にできる議員は育てるとかそういうレベルでは無いでしょう。「なんとか見出そうとしてきた」というのが本音じゃないか。)
今度の政局は「ただ人数がいればいいということではなく”リアルな意味の数の力”」そのもので、各政党は50人余りの小沢新党が不気味でしょうがないって構図になっている。
考えてみれば自民党の凋落を随分と心配していたんだけれど、
自民党が野党となった事を契機に大規模な組織改編に成功していれば、今回のような野田政権と”なんちゃって連立”のような体たらくにはなっていなかっただろうし、三党合意もなかっただろう。
何をやってんだかと思うが「検察とマスコミ」そして「民主党の反小沢頼み」で抑え込んでいた”小沢氏”にみすみす自由な立場を与えてしまい自分で困っている図はなんと言ったらいいのやらで、、
「解党的出直し」だとか「本当に解党」しないと無理なんだろうね。
(ここはマスメディアも同じ)
▲『共同幻想への依存』ここはマスメディアも自民党も同じだから
現状小沢新党が解散総選挙で過半数を取るなんて事はちょっと考えられない。
(それだけの候補者を擁立する政治資金が無い)
しかしだ、
『小沢陣営が準備不足のうちに解散総選挙』が現行自民の最善策だと思うが、そもそも三党合意は「早期解散しない三党合意」なのであり、この手が打てないでしょう。
そうなると、解散は先に伸びる事になり、
民主党支持組織の分裂が進んでしまう。小沢陣営の支持組織がジワジワと増えていけば候補者擁立の余裕が増える事になり、選挙が来年なんて事になれば「小沢陣営が過半数」なんて可能性も出てきてしまう。
(※困った事に現在輿石氏が主導している定数是正の逝去制度改正は公明党を引き込むため小規模政党に有利となる比例代表併用を検討している。仮にこれが通ってしまったら小沢陣営にも有利になるばかりか、自公運命共同体が崩壊するかもしれない。)
自民党はこの状況どうするんだろうか?
(少なくとも輿石氏は次の選挙で民主大敗北の後、小沢陣営が勝利すれば民主内の”当時の反小沢派をパージして”小沢陣営との合流すればいいのだから「民主が負けても小沢陣営が勝てば同じ事」ぐらいの見当は付けていると思う。)
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