元来精神分析的にはいいとか悪いとかの概念が無いので(フロイド心理学は『快不快原則』だから)、社会適応を云々する事は無いんだけれど、
一般的認識のメンタルな問題で頻繁に出てくるキーワードなので考えておかなくちゃいけないテーマでもある。
※適応障害とかって言語も心理学的概念は意味が微妙に違う
『社会』それ自体には特別な意味は無いけれど(言うなら”ロジカルな集団”とでも言えばいいか)、近代以降の日本の場合「江戸時代には『社会』って言葉は無かったらしい」ので、この『社会』って言葉を語る上で「余計な尾ひれはひれが明治近代にくっついている」と見た方がいい。つまり「それは共同幻想的記号だろう」って事。
詰まるところ富国強兵(今でいえば経済成長主義)に向かうべく大改造を行ったこの国が”意図的ベクトル”を背理に含んでいただろうって事は説明の必要も無いだろう。
特にこの国の場合強度の官僚”社会”でもある。
実は明治維新等というのはそれほど立派なものではなく、その大半は事実上『関が原の戦い』に負けた西軍が東軍=徳川に逆襲したって権力闘争だと見る事もできるんだけれども、海軍大臣は勝海舟だし、陸軍にも徳川的メンタルが温存されたので(特に日本陸軍の”戦”のやりかたは戦国時代とそれほど大きな違いはなかった→下手すると信長の軍勢の法が戦術的には近代戦に近かったてな話もある)、政権の実体は「将軍家の無い”官僚”という名のサムライ幕府」には違いは無いのだと考えてもいい。
ここが「日本の実体は”社会主義国”だ」なる論旨のコアとなる。
つまるところ明治でもっとも著しい改革は「幕藩体制」なる地方分権社会(お国といえば地元でそもそもこの国に国家の概念があったのかといえばそこも怪しい)を強権的に中央集権国家としてでっち上げた事に始まる。
この革命に天皇家を”利用”した事は当時の伊東博文辺りが自分で認めているんであって、明治の朝鮮出兵(征韓論→西郷は外交路線を考えていて戦争に反対なんだが、当時の明治政府は尊王攘夷の流れのまま出兵みたいな話になる)も『明治政府=西軍=秀吉の朝鮮出兵』と考えるとわかりやすい。
ある意味旗印の「豊臣家がなかったので京都の天皇家がみこしとして担がれた」的見方をしても極端に的外れじゃ無いでしょう。
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