2004年11月28日

今ごろ、ブッシュ政権について考えてみる

概ね彼の評価は、無理な戦争、右寄りの宗教系支持母体に偏っている、どちらかと言えば無知、とかなのだろうが、俺は彼をいい悪いではく、アメリカ大統領としてはアリだと思っていて、それは殊更皮肉でそう思っているのでも無い。

アメリカはそんな国で、大統領が頭ひとつ抜けたエリートでは、アメリカでは無いようにも思う。
反対に補佐官は専門家としての実務能力が求められる。

何がいいたいのかって、腐っても「平等らしさ」を捨てないのがアメリカだろう、
たいして考えも無い印象だったのだけれど、ケリーって候補「こいつ負けるな。トントン」としか思えなかった(なので大統領選挙自体にあまり関心が無かった)。
(マスコミは接戦とか言っていたけれど)同じように感じていた人って意外と多かったのじゃないだろうか?
posted by kagewari at 04:01 | Comment(0) | TrackBack(1) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月24日

自我の仕事か?『実存=レーゾンデートル』

自我にとって専らの仕事は「判断」や「整理」で、それは『現実に適応する事であって、現実を認識する事ではない』

実際、自我にとって「判断」や「整理」のためには雛型や名前のついたファイルやフォルダ、付箋用紙が必要で、予め準備されているこれらの「構え」がリアリティー=現実的。
そして、「それは現実的か?」を統括して管理するロジックは超自我とフロイドが定義した、前意識や無意識的なドグマの事で、この部分は幼児期に形成される、そして個別に「定番の行動化」した技術的な判断も無意識へ、そして「ふと思いついたが現実的ではないなこれ」という想いも無意識へ

自我の仕事は交通整理の警官に近く、そこに走る車の運転手の人生まで考える事ではない。
「考えていたら、車は衝突する」

この時、現実的ではない現実は、合理性と矛盾するので実存主義の哲学者はこれを『不条理』と呼び、又「(現実的に対し)反抗的に生きる」と認識した。そして現実への適応のために「現実的判断をしない人物」は、仮想(見かけ上)社会不適応ともいえるポジションであるので『単独者』と呼ぶ。

実存主義的なアイデア発祥の文明的ビヘイビアーには、キリスト教があったため、話しは「現実に在る」事を「神の前の実存」と彼らは感じたりもした。(ここで登場する神は、エディプス的シンボルではなく、『現実』だろう)、リアリストである事は、社会的にアブノーマルなアプローチになる。

ここで、現在の文明社会の心理的社会構造が被ってくる。
共同幻想が壊れ始め、現実的の的が揺らぎ、一時マニュアルが流行したが、保守本流の伝統の代用品にしては軽いワケで。

結果『実存しがち』なんだ、これが。。

自我にとって、この現象は皮肉な事に「在り得ない事に直面させせられて不安だ」と認識されるのが、構造的に正しい(?)のであり、こういう状態を「不安」とか「悩んでいる」とも言う。

精神的な悩みは、個々の問題と言うよりいわば社会現象とも言えて
この自らの「実存しちゃってる」を嘘や偽りと感じるのか、在りのまま「こういうことか」と担いでいくのかで、大きく流れは変わる。
自我に「仕事らしい仕事が増えた」と考えるのも悪くない。
posted by kagewari at 03:47 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月20日

自我の仕事『実存=言い換えると現在』

ここで哲学の話をしようってのでは無いのだけれど、そもそも哲学な人は何がしたかったのかについて、動機を考える事は出来るだろう。

話をググーッと変えるが、苦し紛れで違和感のある言葉が時々ある。
「いい返し言葉」
これを本気で読み取ってどうするって言われると何なのだが、意外と内容を分析すると教えられる事も多い
典型例:「今さえ良ければいい」
重要なポイントは、当事者間で「今」を共有している錯覚で、「今さえよければいい」という台詞自体が、あまり『よさそうじゃ無い』。しかしそれを「いい返し言葉」として使う当人の自我は、そのナンセンスさに苦笑するはずも無く、かなり真剣に「今さえ良ければいい」と言えてしまう。

自我の選択は、矛盾とかの耐性が強く、少々の矛盾ぐらいでは自分自身で違和感を感じる事も無いし、雰囲気や流れで発言者ではない当事者ですらその違和感を感じることなく、妙に納得する事もある。

なんで、こんな事が在り得るのか?

