すっかり格差と言えば論議が所得格差って話になってしまっているんだけれども、ついこないだまでの論議の中心はやっぱこれ『デジタルでバイド』つまり情報格差の事だ。この情報格差の時の話ってインターネットそれ自体がボーダレスの存在だったものだから話は「PCが使えるか」とか「ブロードバンドのインフラは」なんて感じに年齢階層や国家レベルの公共工事の話になっていたけれども抜け落ちている論議がある。
”地域格差”だ、
ボーダレスのインターネットに地域格差ってこれおかしいでしょうな意見も聞こえてきそうなんだけれど、これは実際に実存する。
何故って利用者の人格構造とインターネットの利用には相関関係があるからだ。
誰しも経験があると思うのだけれど、それこそコスモポリタン東京みたいな大都会と地方における一般常識にはやはり随分と乖離がある。
「東京じゃ晩婚化は常識」でも「地方じゃ東京の晩婚化は非常識」であるケースはやっぱ多い。
即ち所属している個人が置かれている環境そのものが違っているのであって、当然その母体との関係無しには語れない個々人の人格にキャラクターの違いがある方がむしろ自然だ。
ここいらへんを考えるにあたっては、社会学的に考える方が話が早い。
社会学だと、共同体の分類としてこの辺のキーワードが出てくる。
ドイツの社会学者フェルディナント・テンニースが勝手に命名してるって言えばそうなんだけれど、あまりにも有名。
『ゲマインシャフト(Gemeinschaft):地縁・血縁』
『ゲゼルシャフト(Gesellschaft):近代社会』
言っちゃこれ社会学的な発展形態の変遷の事で、近代以前の封建国家時代には社会の基本構造はゲマインシャフトであって、都市や企業を含む社会の近代化によってこの構造はゲゼルシャフトへ変遷し、構造的に変化するってこの話は定説ってか社会学の基礎。
ところが、社会なんてものは一糸乱れる民族大移動みたいな話にはならないんであって(むしろこの傾向は第3世界の方が顕著)、地域差ってものが生まれる。
これを「地域格差」と呼んでしまうとあたかも経済的な発展に遅れをとって同時に社会構造の変遷も起きない社会はランクが低いかのような誤解を与える、なんせ本来経済や社会の文明的進歩などというものは、当事者の選択によるものであって、この際経済的利得とはそのインセンティブであるに過ぎない。
つまり、地方には今でもゲマインシャフト的社会の色彩が色濃く残り、都会で社会といえばゲゼルシャフトが常識である現実は否定できない。
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