2004年12月30日

『葛藤』(2)

そもそも葛藤が「被る」という受動性とどう関わっているのか考えてみる。
葛藤は、感覚としてその本人には「超自我」として確認されるので、見かけ上道徳的判断としての拘束力(結果として「脅迫(強迫)性」)を持つ。

つまり、その存在を感じる時には「従わざる負えない(或いは許せない)」なので、この状態自体が苦しみであり、ハムレットの話にも似ている。

この被る構造は、葛藤が成立する環境をそのまま人格構造に置き換えた(その反対が「投影」だから、この葛藤が追体験的に別の人間関係に投影されやすい事もここからわかる)と言ってもいい。

「超自我=自分の自我を超越する自我=親やそれに相当する権威」
超自我は、親との依存関係から「反抗期(印象としての親の「現実的」感の現実の親からの反抗=自分の考えとして取り込み=聞く事から自主的判断へ=自分の力になった事の興奮から、それを試したくなり、親に意味も無くつっかかる)」を経て自分の考えとして、その概念(=関係)を取り込んだ結果なのだが、葛藤は皮肉にも同じルートで取り込まれる。

「葛藤=自分の自我を脅迫(強迫)可能な自我=親やそれに相当する権威」
葛藤は、親との依存関係から「反抗期(印象としての親の「現実的」が親の不安の結果わからずこれを「愛されていない」と想像=自分の考えとして取り込み=聞く事など恐ろしくてできる筈もなく自主的判断=自己嫌悪の不快感から、それを解消したくなり、怖いので親の不安と関係の無いところで自己嫌悪を証明したくなり、親にいろんなテストを仕掛ける)」が不完全で自分の考えではなく、その概念(=関係)を強く「被る」として取り込んだ結果である。

ここで疑問を感じる人も多いだろう。

「自己嫌悪を証明したくなり」の部分、
これが欲求として感じられる事に疑問が多いと思うので、説明しておきたい。

前にも触れた事があるのだが、ストレスというのは「行為としての結論」を求めるもので、必ずしも主体的には『快』である必要性が無い。ある種興奮を伴った行為は=即ち欲求の代謝として、生理的には広義の快になってしまい、この判断を自我が超越する事は「確信犯的」である時だけになる。(この「犯」と、犯罪者でもあるように表現するのが適当なのは、もっぱら自我にとって「葛藤」は道徳的な超自我に属しているので、構造的には、そのアンチテーゼは「反道徳」だから。ある意味自我の自立的判断は、その判断が超自我的なオートマチックなモノではない事を証明する事を兼ねるので、その場合も「確信犯的」や、実存主義的「反抗」という言葉が似合う、オルタナもここに含まれてくるだろう。)

シンプルな例は(葛藤の説明ではなく、快不快についての例)
※「ダメだこんな作品じゃ」引き裂かれるキャンバス
これは快?不快?
しかし、あるストレスはこの行為で行動(結果)選択され現実となる。

精神的な悩みに付き纏う「不快感や、辛さ」は、超自我の領域に反動として存在する葛藤のストレスだと言っていい。

だからこそ『葛藤』へのアプローチは2方向となる。
◆見かけ上「道徳的判断」に属する概念への確信犯的反抗
(行動療法には思考も含まれる)
◆反動として現れる無意識の不快な記憶自体への自由連想による再解釈
(悩んでいる事象とは無関係な部分からでも、その存在を認知して「理由」を分析する事で「抑圧と反動」の関係を「認識」の領域へ変える。=「ノスタルジーを過去へ還元する」)

しかし、実際のところ葛藤は強く「被る」という感覚であるからこそ「自分でそう思っているのでは無い」とも言えて、そう思う当事者性の回復からして難しい話で、実際「悩み(辛い事を被っている事の不快感)」の形で表面化したり「現実の人間関係の不都合(投影)」として表面化するので、入り口からして、ハードな問題には違いない。

これ又「なんで悩んでいる上に、そんな目に合うのか」として精神分析自体が「被る線上」に認識されやすく、自我防衛を間々引き起こすのだが、大事な事だけれど、
「悩みや不快感」とは、自我がそれを拒絶している証であって「あなたはそう思っていない」という確信も同時に証明されている事を忘れてはいけない。