前に一度触れたが「自我には、現実と想像や思惑にそれほど明快な『境界が無い』」、自我の在り方は非常に特殊で、「判断」というテーマで考えると、動物の選択の基本は「過去の引用による予測」となる、「おいしかったものを食べる」「危険なところにはいかない」「季節が変わると移動する」「春に備えて、、」本能による判断と自我の違いは、複雑な後付けロジックの関与になる、言うならシンプルな予想モデルを反復するのではなく、無意識的な判断を含んで「シュミレートする器官」といえる。ここが典型的な自我の存立の矛盾『現実的』の原因(理由かな、、)。

『現実的』は『的』なんだから、そのまんま現実では無い、的だからさ『的』。
「知的な印象(本当にマジな知性に驚いているのではない)」「客観的な話(マジに客観だと幽体離脱)」「印象的な絵(既に絵なので印象ではない)」「典型的なスタイル(それがあてはまるのであって、今見たものが典型になる事は無い)」「根本的な解決策(解決策は根本ではない)」「驚異的な回復力(そういう印象で、看護婦全員が驚異したのではない)」。

『それ的』なのだから、『それっぽい』とか『それと同等』というところが「的」ってやつで、

「○○君、もっと現実的に考えてくれたまえ」
この回答は「現実ではいけない」「現実“的”」じゃなくちゃ、、。
何?的って何??
「○○君、もっと常識的な範囲で考えてくれたまえ。君に常識が無いと言うなら、“私の常識の範囲”で考えたまえ」
随分無理な話だと思うが、、

この的っていうのが、シュミレーションする自我の仕事上のフレームみたいなもので、「考えを投げた上司」は、この答えに応じて、自分も関係する形でやりとりしたいのであり、意味不明な返事が返ってくると上記の台詞となる。(自分が関われないので)

しかし、「どう思ったのか」は現実である。

その現実を覆す「現実的」とは?

ここが「自我には、現実と想像や思惑にそれほど明快な『境界が無い』」ってとこで、

自我にとって「『現実的』は現実より優先する」。

悩みや、脱出不能のパラドックスに陥る原因、又は知っているはずのアイデアが出てこない(思い出せないと同意)のは、現実=「何思う」より、『現実的』=「何とする」が自我では上位概念であるからで、これが超自我、つまり超自我とは「何とする」を決めている部分で、『現 実 で は 無 い』。

この部分には同じように「何とする」或いは「何と決まっている」という概念が親和性が強く、容易に潜り込む(原因は『勘違い』)。

話を哲学な人は何がしたかったのかに戻して見ると、わかりやすい。
「現実じゃダメなの?」
これ非常に疑問なのであって、「現実でいはいけない」という部分が気になり出すと(感じない筈の違和感を感じ出してしまうと)、そりゃ夜も眠れない。哲学なんてものの登場の動機は、この「現実ではいけないのか?」だと俺は考えている。

「我思う故に我在り」ってのは、「思ったとうりじゃ無いのなら、俺はいないのとおなじじゃないか?」への挑戦みたいなもんで、、
哲学万歳の話が目的ではなく、、この心意気は使えると思っている。

即ち、「何とする」や「何と決まっている」に対抗する手段は同じ手段が使えるのであり、随分前から変わり者が嫌ってほど考えていたものだから、捨てたものでは無い。(別段哲学を学ぼうって話じゃなくて、、)

謎ってほどではないが、自我とは矛盾する存在である。
posted by kagewari at 04:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月13日

自我の仕事『自由』

時に人は凹んでいるときなどに、会社の同僚や友人を羨ましく思ったりする。
「あいつはいいよな〜、脳天気で」
「何処でも眠れるなんて、いいわね。それほとんど特技ね」
「誰に教わったんだそういう屁理屈、それはそれで凄い」
彼らが感じている窮屈な感じとは何だろう?

その近くまでは行くんだが、ちょっとそうは行けない一線
こういう感覚をまったく感じた事の無い人はいないだろう。

これつまり「超自我の干渉」
俺が「道徳的なものが超自我には違いないが、決して超自我は道徳ではない」と考えている根拠がここ。その障壁を楽々突破している(正確にはその障壁が無い)同僚や友人を嫌ったり軽蔑していない。

ここまでくると次の会話が浮かぶ。
同じ流れで人を嫌ったり、軽蔑する事もある
「こっちはこんなに真剣にやってるのに何だあの態度は」
「ほんと恥ずかしい、人が見てるのに、、緊張感がないのね」
「よくそんな事が言えるもんだ、言い訳ばかりでみっともないぞ」

何が違うのか?

