小泉300勝の時と流れは全く同じで、今回の民主圧勝に驚く部分は無い。
そりゃやる前から民主の独り勝ちは目に見えていた、
結果的にはジャスコ岡田時代から年金関係の政策で”負けても”政策論で選挙を戦った実績は小泉の郵政と同じで当事者意識のある意見として認められたと考えていい。
選挙に際して消費税の増税がナシになるなど一部にグズグズした部分があったなんていうのは瑣末な事で(それが小泉の郵政法案の内容にそのものには極端に拘りが無かったのと同じ)、小沢は小選挙区制の導入の時にも、とにかく小選挙区制ありきで当面内容は少々ボロでもいいと、こういった政治の駆け引きがわかっている人物の判断であって今回の民主の場合には年金の一元化が最も重要なのだから消費税云々はどうでもいい話、
同時に小泉の郵政政策の内容には当時の有権者も関心が無かったように(あれは旧経世会と小泉の闘争であることは誰だってわかっていて小泉の”自民党をぶっ壊す”に有権者は一票入れたワケだ)、今回の民主独り勝ちも小沢が支持されたのではない。
今回の選択は民主の官僚政治の打破(社会保険庁の解体)にかける期待が勝った事になる。
現実民主の支持母体には労組もいるんだけれども、
小泉がそうであったように、
これだけ多数の有権者の付託に答える(それだけの非労組議員の数も増えた)って構造そのものが、労組に配慮して腰砕けになる部分を抑止もする。
この国に民主主義なんてー代物がようやく機能し始めてきているのは事実で、
小沢的にはこの流れで衆議院解散→一気に政権交代、となれば自身で政治生命かけて築いてきた二大政党への道を確かめて彼も安心して引退できるって事でもある。
さて、安部ちゃんの敗因は?
こちらも明快だ、
小泉の勝因は「自分の主張を明快にした闘争」って部分で(なんせ前回の選挙の敵は民主ではなく自民の郵政反対派だったからね)、事民主主義において当事者意識が明快な事は最も重要なのに、安部ちゃんは「何をもって戦っているのかさっぱり見えなかった」、
はっきり言えば彼は手を抜いた、或いは逃げた。
この印象の悪さが最大の敗因となった、
ガーゼ赤城なんてたいした理由じゃないのよ、
むしろガーゼ赤木は『そんな逃げ腰の象徴』だったと見ていい。
小泉は安部ちゃんに配慮するぐらい極端なまでに気を使って自分の政権の時には憲法改正を前面に出さなかった。この仕事は安部の悲願だし、憲法改正の偉業は彼に相応しいと小泉は思っていたのだろう、
そして実際安部ちゃんの本音は「憲法改正」只一点だ、
小泉流にいくなら、安部ちゃんは憲法改正の足引っ張る奴は切って捨てるぐらいの実行力を見せるべきで(憲法改正の是非はともかく)、勝つにしろ負けるにしろ今回の選挙の争点は『憲法改正』でなければ安部ちゃんの当事者能力が疑われたのは折込済みだったと言っていい。
(憲法改正がどうでもいいなら福田首相でも良かった)
ところが、安部首相は当初から憲法改正を隠した。続きを読む
2007年07月31日
2007年07月20日
人類普遍の問題として考えてみる
とにかく人類は動物学的に見て特異な存在だ。
ミッシングリンクの話をしようとは思わないが、生殖・行動様式・容姿・進化のプロセス、何処を取っても『サルの進化としては失敗作』としか言えない不可思議な特徴を持つ。
ここで、動物学的な云々を書くつもりはないので(笑
その特徴から類推される人類に普遍的な心理学的問題なる部分に焦点を合わせたい。
心理学的に捉えるなら、「他の動物と比較できなほど肥大化した性的ストレス(年中性交可能な哺乳類はほぼ人類だけ)」「オーバークオリティーのロジカルな処理能力(肥大化した頭はは幼児の自力活動能力を失わせているほど)」「野生で自給自足するには著しく身体能力や装備(毛皮)が劣る」「その結果文明との共存無しに独立して生存する事それ自体が難しい(本来の動物なら早々に動物園的環境から脱出して自然に還る事がハッピーエンドなのに人類の場合ドロップアウトとか落伍者等に分類される)」等々枚挙にいとまが無いが、アブノーマルな生物であるのはガチで間違い無い。
そんな人類特有の普遍性を”前提”にこれを心理学テーマとして(避けられないんだし)考えていかなければここはしょうがないんであって、
『落しどころとして、どうしたものか』ぐらいに考えてもちょうどいいぐらいだ、
そんな厳しい環境(人類が人類である事)の中で決定打とも言えるのが『動機形成』だと言える。
つまり、心理学なるものは動機形成の学問だと考えて間違いじゃない。