既に戦いは始まっている。
タグ:メンタル
posted by kagewari at 05:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月28日

どえらい天災があった。

自然のパワーの凄さと、「雨になったらやっぱり傘」という文明の脆さと、観光地での悲劇というとこが余計に何かを鮮明にさせている。
そして現代戦争と比較した時の「死者の多さ」。
テロリストなる奴らの矮小さも、

しかし人が矮小なのではない
人も、その自然の一部だからだ
posted by kagewari at 17:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『葛藤』(1)

自己嫌悪については随分話したと思うのだが、その自己嫌悪のキーとなるのも『葛藤』と言える。
葛藤を辞書で引けば

:心の中に相反する欲求が同時に起こり、そのどちらを選ぶか迷うこと。

話を簡単にすると人の現実認識は「一面」では無いので、全ての認識に「相反しない」要素を排除するなんて事はあり得ない。実際この「相反する要素」を整理するために、概念の順列(あるいは階層)を位置付ける超自我が存在し、一般的にはこの背景は「共同幻想」になるのだから、自我的には、この「思考の順位制」のようなものが整理すると自分自身の中で「結果としての結論」が出るので、葛藤の存在を意識する事は少ない。

1使い勝手2色
だった時
「この機能性は買えるが、色が赤しかないのか」
でも「じゃこれください」という結果になる。

心理学的な『葛藤』が問題なのは、超自我内に葛藤が織り込まれている事に他ならない。「思考の順位を決める上位概念自体に矛盾があり、自分の意思を決定出来ない」ことになる。

言い換えるなら「自分が何者であるのか」について主体的なイメージを持つのではなく、受動的にならざる負えない。(実はここは「ニワトリと卵」の関係にある。後述、)「みんなと同じに」の意識もこの連想性からくるもので、現実に「みんなと同じ」という概念は自我では成立しない、「みんな」が不特定の抽象概念だからで、「定義=順位」に繋がらないからだ。

そもそも『葛藤』が超自我に織り込まれるのは、「解決不能の不快感」を無理くり無意識に追いやるため、その反動形成として「押し込む(抑圧)ための理由」が、超自我に必要となるためで、

「そもそも現況の自我に押し込まないといけないのだから、この不快感を押し込める理由は、現況の自我と矛盾する」ので、『葛藤』となる。その超自我に取り込まれる時に「何故自我自体が、その矛盾に対して、超自我の判断としてはねつけられないか」と言えば、「避けられない緊急事態」であったり「家庭問題」のような「自分の意思だけではどうにもならない要素」であったり、「幼児期で、そもそもその超自我(第一次反抗期で、初期的な超自我は形成されている)がまだ形として出来上がっていない」から、等が原因として考えられる。

ここが、『葛藤』の解消への答えになっている。
つまり「大人の自我にとっては、この矛盾性は解決可能」だからで、最も重要な事は「何か変じゃないのか?」という違和感だ、

自我が感じる不快感に解決不能の事象等無く(これが「やってやれないことはない」とかの言葉の根拠で、この言葉も実際に「できてしまう」の意味ではなく、「できない等で悩む事などあり得ない」事を示唆している。)、自我は「交渉」によって「選択」の答えをみつけるシステムそのものなのだから、解消へのプロセス事態は難しいものではない。

しかし、『葛藤』として取り込まれた「反動的(その証拠に本人もその概念が嫌いだったり、本音じゃ無いという意識がある)な概念」が自我の憲法とも言える超自我に属するため、自分の意思だけで(つまり「自我→超自我」という修正のプロセスは、自我自体には無い)、自分自身の超自我に干渉する事は非常に難しい。

ある意味「自分の道徳を撤回する」ワケだから、見かけ上「堕落」や「妥協」や「打算」として感じられ、超自我の修正につていは構造的に「受け入れたくない事だ」という反発や、アプローチ自体への疑問を伴う。(ここが精神分析時特有の自己防衛で、感情的な反発がしばしば起きる事も多い)