前回の話と繋がるのだが、後者は思考のルートの問題ではなく「その結果に当事者が拘束されている」場合で、バイパスどころか、自分の自我のレーゾンデートルを侮辱されていると感じ、相手に対し“リアクション(被る)として”攻撃的な感情となっている。

この結論の差は「前者が自分の拘束感を窮屈に感じているのに対して、後者は人を軽蔑したり嫌う事で、自分自身が不快になっている」と言えていて、、、
どう考えても『どちらも楽しい事とは言えない』

別の角度が在り得る(これが「オルタナ」)。
この人物が、超自我的(前意識や無意識からの干渉)ではなく、自覚的に「これはこうだろうぜよ」という『自立的な拘束』を持っている場合。
この人物はこう話すだろう
「君は楽しいねぇ、お気楽で。私には真似できんな」
「ほんとナチュラルな人ね、私は考えすぎなのよねきっと(笑」
「面白いこと言うね。じゃこう言ったら君どう言うの?」

ここには違う意味の逆説的な実存が在る。
何かって、拘束における不快もろもろは無いのだが、自分が言い出しっぺの『不自由感』があり、しかもこの不自由が本人にとっておおよそ不快に感じられているように見えない。(重要なポイントだが、快感を感じているとも見えない)

「超自我的拘束感」が自由を意味する筈が無いのに、何故このオルタナティブ(同じ事のような別の二次的ではない選択肢)は「不自由(これが実存主義の「不条理」であるとこがポイント)」なのか?
ここにはなんというのか、、謎解きみたいのがあって、次回はその辺を考えてみたい。

posted by kagewari at 12:28 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月10日

自我の仕事『想像力の限界』

自分にもアリな事の選択にも関わらず
そして自分で思いついてもよさそうな事なのに
思いつかないばかりに行われない選択
 ↑
この可能性をどう考えるのか?そしてその思いつかない理由は?

自我の選択は、無限には違いないが、体力や能力の限界がある。そして最も大きい限界は「快不快の限界」で、たいがいの事はOKでもこれだけはちょっと、、というものもある。
この「これだけはちょっと、、」が、思考の世界にも被っていて、昔のカソリックじゃないけれど、「想像しただけでも罪だろうか?」という世界。一件特異に見えるがそうではない。

何か失敗をしでかしたとする。実はこれは「誰にも話していない目的があって、それを狙って逆効果になった」としよう、しかし周辺は目に見える失敗の部分だけしか気がつかないのであり、、つまり、本人だけそれ以上(行為の現実スケール以上)に凹むワケだ。
自我には、現実と想像や思惑にそれほど明快な『境界が無い』。

この逆説が、人の思い付きを「そうそう、その手があったのかー!」になる。考えるときにもルートというものがあり(これも「流れ」)それ自体連想には違いが無い。

つまり「時間ぴったりに→急ぐならタクシー→そりゃ無茶だ電車→乗り継ぎは?、、」この思考には、「遅刻は許されない」が背理にあり、この時その「時間ぴったり」の意味の大きさを考える前に「約束の時間に」という言葉で想像力が拘束される事はむしろ頻繁で、ちっとも以外では無い。
(思考の階層順位のような話)

■そんな時
「いんだそんなの、たいした事じゃないんだから。今電話して無理無理って言っとけばいんじゃん?」の一言で
「そう、そうだな、そういえばそうかも知れんなぁー、ハーッハッハ」
この友人らしき人物の助言は、彼が「約束の時間」というキーワードにさして拘りがないから現実の認知や判断が自由だったので、時間に急がなければと思っていた人物がスルーできないキーワードから自由だったから思いついたのであり、
その結論だけ聞く分には「時間に急がなければと思っていた人物」の「約束の時間(強迫的連想キー)」は刺激を受けない。
(思考のルート自体すっ飛ばされるため)
 ↓
何故なら「時間に自由な友人が、時間に急がなければと思っていた人物の拘り(実態は無意識的連想)をバイパスしたから」であり、
「時間に急がなければと思っていた人物」も、「約束の時間に」にという思考ルートに拘束されたに過ぎず(一種の強迫モデル)、「時間ぴったりに事象(直面するストレス)と「約束の時間」という言葉には直接リンクするような関係性は無い(あくまで無意識的連想)」からだ。
 ↑
(自意識マターじゃないので)

