2005年09月24日

古田君にひとこと

かく言う俺は古田ファンである(歳も同じだしね)。
元々は野村監督ファンであった事がきっかけだけに、いろいろ苦言もあるワケだ、
元々古田君には「どっか一線超えないもどかしさ」がある。

首位打者なんかタイトル取ってバッティング好調の時にも、自分から4番を打たせてくれ的野望を感じない。(僕ら古い野球ファンとしてはライオンズの太田卓司じゃないが、4番は勝負強ければ良くて数字ばかりじゃないって思いがあった)あの当時のヤクルトファンとしては「古田4番待望論」だったのだけれど、なかなか実現しなかった(ほんの時たま4番になったぐらい)、
野村は「4番じゃ負担が大きい」が口癖だったが、本音の部分では本当のチームの顔としての関わりに「まだまだ」ってとこが残っていたからだろう。
野村は4番をチーム編成のキーに考える、阪神での4番新庄がその現れ、
新庄君を思い出して欲しい

彼は数字的にも最強のバッターではない、どちらかと言うとパフォーマンスで有名だ。
しかし新庄君はそんな風評と違い、実はとても責任感が強い。自分はチームの顔だとして疑わず、今彼は日本ハムの看板選手でファンサービスについても「かぶり物」なんかで有名、
日ハムで最強のバッターは疑う事も無く小笠原だけれど、新庄は阪神・メッツにおいてもクラッチヒッター(チャンスに強いバッター)だったし、チームの勝敗の要に置いておくにはやはり適任、


古田君は「遠慮や配慮」で、そこまで堂々と目立つような事はしない。
ところが、肝心かなめのヤクルトの選手やヤクルトファンにとって、「ヤクルトとは古田のチーム」これを疑うものはいない。
ヤクルト優勝の鍵は常に“古田”だった。
その存在感は新庄君を数段上回る

古田ファンとしてはね〜、どうしても(ストライキの時もそうだったけれど)「もっとバンバンやってもいんだよ古田君、君がリーダーだ」って不満がいつも残る、
野村の評価はって言うと
「捕手として目立ちたがっている」
これどういう意味かって、ピッチャーが目立つ(正攻法)というより、捕手が目立つ配球をしているって評価で(古田のフォークボール好きは有名)、こと配球について日本有数の2人の捕手の意見は常に違っていた。(メジャーについての考え方も違う)

ちょっと変でしょ、
野村の評価は「古田は配慮と遠慮の人ではない」のだ、
そうでなきゃあれだけの配球とバッターとしての勝負強さはあり得ない。
本来は彼は「星野の何倍も闘将」の筈、
そこいらへんがバレバレなので、古田ファンとしては「俺に4番打たせろ、広沢じゃ負けるだろ」ぐらいの勢いが本来の古田の姿だと思う。
実際古田は野村の後継者というより、彼の事だから野村をライバル視しているだろう、
なので、本人余計に「監督兼選手」ってのに抵抗ある筈。
又もや「野村後継者史観」から逃れられない、
なので古田君的には、「野村越え」が狙いだろうから、予想通りヤクルトサイドからの監督要請に「ハイ引き受けましょう」と簡単にはいかない。

彼の監督受諾の条件は「戦力の補強と、ファンサービス」だ、
これま又優等生的に「FAという選択肢もある」なんて事までコメントする。
そのゴタゴタ中はヤクルト連敗、若松監督までカリカリしている、

なんか思惑が逆効果になってるよ古田君

『野村再生工場』
これ古い野球ファンはみんな知っている事だけれど、クビになった選手を「発想の転換」によってレギュラーとして復活させる野村監督の有名な手法。
所属球団が貧乏だった事が背景なんだけれど(阪神には金があったので、正攻法の補強が星野に引き継がれた)、貧乏であることを批判はするが「補強が無ければ監督を辞める」ってものじゃない。
「無いなら無いで、自分の手腕で考える」のが野村、

もどかしいんだよね〜
古田君にも再生工場を期待しているのじゃないが、古田ファンはそれほど「野村後継者」も意識していないし、「ヤクルトのチームの諸君は誰より古田監督を望んでいる」だろう。

「光栄ですやりましょう」スパッと去年言っても良かった。

ライオンズの伊東見るとわかるけれど、監督になると選手時代に見えなかった「勝ちへのこだわり」がよく見える。(エラーで負けた試合後お客がまだ残っているのに守備練習したりね)
その人物の「勝ち方」が、
古田ファンとしてはこれが見たい
「マジになった古田」
“監督兼選手”期待してますよ古田君、これが一番のファンサービスでしょ。
posted by kagewari at 19:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月13日

