なにやら作文の題名とか演歌の曲名みたいですが、、
冗談はともかく、
もうねいっそのこと小沢幹事長は司法試験を受けて自分で東京地検特捜部長になってしまえばいいのじゃないかと思いますね。
個人的に検察に関しては野村阪神時代から(サッチー騒動)強い違和感感じてましたから(マスコミの華麗な手のひら返し及び→再び返してしまうみたいな)、ライブドアの時には迷わずこれはおかしいと確信したワケで、
以来「村岡元官房長官の無罪判決(日歯連事件)」などのダメ押しと、
(ロッキード事件のCIA陰謀説にもすっかり”なるほど”と納得する気持ちも倍増)
正直何をするための行政機関なのかさっぱりわからないんですが(検察には捜査能力が無いのでそういう機関をつくるなら公安も解体した上で、「警視庁」直属でFBIみたいなのを編成した方がいいのじゃないかと)、
正直「何がしたいんでしょう?」
本気で教えて欲しいんですよ、
心理学的に根本的な問題を指摘するなら
『共同幻想の瓦解と旧権威との関係性』ですよ。
なんだっても検察の中でエース各の特捜部は昭和以来の自らのレーゾンデートルを自主的に再構築しなくちゃいけなかった。
ところが検察における「時代との齟齬」の認識は、新手の経済犯罪への対応と研究のような(これ非常に危険で金融経済学の研究ばりに→新しい有罪判断の発明みたいな、、これ法治国家の概念逸脱している)何かピントがずれているワケですよ。
或いは検察の側から地検特捜部の解体と→警察と協力して地域の管轄を越える広域捜査が可能なFBIみたいなのへの協力の方向を「官僚からの改革法案」として検討してもよかった。
何故ってここばかりは政治主導で動かすと「何言われるのかわからない」からであって、
自浄能力とまでは言いませんが、政治からもアンタッチャブルな分『自主性』にまかされている責任は重いんですからね。
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posted by kagewari at 00:02
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精神分析時事放談
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