精神科医は「自分が医者である」という権威性(超自我が受け入れやすい「より高次」的印象)を、うまく象徴化に使いこの説得に努める事になるのだが、「被る」という受動的な在り方の中で、たとえこの説得が見かけ上成功しても、「より高次の超自我に、押さえつけられている」に繋がり易く、必ずしもリスク(逆に葛藤が温存される)が無いということは言えない。
◆「先生は信用できない」
これ一発で、その後成すすべ無しになってしまい、実際の話「その先生」の分析が中途半端なら時間稼ぎにしかならない。

だから「どう考えても思考に、こういう矛盾がある」や「この矛盾は何故起きたのか」について、いかに話をすすめていくのかが最も重要だと俺は考えている。(相談の形を取る事で、その内容を聞く側が同時に分析の内容を検証することが出来るのでリスクは少ない)相談する側にも構造的な防衛意識や不快感が伴う事もあるが、それは『葛藤』という構造自体の必然性でもあるように思う。
タグ:メンタル
posted by kagewari at 10:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月23日

自我の仕事「交渉」

実際の話、「葛藤の無い人」などいないのであって、多かれ少なかれどこかにアンビヴァレントなんてものはあるもので、自我は行動選択をする上でこの「葛藤」と行動選択の落としどころを「交渉」しなくちゃならない。

「どっちにしようか」迷う時の話

「合理性(確立)を取るのか論理性(好きな方)を取るのか」なんてのが代表例なんだろうが、アンビな自分の片方に折れて(あるいは泣いて)もらわないと、この答えは出ない。

これが「交渉」(これもっぱらオプション選択の時の話)

ここでポイントは、自我にとってその交渉相手が仮想「ついうっかり」外部に投影されてしまう事で、これが何かって、

○テーブルの上にカレーライス
「あ、これサラサラのじゃないや。まいったなー」
「どうしたんだい、気にすんなよ、だいたいこういう和風の、、」
「お前がカレーとかって言うから、頼んじまったじゃないか。ちゃんとそれ説明してからにしろよ」

嫌な感じがしますね。
何故こんな投影が起きやすいのか?

葛藤によって「カレーライス」と「しょうが焼き」が争っているとする。上記の人物は、このふたつの選択肢が甲乙つけがたいほど好きなメニューでどちらにするのか迷うワケだ。ここで自身と交渉し「昨日カレー食べたから今日はしょうが焼きだ」と決断すれば投影は起きないが、『行動選択のきっかけを外部に求める癖』があると「どちらがいいか意見を求める」その時“自発的に”「この判断は預けた、どっちでもいいのだから」と線を引いておけば投影は起きないが、人格が“受動的”だと『自分がどちらがいいか聞いた記憶が希薄で、答えを受けた事の記憶の方が鮮明なので』構造的に「こうした方がいいと積極的に薦められた」という誤解を起こしやすい、

葛藤にまつわる精神的な悩みとは、上の「嫌な感じ」になる事が耐えがたいが、自我が受動的なので自発的に自分自身と交渉する事も慣れていない結果、構造的に悩みの答えが見つけられない状態の事。

これを俯瞰から覗くと、

「葛藤が温存されている(選択が行われないため)」ので、

『無意識に葛藤元の記憶(優先順位を与えた最初の記憶)を守っている』形になる。
ここの段階からの外部のアドバイスは、「思い切り積極的に薦められてる」ように感じられ、体感は「ほとんど命令」(むしろ「マジ命令」の方が楽だったりする)当然それには反発が起き(ここでもそのスタイルは「防衛(=受動)」)、

なので、この押し問答を解決するのに、オルタナ選択の方が「いろんな意味で」悪くない話だとわかってもらえるだろうか?

◆なワケで、次回からはこの『葛藤』ってなものについて考えてみる。
posted by kagewari at 03:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月21日

自我の仕事「選択」(3)オルタナティブ

共同幻想的「そつない自我の仕事」はオプションであるべきで、オルタナティブの領分があるって事は、自我に自分がある証拠でもあり(必ずしもいいこととも言えない、この辺は微妙。各々の主観で判断してもらうよりない。)、同時に共同幻想崩壊の方向が避けられない現在の処方箋のひとつだとも言える。

