2007年08月30日

自我構造の周辺事態

そもそも構造分析で各種専門用語が登場するのは「その様子を整理して分析者が理解しやすくするため」であって、なんかそういう名前の”部位”があるのではない(笑
ここが随分と誤解されるところで、それこそ心理学の授業でもって、テストの時に「○○なんちゃらをする自我は何?」なんて出題を真剣に考えて記憶するとなんか意味があると思うこと自体とんでもない論理矛盾で、ここが行き過ぎるとフロイドですら「ちょっち失敗したかな〜」と言われる力動論(物理的ってか数量的に抑圧構造なんかを考えようとした:リビドー論みたいなもん)やら、某オカルト系心理学なんかでまことしやかに語られる「○○となる因子がある」みたいな、なんていうか構造ってからマジになってそんんな”部位”が独立してあるかのような飛躍(その時点で解離性じゃネーカみたいな)があると”既に心理学の体を無していない”なんて事にもなりかねない。

実は投薬を含む精神科の在り方にも重要なところがあって、精神分析には即効性が無いのはご存知のとおりなので、急性の鬱(会社の倒産なんかの外的環境の大きな変化に自我が追随できずに瞬間的に人格構造が鬱的傾向に傾き、その外的変化がおおよそ簡単に解決しない結果これが仮想的に構造化する:元来仮面鬱じゃないけれども鬱的傾向のキャリアのように危険な要素を元々持っているとも考えられる=真面目な人=道徳的強迫と自意識の抑圧)で、その症状それ自体へのショックも二次災害の様相を呈して、反射的な自殺衝動などの危険性が高いとき等これ人命に関わる事なので、緊急の即効性が要求されるワケで、
精神科医療が心理学的背景を軽視というか「それは文系でしょう」と考える見解も「餅屋は餅屋」の論理じゃないけれど必ずしも矛盾するものではない。(実際、遺伝病や事故による脳の障害等身体的に病理性のある問題は精神科や神経科、脳外科の専門分野になる)
昨今の欧米の傾向は、この緊急性のあるものや病理性のある診断は一般の内科や外科のある総合病院に統合される方がむしろ合理的ではないかという見解があって、「独立して精神病院」が存在する事を問題視する動きもある。
その統合的在り方のひとつが診療内科(カウンセリングがうけられる場合もある)とも言えるので、心理的な問題もようやくその事実関係に社会が追随してきたかという側面がある。

棲み分けといったらおかしいけれども「自立的に思考した結果相談に及ぶ」という動機形成を見れば、心理学サイト等の運営にあたって相談先が違いますって事例は構造的に発生しないし、同時に緊急性を感じたり人命に関わるという連想には「病院」という構造もとても一般的な関連となるので、そうそうここにギャップが生じる心配は無い。
問題がおきるとすると、本来慢性的な自我構造の問題がある時に、その自我防衛的発想からカウンセリング等の心理学的アプローチを避けるために(極端な事を言えば「問題のある自我を保守するため」)投薬によって不快感だけなんとかしようとする場合で(これも自意識の決断であればアリとも言える。自我の問題は必ず解決しなければならないなんて普遍的概念はどこにも無い)、一種この逃避的とも言える行動がケースによっては不快感の原因をより深刻化するケースがある事だ。
※これも”そのケースがある”という確率論なので、そうに違いない等という話ではない。

何故ってここにそもそも自我構造が関わっているからだ。

「自我は動機形成の機関」と考えると易しい。
事実認定を行い、現実の環境を掌握し、五感からくるストレス信号を受けこれを行動選択に振り分ける。
もっぱら”ヒト”はそれをロジカルな過程で行うので(パブロフの犬実験じゃないけれど、魚→エサ→食うみたいな直線的なものではない)、極めて弾力性が高く融通も利く、その代わりに優柔不断でもあり得るのであって、この動機形成がスムースじゃないと簡単に欲求不満にもなる。
そして今度は欲求不満ストレスから動機形成し、、、と、こういう流れなんだけれども、こういった複雑な心理的な過程が他の動物にも無いのかと言えば、こればかりは実証がとても難しいのだけれど在ると想定した方が自然だろう。
しかし、ヒト以外の多くの動物は比較的単一な行動様式を変える事は無い(面白くない事があって突然キャッチボールを始める鹿はいない)、その背景を考えるならワイルド環境下の動物達はかなりの心理的ストレスとともに生きている(哲学的には「ストイック」に近い)とも言えて、ワイルド環境下での寿命の短さにここがかなり関わっているのも事実に思う。

