話のネタ的には前から一部では半ば常識として知られている事ではあるんだけれど、
公に報道されるようになっているところがポイント。
(つまり昔は医療報酬がらみだとか勿論この変にも製薬会社の影響力含めて「わかっちゃいるが報道されない」ネタだったのであり、)
アーカイブの保存的には少々頼りない記事なので念の為全文引用で保存しておく。
掲載は週刊誌系なので「なんだ出所が昔と同じ雑誌じゃないか」的に思われるかもしれないんだが、現在はインフォシークであるとかライブドアのニュースサイトでは週刊誌系発の情報やニュースブログの記事もマスメディア報道と同一リンクで紹介されていたりするので、『ルート』というか経緯はともかく大手ポータルが堂々とニュースコンテンツとして報道している事には違いが無く、この”露出性”の意味が大きい。
ライブドア辺りにはマスメディア記事の直下に、思い切りその記事なり社説なりを批判する記事を意図的に並べるなどのサイト構成を意欲的に取り入れてもらいたいものです。
がんは老化 何も治療しない方が穏やかに死ねる例多いと医師
http://www.news-postseven.com/archives/20120507_106149.html
「大往生したければ医療と深く関わるな」「がんで死ぬのがもっともよい」。そんな主張をする医師が京都にいる。京都の社会福祉法人老人ホーム「同和園」の常勤医を務める中村仁一氏だ。これまで数百例の自然死のお年寄りを見送ってきた中村氏から、老人医療の問題点、これからの日本人か持つべき死生観について聞いた。(聞き書き=ノンフィクション・ライター神田憲行)
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医者のくせに「大往生したかったら医療に深く関わるな」というと、みなさん、いぶかられると思います。でもいま、年寄りは病院で苦痛の果てに死んでいます。そのままにしていたら、医療が濃厚に介入しなかったら。きっと穏やかな死を迎えていたはずなのです。
病気やケガを治すのは、基本的には、その人が持つ「自然治癒力」なんです。医者はそれを助ける「お助けマン」、薬は「お助け物質」にすぎません。医療は年老いたものを若返らすこともできなければ、死を防ぐこともできません。「老いと死」には無力なのです。
たとえばがんですが、これは老化なんです。研究者によってまちまちなんですが、どんな人でも毎日5000個ぐらい細胞ががん化しているといわれているんです。でもそれを私たちの身体に自然に備わっている免疫の力で退治しているので事なきを得ているのです。ところが年とともにこの力が衰えますから、年寄りががんになっても当たり前、驚くにはあたらないんです。
がんの予防には「がんにはならないようにする」一次予防と「なったものを早く見つける」二次予防があります。二次予防には「早すぎる死」を防ぐという目的があります。繁殖を終えて、生きものとしての賞味期限の切れた年寄りには、もはや「早すぎる死」というものは存在しません(笑)。
まだライフワークが残っている年寄りは別として、そうではない、普通の年寄りに「がん検診」はどれほどの意味があるのでしょう。繁殖を終えたら死ぬ、これは自然界の“掟”です。鮭は産卵後間なしに息絶えますし、一年草も種をつければ枯れるんです。
一般にがんは強烈に痛むものと受け取られていますが、ホスピスの調査でも痛むのは7割程度と言われています。逆に言うと、3割は痛まない。つまり3人に1人は痛まないことになります。私の施設でも食が細り、顔色が悪くなってやせてきた、おかしいということで病院で検査したら末期のがんで手の施しようがない。家族も年も年だし、おまけにぼけている。これ以上苦しめたくない、というので老人ホームに戻ってきた。
そのまま何もしないと最後まで痛まずに往生した。少なくとも発見時に痛みのない手遅れのがんは最後まで痛まないということは確実に言えそうですね。巷間いわれるように、がんが痛いものならどうして早くから痛まないのでしょうね。
胃がん・肺がん・大腸がんなど塊になるがんは抗がん剤を使っても、多少小さくなることはあっても、消えてなくなることはありません。抗がん剤は猛毒ですから、正常な身体の組織や細胞に甚大な被害を与えます。当然、Q.O.L(生活の中味)が落ち、ヨレヨレの状態になってしまいます。
ですから繁殖を終えたら、抗がん剤は使わない方がいいと思います。延命効果はなくとも必ず縮命効果はあるはずです。よしんば数ヶ月延命したとしても、どういう状態で延命するのか考えて下さい。
青息吐息のヨレヨレの状態で生きてもあまり意味ないでしょう。長生きするつもりが、苦しんだ末に命が短くなっているのが現実ではないでしょうか。
「がんで死ぬんじゃないよ、がんの治療で死ぬんだよ」というわけです。
【中村仁一氏プロフィール】
1940年、長野県生まれ。京都にある社会福祉法人老人ホーム「同和園」付属診療所所長、医師。京大医学部卒。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年2月より現職。著書に「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(幻冬舎新書)などがある。
ざっくり言えば現在の高齢者医療の問題にも随分歪みがあって、
「そもそも延命が医療」だとすると「延命の概念自体が変わる高齢者医療」ってのはカテゴリー的に別物が選べるオプションが無いと不自然なワケで、
(延命の意味が違ってきているのだから)
問題発言承知で言えば、
「ハゲでいいって言っているのに、病院に行くと必ず高価な育毛治療薬を塗られるんだがそれでいいのか」みたいな話。
(ハゲでいいって言っている人には頭皮ケアの方法とかのが意味あるだろうに)
実際、法的にはそんなことになっていないんスよ。
ちゃんとしていると言えばちゃんとしている。
『インフォームドコンセント』があるからあくまでも治療の選択は説明を受けた上で患者の自己責任で選択されている建前になってます。
(だから医師ばかりに責任を負わせるのは勿論問題)
マスメディアなり所謂(岸田じゃないが)世間を気にして『共同幻想』的に自分のリテラシーがあられも無い方向いってしまったり、
前述のような医師会からの異論が報道されずに一般社会において「そういう考え方もあるんだよね」的にさっぱり考えられてきていないところが問題なワケで、
↑
こういう人物や親族に対していくら『インフォームドコンセント』っつても、、、
『インフォームドコンセント(情報と説明受けた合意)』なり『インフォームドコンセプト(情報と説明受けた概念)』とかって、自意識マターの起動を前提とすんだから民主主義における単独者的関わりって部分が部分的にでも当事者様式に醸成されていないと機能しないんだからさ、
(部分的ってのは「トイレの中だけの自意識でもいい」って意味)
言えば『ネット情報拡散とマスメディアのギャップ』、ここは民主主義の根幹なので(マスメディアがイカレポンチなので報道の自由を阻害してんだから)、困っちゃうんだが。
※この辺は心理的トラブルの「強迫心理との関係性で歩留り的に”それも個性容認”の選択もあり得る」とかの論議にも被るのであって、
(前提は何が起きているとか何が起こり得るなどの事実認定と情報を偏向なく認知しているか否かであり『インフォームドコンセント論』と同じっスよ)
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