自民党大勝利、その心理的考察

「こりゃ大勝利だ」と、
かくいう俺は世界の平和のためにと「民主党に一票」
完全に死に票だった(笑
東京は管直人以外全滅したワケだ

小泉の勝利は「概ねみんな予測していた」とはいえ、これ勝ち過ぎなぐらい勝った。投票した有権者の心理として「彼が衆議院でもスレスレ参議院にいたっては負けた」という国会運営から「こりゃ少々わかりやすく勝ったとわかるぐらい勝たせてやらないと」と思った事は事実だろう。
言っていることがマトモで、特に政策的に結構イケル民主党は「小泉の今後を心配する有権者」にはむしろ心配材料に見えたのではないか。

そこで余計に「わかりやすいぐらいに勝たせてやらないと」となった。

今回の選挙を「事実上首相公選的な小泉の信任投票」にもっていった小泉は戦略上「既に勝っていて」、後はどれくらい勝つのかが問題だった。
有権者に「小泉を勝たせてやろう」って部分は投票前からムードとしてあったのであって、
民主党は全体像を完全に見誤った。

「俺の不信任だから、是非国民に聞いてみたい」解散に打って出たのは小泉で、今回の選挙は不信任案可決によるものではない。
彼が勝手に仕掛けた戦なわけだ。
この時点で民主党の存在は「ほとんど眼中にも無い」状態で、マスコミとしても「郵政民営化反対派(元自民党)対小泉」の図式で報道しているのであって「今回の選挙における民主党の位置付け」なんて何処にも無かった。

なんと言っても、民主党が小泉を国会で追い込んだのでは無いのだから民主党も「単に解散させられた側」に過ぎない。

小泉は自分のとこ(自民党)の集票マシーン「全国の特定郵便局長」を切って捨てているのに対し、民主党は「支持母体の労働組合なんでしょ」というイメージを最後まで払拭できなかった。
第一、基本的に郵政民営化の大枠に賛成なら法案は後に(政権を取ってから)修正すればいいのだから参議院で否決されそうになった時にオープンに党内論議して「勝手に賛成する」戦術を取っても良かった。
しかし「絶対賛成できない」
誰がどう転んでも「労働組合だわな」と思ってしまう。

『改革』
このイメージとして、小泉はわかりやすい。
何と言ってもこれまでの支持母特定郵便局を切るワケだ、当然その先は「地方に利益誘導する財源なんか無いよ」だから、自民党としてはどえらい改革になる。
今回の選挙で自民は「都市型政党」になった。

なんとなく都市型の受け皿として、浮動票を集めていた民主党は急激に株を下げた。
元々政策的に同じ保守系の二大政党のひとつである民主党にとって、「より都市型だから」を強烈にアピールできないといかんかったのだが最後まで目立った動きは無く、その違いを鮮明にする事はできなかった。

「いや〜けっこう民主党に入れる人がいるかも知れないぞ。マトモなだけに」な不安感(民主党は負ける前提で戦略を練るべきだった)が「小泉大勝利」に繋がり、憲法改正も可能なぐらいの大勝利の結果に、、
次の首相はタカ派で、A級戦犯岸の孫“安部ちゃん”だぜ
こりゃ外交が大変だわ、、

「あら〜驚いた」のは有権者も同じで、、
ちょっと面白い事になってきた。
『自民296』この国のダイナミズムを実感する数字だろう
心理的にこの国が完全にデフレから抜けた事は間違いない。
posted by kagewari at 18:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月10日

「被(こうむる)」につていの再考

俺は時々無意識的な認知が自意識に現れている証明として「言葉の中に暗韻が踏まれている」と表現する。これは言語学的には「暗喩:メタファー」って事になるんだけれども、なんか感覚的に違うところがある。
メタファーっていうと「確信犯的に隠れているロジックを認識している」的な意味合いになるからだ。音楽のコードじゃないが「暗黙のある意味合いを踏む」的表現で「暗韻が踏まれる」とかの言葉を選んでいる。無意識的認知の表現としては「つい習慣である和音を左手で弾いてしまう」の方が正確だと考えるからだ。
自我を考える中で、近い言語モデルとして「見た目でイメージできるので」音楽がわかりやすい。(詩や俳句の、韻を踏むってのもの同じ意味だし、映画のモンタージュも同じだが、どうしてもその内容を感覚的に伝え難い)


