言葉の世界から見ると「解釈(答えではない)の無い記憶は憶えられない」か、
その反対に強く象徴的に分類されていたり、その連想として関連事項に処理されているものは、「気になる=よく憶えている」ので、記憶は『ある特定の傾向で連なる』。
この特定の傾向が、人格と呼ばれたりアイデェンティティーになったりするのだが、これを証明する簡単な方法がある。
“絵を描く”事だ、
ことほどさように世の中には「絵の上手い人と、絵の下手な人」がいる(歌の上手い人ってのも同ジャンルの可能性があるけれど、、)これはものを見る時に「記号的な分解処理系」か「印象系」かの違いが、個々にある事を証明していて(下手な人の典型は絵が二次元になる。これは立体的な分解ではなく、平面図形の象徴化で脳内処理が行われているからで、本人意図的に下手に描こうとしているのではない。ピカソのキュービズムやらなんやらは「意図的にモノの認識を自意識的に変革させようとしている」と言ってもいいのかもしれない)、似た例で歴史の年号を「鳴くよウグイス、、(何故かこの記憶法に俺は子供の時から拒絶反応があった)」のような印象を連想させて憶える方法があったりする。
記憶は“そのまんま”ではない。
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