但し、ここには重要な差異がある。
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posted by kagewari at 18:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月21日

『歯医者』

俺の目から見ても名医って歯医者が近所にいて、随分と長いことお世話になっている。
そもそも話の発端は、就職直後に退職して後フリーター時代にえらい事になって近所の歯医者に駆け込んだのが始まり。
そもそも学生時代なんかに、治療後の金属のつめものが取れたときなんかに「アロンアルファで付ける」なんて剛の者(ってか貧乏とも言う)だったものだから当時から歯にかなりガタがきていて横向き親不知が4本とも前の歯を圧迫している状態で数年放置していたものだから、そろそろヤバイなと学生時代から思っていた、

その後、ついに親知らずがどうにもこうにも痛くなりその歯医者に駆け込んだ。電話には受け付けじゃなくて直接医師が出て、事情を話すと
「いいですよ、直ぐ来て下さい」と、
で、そそくさと歯医者にいってみるとそもそも歯医者自体は休診日で、中には先生独りという状況で「あれ、今日お休みなのにいんですか」と言うと
「お痛みがあって緊急の時にはいつでも大丈夫なんですよ、偶然僕もいたし」みたいな(何せ随分昔でいくつか記憶違いもあると思う)、
当時俺は保険証なんて持っていないのもこれ「当たり前」な状況だったので、「痛い親不知抜くだけでいんで、保険証無しだと一本幾らでしょうか」と率直に聞いてみた。
すると医師は
「とにかく診て見ましょう」と、
どうやら状況と目視で「かなりトンデモ無い事になっている」のが彼には直ぐにわかったらしく、即座に「正直言って健康保険に加入した方がいい」な話に。
「保険証がまだ無い間は、治療費の方もなんとかしておきますから大丈夫です。治療は直ぐに開始するとして、ともかく市役所行ってください」って事になった。

当時俺はアウトサイダーとして、保険証が無い事も結構自慢だったので「保険証取得」それ自体妙に”敗北感”だったりするガキでもあったのだけれど、この医師の話には妙に背中を押された。マジに言っているのがわかったからだ、
その後通院してわかったことは、横向き親不知の前の奥歯がほぼ全滅で外からはどこにも虫歯は見えないが中ではかなり進行しているって話で、暫くこの歯医者への通院は続く。
とにかくこの医師は『インフォームド・ コンセント』を最も重視する人で「今何が起きていて、これからどんな治療をして、その際にどんな希望があるのかしつこいぐらいに説明する」その説明が長すぎて診療時間をオーバーしてしまう事もしょっちゅうなんだけれども、とにかく彼は説明する。
となりの席での彼の説明なんか聞いていると、隣に妊婦の患者がいる時には虫歯の治療で一本麻酔打つにしてもそれにどれだけリスクがあるのか、延々と説明していた。歯に金属をかぶせる時にはいかに厚生省の健康保険行政に問題があるのかって話までする人物。
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posted by kagewari at 12:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月11日

自意識過剰を広義で確認しておこうと思う。

一般論的意味や解釈だと、”自己中心的”と同じように「ちょっと勘違いしている人」のような代表で使われている言葉だけれど、心理学的にこれを確認していくと、ニュアンスというかその意味は随分と違ったものになる。

これは認知における現象で、
事実を認知する時、人は様々な情報を元にこれを把握する。視覚や聴覚なんかの五感や客観的視点、常識論(共同幻想)的反射、判例主義(象徴的過去)的連想や投影、主観、特定他者への感情移入によるシュミレーション、背景となる状況判断、人間の脳はスパコン並の処理能力があるのでこれを瞬時にやるワケです、
その上で「火事になっちゃうじゃん」とか。
時と場合によっては「人に聞く」事でその裏取もします。

ここで認知が自意識(主観)に偏る(過剰)現象を『自意識過剰』と呼ぶ、
上記説明の最後に出てくる”裏取”に象徴されるように、そもそも現実認知というのは正確性を欠くものだけに、なんとかこれを他の人の意見を聞いて補完してでもなるべく誤差の無い様に確認したい(確認したいと思うほど不正確)と考えるのがむしろ自然で、生きているという現象は同じ一日をテープを繰り返し再生しているのではないのだから、その事実認知の確認こそが新規の記憶の処理=自我の変質にも直結している。
つまり、『自意識過剰状態=自我が保守形態である』
ここを逆さまから考えるなら、現在の自我を保守するために自意識過剰の状態が構造的に確立していると見る事もできる。