自分の育った環境で、つい左手はある和音を弾き、この左手の動きはもっぱら無意識的である。主旋律は右手のパートになるので自意識的である。
さて、音楽をたいしてご存知でない方でもわかると思うが、左手がブルーノートのコードを延々と弾いている時に、いくら右手で違うジャンルの音楽を表現しようとしても「JAZZ風」になってしまう。
この時、主旋律を弾いている右手は「音楽の雰囲気や作風を左手に支配される」これを脅迫(強迫)と考えるとわかりやすい。

一般にこの左手と右手は同じ作風に調和しているので、混乱も起きないし弾き手も上機嫌に違いない。
この左手の動きが「教育や親子関係による継承」であり、民族や地域で一定のコード進行になる。
これを『共同幻想』という。
幻想という意味は、なにか妙なオカルト話をしようってのじゃなくて「ある調和に過ぎなく、左手のコード進行だけで音楽にはならない」からだ。
なんとなく想像がつくと思うが「慣習や教育・家族関係で継承される曲調が、ある枠から外れない(保守)」のだから、右手の表現も予測の範囲から外れる事は無く、一定の枠に収まる。
これを『普通』と言う。確かに偶然性はあったとしても、その表現の枠は限られたもので、そこには弾き手としての自由があっても、音楽としての自由は無い。ましてやその『曲調』は自意識(右手)に選ばれたのでもない。

しかし、

◆右手に不快感が無い場合、この状態は「支配されている」と認知されない。

ところが、

この左手の和音を矯正されたと感じたり、その習得にまつわる記憶に不快感や、不平等や不正に近い疑念があったりすると(記憶とは連想性なので)、何をするでなしの状態:日常時に(まるでクラブのピアニストが、時間つなぎにポロンポロンとアドリブで弾いている状態)『常に違和感のある和音が聞こえる事になる』。
重要なのは、この和音の流れが、音楽としてどうこうという事に一切意味がないところだ、
この和音を左手が弾き始める時代に「不快な記憶がエピソードとしてくっついている」ので、その当時の和音を鳴らすと追体験で不快ストレスも再現してしまう。

◆どんなに優れたコード進行でも、右手の自意識には不快感がある。
という事で、まさか異様な旋律(自分にはそう聞こえる)は意識的に弾いている感覚の無い左手が原因とは思えない(実際コード進行自体に問題は無い)ので、右手の主旋律(=現実)に問題があると思ってしまう。
※フラッシュバックとは、つい頭の中で繰り返してしまう「不協和音」のようなもの

これが「自己嫌悪」、
この瞬間、話は上と下が逆さまになってしまい、「問題があるワケではないが、不快感の主体である左手は疑われる事無く、もっぱらそれに合わせる右手の世界から不快原因を探してしまう」。
つまり「疑わしいのは現実」になり、「自分乃至自分に関わる人物が怪しい」という結論になる。
注)よく、精神的悩みがあると、左手和音の側に属する「家族」と軋轢を起こすが、この軋轢は「右手旋律(現実の人間関係)として」であって、「家族の左手的関与」は結果的に安全圏にあり、「表面的な軋轢は、左手的関与を抑圧するための自己保存的衝動」と考えるべきで、左手の関与を疑っているのであれば疑念の中心は「何故そうなったのか?」であって、感情的な反発にはならない。


「被(こうむる)」という状態は、この左手に脅かされる右手の構造(脅迫(強迫)構造)を表しているのであって、主体的な決定や判断とは何ら関わりが無い。
※この構造に自意識は全く無関係なワケだ。


といっても、アイデェンティティーとは、この左手のコード進行の事であり、特異な記憶や関連つけられたイメージを持つ個人には日常性に『和音連想の違和感や不快感』が付きまとう事になる。
和音(日常的コミュニケーション)は、通常の人間関係の中で常に奏でられている(クラブのピアニストの例)のだから(実は、主旋律を弾く頻度は僅か)、ボーダーラインとかの症例が発症するのは不思議な事ではない(自分が日常生活で和音を弾く事でダイレクトに不快感が追体験されてしまうので)。この再現性を「投影」という。

◆「その不快感を想起させる和音を弾いたのは、この和音が妥当と判断したから」で、不快感を発生させている主体は『自分自身』である。

不快感の原因は自分だが、この不快に自分は全く関係無いって話。そしてその和音にもとりたてて問題は無い(実は完全にそうとも言い切れないのだが、話が別次元になるので、、)。

