そりゃ心理学って話で言えば『超自我』といった方が話が早いんだけれども、フロイド的造語とも言える言葉を使ってわかりやすいのかって、そこがまた「なんとなくわかる人同士」だけの事にもなるのでテキストでも滅多に『超自我』なる表現は使わない。
そこんところが以外や以外一番大事なのかも知れないとも思っている、
何故なら暗韻のある固有名詞ではなくて、流れ(文章)で認識している方がその背景含めて”それ以上に見えいてくるものがある”。
特に「強迫と道徳」の関係は”道徳”なる言葉を使った方が、その力動的位置関係やら強迫の構造化プロセスも「より見えやすい」。
単純な話「自意識をやり込める(抑圧)するぐらいの力を持つものは、道徳・倫理野的(んな部位が脳にあるワケじゃないが)概念以外に存在しない」のであって(そうじゃなきゃ”抑圧する中の人は誰”って論議になる)、「○○に決まっている」的概念がやたらと多かったり、強迫的認知のベースラインは”ステレオタイプな判例主義”であるのも事実で、
判例主義的(自我憲法とでも呼ぶか)正統性根拠無しに存在し得ない「道徳・倫理野的ロジック」の関係性やら主謀性って部分は説明する必要性も無いぐらいに明白だ。
実際個人心理学における”コンプレックスの発見”の存立基盤は象徴化(この瞬間原形足る対象から乖離し記憶の中で自我の一部となる)された権威性なのだから、それこそ「ニワトリが先か卵が先か」って話ぐらいにその関係性は深い。
言い換えるなら「象徴化され現実から乖離する権威性(無意識)は=過剰に道徳・倫理野的ロジックとして自意識に認知される」となる。
結果として、悩みの全てには無意味な”いい悪い論議”と”保守的抵抗(判例主義の防衛)”は欠かせない部分で(必ずといっていいほど自我の形はそのスタイルになる)、それが認識として表面化した時の特徴(必ず論理矛盾を内包する)としては、
■「人間関係等の相対的な”問い”を悩みとして考えている時に、宗教論争のような”いい悪い”なるロジックが”お呼びでないのに”圧力をかけてくる」な流れになる。
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2008年06月24日
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