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ミッシングリンクの話をしようとは思わないが、生殖・行動様式・容姿・進化のプロセス、何処を取っても『サルの進化としては失敗作』としか言えない不可思議な特徴を持つ。
ここで、動物学的な云々を書くつもりはないので(笑
その特徴から類推される人類に普遍的な心理学的問題なる部分に焦点を合わせたい。
心理学的に捉えるなら、「他の動物と比較できなほど肥大化した性的ストレス(年中性交可能な哺乳類はほぼ人類だけ)」「オーバークオリティーのロジカルな処理能力(肥大化した頭はは幼児の自力活動能力を失わせているほど)」「野生で自給自足するには著しく身体能力や装備(毛皮)が劣る」「その結果文明との共存無しに独立して生存する事それ自体が難しい(本来の動物なら早々に動物園的環境から脱出して自然に還る事がハッピーエンドなのに人類の場合ドロップアウトとか落伍者等に分類される)」等々枚挙にいとまが無いが、アブノーマルな生物であるのはガチで間違い無い。
そんな人類特有の普遍性を”前提”にこれを心理学テーマとして(避けられないんだし)考えていかなければここはしょうがないんであって、
『落しどころとして、どうしたものか』ぐらいに考えてもちょうどいいぐらいだ、
そんな厳しい環境(人類が人類である事)の中で決定打とも言えるのが『動機形成』だと言える。
つまり、心理学なるものは動機形成の学問だと考えて間違いじゃない。
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2007年07月11日
当事者意識についての誤解
言葉としては『当該意識』の方があってるような感じするのだけれども、当事者にも違いはないので言葉的にはアバウトでもいいでしょう、
鏡像論と例の量子力学論を拡大解釈すれば、即ち認知されている現実は『自意識に脚色された舞台に過ぎず解釈の余地を残す一定のシステムである』となるんであって、現実なるものを認識する事はできても、これを特定したり個別に論議する事はできない。
現実は認知された現象だけの矮小な事象であり同時に観測された時点でそれは既に過去のものだからこれを総じて認知するなら、一定の確立による推定を超える事ができないからだ。
この現実の非計測性は、ついうっかりすると「現実的」なる言葉の”的”部分の推定の事かと勘違いされてしまうんだけれど、この両者は全く別物。
現実とは一定の推測と、その瞬間過去として認知される事によってしか証明できない”全体”を指すのであって、ロジカルな個別の推定の無難な線を意味する「現実的」なる言葉とは概念から違う現象だからだ。
厄介な事に、この現実なるものは当該する自我にとって必要な概念に過ぎずひょっとするとある種のパラドックスかも知れないぐらいの勢いの代物で、『実存』で考えた方がよっぱど認識性も高い。
まー哲学の実存主義を哲学として考えるほど深い話じゃない、
実存主義哲学には発想そのものに心理学的にも偉大な発見があって、それを使わないでどうするみたいな話。
つまり、唯幻論ってキャッチコピーがそれこそキャッチなのは、そもそも自我が認知する現実の”現実”がいとも矮小であるからで、哲学的な意味での実存は認識されるべきロジカルな見方じゃなくて証明される存在の事になるので、「ほんとう(実存)はこーなんだけれど、当事者として関与する私の自我にはこーなる(現実)んだよな」な世界に自我は置かれている。
つまり当事者意識とか当事者責任、当該意識って代物は「ここに自分が関わる関連性や連想性から現実を切り分けしている」のであって、評論家的存在でもある。
その評論の論旨に意図的なベクトルがかかると、「ピカソの絵は子供の落書き、で終わり」でも何ら不思議じゃない。
つまり当該する自我によっては、執行者である自意識に「人類にとっても貴重な芸術」にも見えたり「一円の値打ちもない単なる落書き」にもなる可能性はどこにでも存在する。
それを決定しているのは”自我の関与”であって、そこに実存している”ピカソの絵画”は何ら変化しているのではない(自我に認識されない要素こそ実存=自我に認識されるものは幻)。
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鏡像論と例の量子力学論を拡大解釈すれば、即ち認知されている現実は『自意識に脚色された舞台に過ぎず解釈の余地を残す一定のシステムである』となるんであって、現実なるものを認識する事はできても、これを特定したり個別に論議する事はできない。
現実は認知された現象だけの矮小な事象であり同時に観測された時点でそれは既に過去のものだからこれを総じて認知するなら、一定の確立による推定を超える事ができないからだ。