精神分析は「どのコード進行でその不快が起きるのか」を考えるもので、元ネタを探る事で「そもそもその不快の事実関係は今考えるとどんなものか?」と考える工程で(子供特有のデフォルメがコンプレックス力動的側面の主力を成すので、大人の視点で見直すだけでもその誇大性は大幅に修正される)、「コード進行の不快感を、まるでコード進行自体に問題があるかのように解決する」という姿勢ではない。
むしろ「コード進行自体には問題が無い」というポジションになる。
ましてや右手の主旋律に問題がある筈無い

※新しいコード進行の可能性や、そもそもコードからモードへとかの進化は右手主旋律サイドのアイデアであって、「間違いの修正ではない」(こっちが別次元の話)。



昔々左利きは、右利きへと矯正されたんだが(俺もその口)、これも象徴的意味では「政治的保守層には本質的に正しい社会的判断だった」のかも知れない。
革新系を『左翼』なんて呼ぶのも、似たようなものか。。


JAZZの世界じゃないが、このコード進行なる左手を完全無視し「右も左も旋律だ」まで極端にフリーを志向すると、音楽としても壊れるので(笑
フリーJAZZが概ね失敗したのもうなずける。
「何かを表現する」事は、「表現されるロジック」があるのだから、「無秩序なロジック」では、文法として壊れている事になってしまうし「無秩序を表現する事は、結果として一律に無秩序であるだけで結果は自由ではない」という論理矛盾になるからだ。
「若者の暴走行為の結果は意外と画一的」とかね、
タグ:メンタル
posted by kagewari at 06:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月05日

精神分析的視点(6)「サクリファイズ」

精神分析と言語学的心理学との関係はとても大事で、「動名詞的表現」を使うと、主語抜きで話ができる。
そして、その特徴は「なんとなくそれらしく、妙に説得力がある」とこで、なんだかしらないが「いかにもあたり前の話をしている」的感覚になる、

これ話し手も聞き手もだ。

ここで、時折事実が「不本意にもデッチあげられる」
誰も意識していないのに


「私の犠牲的献身があったにも関わらず、なんの報いもなかった」
いかにもまともな言葉に聞こえる
「いっしょうけんめいやるということは、僕には苦手なんだ」
まったくそのとおりだ
「なんでこんなに嫌な目に合うのか」
大変そうだ

ここでもう一度考えてみる
「私の犠牲的献身があったにも関わらず、なんの報いもなかった」
誰のための何の犠牲なのか?
「いっしょうけんめいやるということは、僕には苦手なんだ」
何が面白くていっしょうけんめいやるって話なのか?
「なんでこんなに嫌な目に合うのか」
何が嫌で、こんな目ってどんな目なのか?

実はその前提の方こそ事実関係で、動名詞的表現は全て「それ以降の印象」に過ぎない。
しかし、話だけ聞くと「話していいるほうも聞いている方も、事実関係に疑いもなく、動名詞的表現以降の話がメイン」になり、なんだか意味不明の論議に終始して、なんかこれじゃダメだ的結論で話が「まとまって」しまう。

サクリファイズ:犠牲
これって、ほとんどカソリック用語で、神に対する自らの犠牲
実のとここれ「神」ってどこの誰だかわからないので、「不明瞭な何かに対する自分勝手な献身(この犠牲の内容が「ハズレ」である可能性があるので)」と言い換えてもいい。
「犠牲って言葉から何か随分と外れてない?」

そもそも具体的にこの言葉が使われる事は無い
「俺の犠牲になってくれ」とは言わない
文法的にもちょっとおかしいでしょ、
犠牲ってのは自分が選択して自分で言うか、その後で評価として使われるもので、「犠牲を頼まれる」のは変だからだ、第一頼まれたら犠牲じゃない。
「俺の身代わりになってくれ」これはアリ
ところが、その後「私は彼の犠牲になった」とは言わない。
言わないでしょ

「俺さ、右大学いこうと思って」
「そう、心配するなよ、俺は私立いかないからさ、問題ないんじゃない」
この兄弟の会話でなんとなくわかると思うけれど、上記の会話のように犠牲的であるためには「ほんとうは嫌で嘘をついた」方が犠牲っぽい。
これなんだろうか?


自意識とは自己のイメージでは部外者的存在である事を、何回か説明しているが、それはこういう言葉ややりとり、現象に現れている。「自分の事情に巻き込まれた自意識の気持ち」として、

この自意識の分離感は、自分を他人に思える自意識のエゴとしての独立性でもあり、
同時に自分を落ち込む渦に落とす加害者のそれでもある。
“そのサクリファイズ”なワケだ。
タグ:メンタル
posted by kagewari at 02:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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