2005年02月09日

写真について

実際仕事で写真を撮る事が多い。子供の頃から写真を撮るのは好きだったが、俺の育った環境はお金持ちとはおおよそ言えないものだったので、「カメラはオヤジのもの」だった。

中学の修学旅行の時だっただろうか、当時出だしの自動焦点のコンパクトカメラを貰ったのだが、「現像屋に出す」ってとこが引っかかった、子供の頃から単独行動が主体の俺にはそういうことが妙に気になって、カメラは押入れの置くとか、物入れの置くに置きっぱなしになっていき、モバイルPCを買ってHPをキックオフする段になってデジカメを買うわけだ。

こいつが性に合っていた、
その場で絵を確かめられる上に、現像の必要が無い。少々ドジ分でも画像ソフトで修正できるって技は、カメラの扱いに関してド素人の俺にも都合がいい、それからというもの仕事でバシバシ写真を撮る毎日なのだが、自分を撮ったり写ってしまう事が今でも苦手だ(物心ついてからというもの、自分の写っている写真はほとんど無い)。

アメリカンネイティブじゃやないけれど、どうも自分の写真を撮るの事に抵抗がある。その違和感は、おそらく「本人と自我の乖離(自分の声を録音した時のあの違和感の事)」なんだと思う。自我で考える事の多い俺には、自我自体の主体性が意識の上ではどうしてもいつもの自分で、、
まあ、自分の客観象は人から見たときの自分で、殊更自分で確かめてどうするって気もするのだが、この“苦手は”生涯ついて回る事は間違いない。
posted by kagewari at 16:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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