この現実の非計測性は、ついうっかりすると「現実的」なる言葉の”的”部分の推定の事かと勘違いされてしまうんだけれど、この両者は全く別物。
現実とは一定の推測と、その瞬間過去として認知される事によってしか証明できない”全体”を指すのであって、ロジカルな個別の推定の無難な線を意味する「現実的」なる言葉とは概念から違う現象だからだ。
厄介な事に、この現実なるものは当該する自我にとって必要な概念に過ぎずひょっとするとある種のパラドックスかも知れないぐらいの勢いの代物で、『実存』で考えた方がよっぱど認識性も高い。
まー哲学の実存主義を哲学として考えるほど深い話じゃない、
実存主義哲学には発想そのものに心理学的にも偉大な発見があって、それを使わないでどうするみたいな話。
つまり、唯幻論ってキャッチコピーがそれこそキャッチなのは、そもそも自我が認知する現実の”現実”がいとも矮小であるからで、哲学的な意味での実存は認識されるべきロジカルな見方じゃなくて証明される存在の事になるので、「ほんとう(実存)はこーなんだけれど、当事者として関与する私の自我にはこーなる(現実)んだよな」な世界に自我は置かれている。
つまり当事者意識とか当事者責任、当該意識って代物は「ここに自分が関わる関連性や連想性から現実を切り分けしている」のであって、評論家的存在でもある。
その評論の論旨に意図的なベクトルがかかると、「ピカソの絵は子供の落書き、で終わり」でも何ら不思議じゃない。
つまり当該する自我によっては、執行者である自意識に「人類にとっても貴重な芸術」にも見えたり「一円の値打ちもない単なる落書き」にもなる可能性はどこにでも存在する。
それを決定しているのは”自我の関与”であって、そこに実存している”ピカソの絵画”は何ら変化しているのではない(自我に認識されない要素こそ実存=自我に認識されるものは幻)。
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2007年07月04日
システム論
再三心理学をテーマにした話で登場する『共同幻想』って言葉だけれども、これを心理的な切り口じゃなくて文明化社会におけるシステムとして考えてみよう。
どうも心理学的な話だけだと、心理学の性質上概念のあり方が個人ベースに偏りがちでどうにも社会学的な社会適応的発想との関連を認識しにくいからだ。
実際の話個人心理学の水平で集団心理の枠を論じていても、「仮想敵国の心理的な意味合い」てーな枠から出る事は多くないので、『共同幻想』をベースに派生する集団心理や社会心理ってな存在の構造それ自体が説明する事に無理がある。
卵が先かニワトリかって話に限りなく近いんだけれども、これシステム論で考えればモデル自体は実にシンプルだ。
社会を構成する個を想定するためには、仮想上の普遍的自意識を各々の個に定義しなければ共通意識としての合理性が担保できないのでその集団を社会とは呼べない。
かといって、個々人に無秩序に仮想上の普遍的自意識を定義しても各人の考える集団的秩序という概念がてんでバラバラならそこには”法”というような外部的な概念をガチではめ込まないと機能しないし、その準備段階としての”教育”というシステムによってそれを実証する必要もある。
ところが、仮想上の普遍的意識って奴の容量は逆算する事も出来ないし、話の発端である個々人の自我の発想その全体を拘束する概念は存在しないのだから、機能的なシステムとしてこれを完成させるためには随分と哲学的に広がった普遍的価値体系でこれを拘束する方が機能的であるには違いない。
たとえば”バイブル”や”コーラン”、
しかしダイレクトにその著者に書かれた意味を問う事のできないロジックは、常に解釈の予知を残し結果として普遍性そのものを担保できないので、確かに民族性であったり地域文化の醸成に一役買う事は間違い無いのだけれども、それが完全な社会モデルの構造に寄与するのかって言えば「何とも言えない」のが本音、
近代以前の血縁社会で言えば、その普遍性を非個人的血族の常識的なくくりで自我の自由度を拘束してその共同幻想の収まりを担保する事も可能だったけれども、この場合には地域性や伝統といったもので、そもそも各血族の普遍的価値意識を擦り合わせしない事には、いけないのであって個々人レベルでは安定しても、社会としては至極不安定でもある(アフリカでは氏族間の戦争が今でも続いている)。
近代社会ではこれを民主主義による「改正を延々に継続する法」という概念で構成する事になるのだかれども、いかんせん運営に時間のかかる民主主義社会では、外部化された価値体系を構成する事はできないしそれは超越的にも上部構造的にもなり得ない。