オプションよりオルタナが上等とか、立派とか成功とかいう意味は全く無い。むしろ基本はオプションで、最初っから自我のテーブルに思いついているものから現実選択が行われるのが選択の合理性が高い事には違いない。
◎ここで論争になるのは「オプション論者」にとって「オルタナは一見、現実(的)逃避」に見える事で(オプション派には構造的に思いついていないワケだから)、この批判に疑問の余地が無い事で、オプションVSオルタナの論議は平行線になりやすい。
着地点を考えるなら、楽とか好きの関わり方で、「いかにも他者向きにやって見せる的見栄えの良さが自己満足的快である時」この批判は妥当な事が多く、「いかにも自主的にできるかわからん事を誰も満足せんだろうリアル自己(がマジに)満足的いかんともしがたい思いである時」この批判は的外れである。

「ダメだこりゃ」な時がオルタナの必要な場面とも言え、結果は「自我がそれまで思いもしなかった“まったく思念段階の○○実現”」がオルタナなので、早い話が結果の満足度は高そうなのだが『思いつくまでがながーい』とか『思いつくまで回りくど過ぎ』って事になる。(ここが不条理って奴)
なので、この発見は、偶発性とかきっかけってのが救いであって(コレ自分だけで考えなくてもいいワケだ「思いついてなけりゃいいのだから」)、つまり「赤の他人との縁」や、「タイトル間違えて見た映画」や、「内容知らずに適当に買ったCD」とか、「偶然拾った文庫本」に発見の可能性は上昇する構造になる。
、、だんだん怪しい話になってるな、、

ポイントは構造的な矛盾の突破にある
これ言い換えると、
◆自我の一部を壊すのと同時にこの決壊の結果あふれ出るモチベーション(=ストレス)を一発で現実(=行動選択)に換える瞬間を指す。

・・・・・・・ 。   ・・・・。
・・・zzzzz。 !!・・・・ 、、?・・
>>、、><<αβ@@  ・・・

  「そうだ山に行こう」

あえてわかりやすくしたのだが、実はこれ↑あまりいい例ではない。何故って「山」を思いつかない事はレアケースで、よっぱどシンプルな自我の持ち主じゃないとこれはあり得なくて=「オプションから現実選択するのがスジの自我」を意味する。

ありそうだな〜ってのは。

    ・・・・・/////∴∴∴×3=・・・
ororor、△○◆

  「ごみ捨ててこよっ」

あまりにも凄すぎるので↑、、アレなんだけれど、誤解を避けるように考えるとこんな、、感じ。

ここに時代との関連性が浮かび上がる、文明化の創世期には自我がシンプルなので「ダメだこりゃ」な時のオルタなの発見は容易で、文明化情報化の進行で「思いつかない事を探すのは余計に難しい」のであって、

@オルタナが求められる時代にオルタナ無し

そこでヒントになるのが実存主義で、とにかく非合理的(不条理)なとこから「探す」ことが発見の近道。

オプションは「役に立つものから」
オルタナは「役に立たないものから」

◆オルタナがいつまでもオルタナって事は無い、次回から「思いつくこと」となったオルタナはオプションである。

ここで、精神的な悩みがどんな障壁となるのかが鮮明になる。オプションとオルタナの間に葛藤が位置すると考えていい。何故なら葛藤は道徳のジャンル(無意識の反動として)に属して超自我的(脅迫・強迫的)に自我に誤解されるので「役に立たないもの」や「意味無いもの」を極端に蔑視する傾向があり(鬱傾向の人が「生真面目とか、几帳面とか、完全主義者に多い」等という風評はこの構造のため)、唯でさえ抑圧によって内的ストレスが高いのに、現実選択が『オプションに限られる』。


「答え(選択肢)が無い」

精神的な悩み。
posted by kagewari at 02:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月18日

オルタナティブの前にさらっと前説やっておこうと思う。

自我の選択において、オルタナがフロイド的な「昇華」の本質的な(実際の現象は違うので)意味じゃないかと考えている。

フロイド的な昇華話ってのは、極端に誤解されやすくて、ついつい「社会不適応を起こすようなモチベーションがスポーツや芸術なんかで花開くとさあ全開」みたいに受け取られる事が多い、なにせここに「やりたい事(注1」なんかが絡むので、ただの誤解ですまなくなる事もある。

