すっかり動画関係の”なんチャラかんチャラソフト”の名前として有名な言葉ですが、その趣旨(これはソフトの趣旨でもある)というか根拠は米国の著作権関係の法律用語で、詳しく知りたい方はこちらをどうぞ
Wikipedia:fair use
腐ってもアメリカじゃないですけれど、なんだかんだいって前衛国家としてイロイロ問題抱えつつも個別の部分では世界的に突出する概念や認識ある国家に違いなく、
「フェアユースの認定があれば著作権の制約を超える利用が可能である」なる発想は、メディア論としてインターネット社会のフリーソフトのレーゾンデートルとも被る形で重要な要素になっている。
インターネットの現実では、有名なフリーソフト関連サイトが閉鎖に追い込まれる等その戦いは継続中なんですが(アメリカ的発想で言えば”根拠が明快ならその戦いは終わる事が無い”→勝ち取ってこそデモクラシーみたいな部分もある)、概念として”フェアユース”の在り方は大いに参考になるところです。
※同時に米国が平行して知的所有権を重視しているのもご存知のとおり(国際政治においても重要政策だったりする)
日本も後追いで著作権法の整備にとりかかってはいるんですが、なんせ政権がこういう状況なので官僚筋で検討されているって段階なんでしょう、
特にインターネットの社会の場合「自由とタダ」は圧倒的に強いキーワードで、ポータルサイトの存在が形骸化している以上(限りなくプロバイダ:ISPとしてのサービスの方が重要度が高い)、インターネットのインターネットたる所以は現実社会以上の情報交換の総量できまってくるので(商店街であるとかデパートとかって運用は「ひとつの固定枠に留まる」特定分野って認識の方が高いでしょ)、『実際どうなの?』なプルーフに対する要求はアウターな社会以上に高いレベルを求められる。
言い換えるとインターネット社会では「パッケージの裏表紙だけ見て購入する的需要」はマイナーな存在であって、その”何”のリンクが”何”でレビューが何で、個人のブログにどんな記事があって、実際使ってみてどうだまで『求められる現実性は現実社会より高いレベルで求められる』、
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