国家経済で考えれば所得分配も投資の一種と考えていい(公共投資は事実上所得分配政策)。シンプルに考えれば財政出動で「需要ありき」の政策もあるし、新自由主義ですら減税政策による需要増を織り込む。
経済政策的には”国内経済対策”であり、同時に経済政策と言えば真っ先に同様政策が並ぶ。
ところがグローバル(覇権主義的)経済概念の登場で、認識が混乱している向きがある。
もっぱらグローバル経済なる代物は国是として覇権主義的思惑のある国家なり国家群の話であって、日本のように集団的安全保障の概念すら持たない国には「はなから関係無い」話で、所謂グローバル主義的な国際競争力など「本来どうでもいい話」です。
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どうでもいい証明として、やれ経済政策だと言えば国内経済の需要増の話になっておるじゃないですか。
(そんなにグルーバル主義が重要ならば、日本の輸出先の需要喚起でODAであるとか対外援助を大幅増する方が筋論ですが、景気悪化したので”大規模対外援助”など聞いたことが無い:現在の韓国経済・中国経済の基礎に日本が大きな役割を果たしたのは又別の概念の話)
二枚舌とまで言いませんが、
主張している本人が話の整合性が崩壊している事に気が付かないらしい。
文明論として『先進国化』が語られたときは又全然違う話になっていた筈です。
(『先進国化』と呼べば聞こえはいいが事実上自由経済ルールにおける帝国主義において勝者であるという事でしょ)
『先進国化』ってのは企業で言えば自己資本率も高く内部留保も十分なので、株式公開は止めましたって話な訳で、事実日本は資本に困る事は無く(国際も国内で消化できる)、国内インフラ整備で世銀にお世話になるとかそういう話とは無縁です。
郵政改革論議もその筋のせめぎ合いだった。
(郵政資金をグローバル経済に流すのか国内経済資本として使うかの論議)
巷にはアンチグローバル主義を鎖国主義だと誤認している人も随分多いようですが、
グローバル主義=覇権主義なのであって「まだまだ侵略しますよ」って意味になる。
日本は憲法9条もそうだが、集団的安全保障も無い国なので覇権も何もね隣国の経済乗っ取ってもその国と集団的安全保障関係を持つ事できないのすから「何が面白くて覇権主義なのか」って笑われますよ。
「お得意様が増えました」ってそういう話じゃ無いんだから。
『先進国化』に話を戻すと、
当時は「先進国は大量生産経済からテイクオフして多品種少量生産により単価の高い製品に特化していく」って話だったんじゃありませんか?
これはですね=対外的に言えば先進国間だけに流通可能な高級品って意味です。
なので中国の市場がどうこうって狂乱する目先の利食い(半ばギャンブル)に右往左往する必要は最初から無いのであって、
(中国の日本製品需要層もそう望んでいる筈です→秋葉原まで購入した日本製品が中国製じゃ彼らの満足度もげんなりでしょう)
=『日本ガラパゴス化』で全然いんですよ。
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