注1)http://kagewari.cside.com/kage_tex51.htm

誰しもが思う事だが、人の才能とそん時の社会のニーズってのは偶然で関係していて、時代が合わなきゃ日の目を見ない才能も山ほどあるワケで、

相対的に「才能とは役に立たないもの」と考えるのが自然だ、

だからこそ「昇華」って言葉がヤバイ

sublimation=昇華、この訳自体がどうなのかってのもあるが、subliminalなら=潜在意識なワケで、キーになるのはやっぱ、「結果、○○実現に等しい」でいいのじゃないのと思う。
実際「昇華」なる言葉が中華思想じゃないが何やらうまいこといかないといかんようなイメージでいかん

そこで「単独者=独と書いて=独り(ひとり)=インディペンデント=インディレーベル」な連想じゃないが、俺はこの昇華ってのをsublimationじゃなくalternativeで考えている、まんまの訳は「二択」とか「代替物」なんだけれども現象としてはだね、ある筈無い思念(これなんつっても頭の中の話で現実じゃない)を「現実だとどうなんの=答え」でさ、ここでどえらい矛盾がある、そのまんまじゃ妄想なので、現実化(=実現)ってのは「違うなんかに置き換える」行為なんだわ、これが。

だからalternative
オルタナってイメージは、オプションのオプション(?)な感じでね、「仕方なしじゃない、あーこれだった」な感覚と言えばいいのかね、

これに実際の体験だとどんな事って言うと

聞いたことも無いくせにだよ、よその誰かが出しているCDを聞いて「おーっこれだ!」
変でしょ、変。これは変、
「これだってあんた、いつこれのこれを知ったのさ」って事なのだが、そう言われても「おーっこれだ!」と思ってしまう。

つまりモチベーション段階の思念ってのは、そこまで具体性が無く、具体性を求めてるんだな、それ自体が。で、この「具体性をつけろや」ストレスは自我に伝わる、「何だろう、どうしようかな」と。

オルタナっていうのは、うまくいかないので何か別のってのじゃなく、なんて言えばいいのかな・・。

それって『ホント(実はオルタナ)のとこどうなの(どんな現実に換えるの)』という言葉としての矛盾を、、くぁーこの意味にならない意味をわかってください。ね『ホント(思念)』ってなマジに『ホント』の事だと『ホント(現実=本当)』じゃないんだな、うん。
posted by kagewari at 02:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月17日

悩みVS悩み

精神的な悩みと、困った時の悩み
字面上同じ悩みには違いないがどうやら180度くらい中身が違う。

俺自体「悩みの原因を分析しましょう」と構えてサイトを運営しているのだが、後者の悩みについては「よく悩む方だ」イメージとしてはしょっちゅうあれこれ考えている。

ある筈の答えを探している
か、

じゃあ精神的な悩みってのをどう考えるのか?つまり、自我分析的にではなく概念としての話。
「答えなんかある筈無い」
何故か?
「あったらこんなに苦労しない」
構造的には解決の“余地”が無い。
精神的な悩みには、どこか「その一線を超えまいとする意地」のようなものがある。

答えの無いことを嘆く証
か、
タグ:メンタル
posted by kagewari at 03:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月16日

実際のとこほんと、ここのとこ目いっぱいで

自我の話の続きなんかがこれ、全然書けていなくてまいる、
そんな中ふと思ったのだが、

悩み続けてもアリなもんと、悩むことが苦痛に感じるケースってななんだろうと思ってみた。そもそも試行錯誤や新しいことに進むときに「どうしよっか」と考えるのも、言葉にすると悩みなんだが、どうやらこれは「苦しみ」と表現する事はあっても、不快とは認識されない。

苦しいのは意外と平気だが、辛いのは耐えられない。

プールの中でもがきながらなんとかせねばと思うのは、こりゃ必死なのであって悩みでは無い、しかし苦しいには違いない?
しかし、なんとか上陸して「次はどうするよおい」って思えば「思い悩む」と言う。
ここにはよーく考えると感情的な要素が少ない。
「考え込んじゃってる人」とは外から見るとおとなしい状態だと言える。
これは精神的な悩みの対極にある『悩み』であることには違いない。
posted by kagewari at 02:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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