むしろ「改正を延々に継続する」という民主主義における最も重要な部分が、法案の普遍性を逆に毀損してしまうから、その外部的価値体系は常に暫時的だし刹那なものでしかない事になる。
近代以降の共同幻想の不安定化は、そんな社会の流れに応じて流動化し曖昧化するのだけれども、結果として「個々人の自由度の拡大」をそのバータとして獲得する。
回答は実にシンプルな物で、共同幻想の不安定化による個々人の人格モデルの不安定化も実体として個々人の独立する価値体系によって代行されて→民主主義の発展とパラレルに関係するってストーリーになっている、
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どうも心理学的な話だけだと、心理学の性質上概念のあり方が個人ベースに偏りがちでどうにも社会学的な社会適応的発想との関連を認識しにくいからだ。
実際の話個人心理学の水平で集団心理の枠を論じていても、「仮想敵国の心理的な意味合い」てーな枠から出る事は多くないので、『共同幻想』をベースに派生する集団心理や社会心理ってな存在の構造それ自体が説明する事に無理がある。
卵が先かニワトリかって話に限りなく近いんだけれども、これシステム論で考えればモデル自体は実にシンプルだ。
社会を構成する個を想定するためには、仮想上の普遍的自意識を各々の個に定義しなければ共通意識としての合理性が担保できないのでその集団を社会とは呼べない。
かといって、個々人に無秩序に仮想上の普遍的自意識を定義しても各人の考える集団的秩序という概念がてんでバラバラならそこには”法”というような外部的な概念をガチではめ込まないと機能しないし、その準備段階としての”教育”というシステムによってそれを実証する必要もある。
ところが、仮想上の普遍的意識って奴の容量は逆算する事も出来ないし、話の発端である個々人の自我の発想その全体を拘束する概念は存在しないのだから、機能的なシステムとしてこれを完成させるためには随分と哲学的に広がった普遍的価値体系でこれを拘束する方が機能的であるには違いない。
たとえば”バイブル”や”コーラン”、
しかしダイレクトにその著者に書かれた意味を問う事のできないロジックは、常に解釈の予知を残し結果として普遍性そのものを担保できないので、確かに民族性であったり地域文化の醸成に一役買う事は間違い無いのだけれども、それが完全な社会モデルの構造に寄与するのかって言えば「何とも言えない」のが本音、
近代以前の血縁社会で言えば、その普遍性を非個人的血族の常識的なくくりで自我の自由度を拘束してその共同幻想の収まりを担保する事も可能だったけれども、この場合には地域性や伝統といったもので、そもそも各血族の普遍的価値意識を擦り合わせしない事には、いけないのであって個々人レベルでは安定しても、社会としては至極不安定でもある(アフリカでは氏族間の戦争が今でも続いている)。
近代社会ではこれを民主主義による「改正を延々に継続する法」という概念で構成する事になるのだかれども、いかんせん運営に時間のかかる民主主義社会では、外部化された価値体系を構成する事はできないしそれは超越的にも上部構造的にもなり得ない。
むしろ「改正を延々に継続する」という民主主義における最も重要な部分が、法案の普遍性を逆に毀損してしまうから、その外部的価値体系は常に暫時的だし刹那なものでしかない事になる。
近代以降の共同幻想の不安定化は、そんな社会の流れに応じて流動化し曖昧化するのだけれども、結果として「個々人の自由度の拡大」をそのバータとして獲得する。
回答は実にシンプルな物で、共同幻想の不安定化による個々人の人格モデルの不安定化も実体として個々人の独立する価値体系によって代行されて→民主主義の発展とパラレルに関係するってストーリーになっている、
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現在は基本的に『簡易相談(依頼文2000文字まで)7,700円』『簡易相談ハーフ(依頼文1000文字まで)4,000円』「テーマ限定300文字1,000円」のみの受付です
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(『簡易相談』の利用は原則月1回のみです《ハーフは月2回まで》、テーマ限定は週2回まで)
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