なので「時間に自由な友人」の投げかけが局面をひっくり返す鍵にもなる。

これをどう考えるのか?
(自意識マターにおける論理構造と違って、強迫系の連想による結果論的認識は脆く関連性が直接リンクするような形になっていない→無意識である事そのものが固定化の鍵であって”〜には及ばない的消極的聖域化”→ここが強迫意識に対してロジカルな関与により破壊的”投げかけ”が可能であることを証明している)

或いは”本音のサルベージ”について、その可能性をどう考えるか?
posted by kagewari at 13:26 | Comment(2) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月07日

西武も身売りだって、まったく

株に関しては読売も同じ、堤といいナベツネといい、日本の経済界の中でもちょっと公明正大とは言えない輩には違いない。ライブドアを審査してるどころの話じゃないだろう。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/06iti001.htm

実際、ライブドアより問題でしょこの二社(国土と読売)、これまでこの国の問題は国サイドの(護送船団方式とか)閉鎖的な部分や規制が話題の中心だったが、株主総会の有様なんか見聞きすればわかるように、大企業ってのも果たしてほんとの(自由主義経済の)株式会社なの?って部分はまだまだ残っているようで、

この前の三菱リコール問題や、UFJの赤字隠しも凄かったけれど、中小零細が圧倒的多数のこの国の企業の構成から見ても、果たして経済3団体はマジな話日本の『民間』なるのの代表なのかって、そいつも怪しい。戦後処理の問題もあるのだろうけれど、心理的にもこの国(怪しくない国がないとは言えないので、どこかの国と比較しての話じゃないのだが)には「投資」や「資本家」としての責任意識や当事者意識(参加意識でもいいか)ってのに欠けているのかもしれない。これは随分ともったいない話だ。せっかくこれだけの規模の経済大国だってのに、

先日のプロ野球再編問題の続きは、オーナーサイドの脇の甘さっていうのか、、常識の無さっていうのか、国土に至っては逆インサイダーみたいなおかしな話で、、
あの時にも思ったのだけれど、やはり「プロ野球再編問題」を契機に(これ全然小さい話じゃ無いと思っている)この国は転換点をむかえているのかも知れない。カルロスゴーンをきっかけにというより、近鉄バッファローズをきっかけにじゃないのかと、かなり本気でそう思っている。

ライブドアは今後どうするのか、それなりに面白さを残した。
西武が所沢にこだわらずに、70億ぐらいで話を持ち込んでいたら買っただろうなぁ、ライブドア。楽天・ライブドア・ソフトバンクと、パリーグはITリーグになり、オーナー会議もちょっと面白い事になるんだが、どうなんだろう国土、本気で200億で売るつもりなんだろうかねぇ。。
posted by kagewari at 02:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月04日

自我の仕事(心理学的選択)

<「反動形成」「オプション(次の選択)」「オルタナ(同じ意味だろう的選択)」があって、後者に近づくほど「アイデア」と呼ばれる>

これ何かっていうと、『欲求前のストレスをいかに具体的にするか』「欲望化」と考えてもいい。

なんかあれがあれ(汗が出ていて苦しい)
 ↓
1腕をまくる
2シャツを脱ぐ
3アイスを食べる
4「暑いも気から」と考えてみる
5冷房器具に頼ってみる
6冷たいものを飲む
7アンチテーゼで風呂に入る
8走ったせいか?と確認する
9「暑いなおい」
・・・・・・・・・・・
これが自我の仕事で、その選択のタイプや傾向の結果から「性格がある」とか言われる。俺はこれを「手口がある」に近い線で考えている(犯罪用語を頻繁に使うのは、アウトロー用語=共同幻想外=自我単体の表情が干渉されない印象で表現できるからで、何か性悪説的なイメージが被ってるワケじゃないです)。
例えば「あなたが泥棒だとする。あなたの手口は?」この答えならそれこそその自我の傾向をそれこそ鮮明に認識できると思う。そして「なるほど、こういう選択なら、んな性格だな〜と言われるワケだ」とも、
つまり目的が「モノを盗む」であるからといって、最適な行動という定義も無いし、実際「それじゃ効率悪いだろう」とか「それはあまりにも無謀だろう」とか「そんなに勤勉じゃ盗みと言えないだろう」とか、

人は思うように動けません。それが我侭でない証拠は、その「手口」が、嗜好であり且つ現実であり且つ欲求であり且つ“想像力の限界”でもあり。。。

『想像力の限界』

自分にもアリな事の選択にも関わらず
そして自分で思いついてもよさそうな事なのに
思いつかないばかりに行われない選択
 ↑
この可能性をどう考えるのか?そしてその思いつかない理由は?
posted by kagewari at 01:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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