”現実”という記号も所詮は抽象概念なので、「現実を喪失」と考えるより「現実認知を構築するプロセスに無理がある」の方が正確かもしれない。
一番ナンセンスなのは具体的な争点で「それはこうじゃないだろう」的にそれを修正しようとする事で、むしろ効果的なのは”前提となる現実認知の修正”に他ならない。
結論と事実認定そのものには合理性があるのだから、そこには論議の余地が最初から無いからだ。
政治の世界には面白い言葉がある。
随分とひとり歩きしている言葉なんだけれども「女性の視線で考えます」「主婦の視線で参加します」とかなんとか、一見よく聞く台詞のようで実はこれ一般社会で使う人ほとんどいない。そして一番この言葉に矛盾があるのは使う人そのものが”女性や主婦”であることで、いかついオヤジ議員が
「私も女性の視点で考えます」「主婦の視点で今回の政策に!」等と発言した方が(別の意味で問題視されるかもだけれど)そりゃ言葉としてはよろしい感じがする。
根本的な問題はそこになるのだしね、

つまり自意識過剰というのは、極論本人が男性である場合なら「自分が女性として考える」であったり女性であれば「自分がマッチョな男性として考えてみる」のような多様性が”無い”状況の事で、随分乱暴な言い方をしてみると、自意識過剰か?な時には男性なら女言葉で・女性なら男言葉で考えてみるだけでもそれ以前の現実認知の偏りに自分自身でも気がつくのじゃないか?
あまりに「ちょっとどうなの」なアプローチだし、技術がいるので誰にでもできるってワケじゃないのでナンセンスだけれど、
「ちょっと同じ事を女言葉で話してみてください」みたいな投げかけが自意識過剰解除のキーには違いない。
posted by kagewari at 02:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月03日

現実認知と存在

岸田的な『唯幻論』のイメージは、人の自我が確からしいロジックとして事象の認定をしているって一種の間接性を表しているんだけれども、心理学的に言えばもうちょっと深い意味もある。一種のベクトルというか判断する”計りの概念”が自身の自我に内包されている上”何を計って事実とするか”すら無意識領域の連想性のロジックに負っているためそこに置かれる自我の受動的脆弱さを意図しているとも言える。
ここをもう少し広げて考えてみると、
人の数倍も嗅覚の鋭い犬や、超音波ソナーで物体認知を行うコウモリがその現実認知の脆弱さに「困っているか?」と言えば否だ。
それはこの一時情報は情報に過ぎずない、以降何らかの判断する集合になった瞬間それは現実となるのだから、現実定義における主導性はむしろ自我にあるのであって(コウモリには信号の色はほとんど無価値な現実)自らの実存にとって関わる情報が現実なのであってこれが揺らぐのじゃ無い。
では、何故人間の自我には脆弱性があるのか?
ここには、人間の動機形成と存在との連想性が”酷く曖昧”だって部分、つまり「本能の代替としての自我の曖昧さ」に発端があるのであって、動機形成のプロセスとアイデェンティティーとの連想性の在り方が即ち実存なのだと言える。
「実存の前の現実は明快である」と、言い換えていい。

心理的な不安は=アイディンティティーの不安であって、これは構造的に自意識と無意識のバランスによる自我矛盾=アンヴィバレントな葛藤の要因でもある。つまり情報を現実足らしめる存在が幻のように揺らいでいるのが以降の悩みの原因で、フロイドが失敗した力動的解釈を失敗する事を前提にたいした意味もないレベルで考えてみると「自意識がどれだけ総花的無意識からパーソナルな自意識に現実認知の基準を代替したか」と言い換えてもいい。特に現実認知の時制が問題になるかと言えば無意識退行がノスタルジーを発端とするように、無意識的判例主義の時制は過去に重きを置いているのであるから、人の自我は常に「過去か今かを問われている」ことになる。
コウモリと信号の色程度の問題であれば現実を幻とは言わないが、色(印象)のついている過去が関わってくるので幻並なんだと、

「目の前の原色が現実には違いが無いが、それがより印象の強い過去のフィルターをかけた表現に負ける」
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posted by kagewari at 07:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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