仕事してます。その中で成果と報酬をもらっているのだけれど、こいつは取引で、上位下位があるワケではない。商売繁盛の技術のひとつに接客サービスや、営業マニュアルがあるのだろうけれど、自分自身の仕事のスタイルもある。
好き勝手に仕事をするって意味では無く、何をやって仕事とするのかって指針みたいなもので、これと取引が行われるのだから「ギブアンドテーク」が基本で、営利目的に妙なマニュアルが仕上がるのはむしろ企業の論理(共同幻想)って事で、仕事を考えるって枠では無いようにも思える。
そうすると企業の論理の下の仕事は、仕事じゃないのか?って言えば、ほんとの話「それはそうかもしれない」。
そうであるからこそ、なんとなく日常が流れ、精神的な負担も少ない。昔チャップリン辺りが極端な演出で表現した近未来ではなく、調子を合わせればむしろ「楽」なのだが仕事は基本的に面白いもので(楽じゃないが、、)そこが失われたとすると「楽」でも損失したとも言える。ここが難しい選択で、仕事が面白いと楽では無く、楽な仕事は面白くない。
元々は食い物を獲得する事が、仕事の本質で、山に入って木の実を獲ったり、雨風を凌ぐ住居のメンテナンスしたりって事なのだが、ここには伝統マニュアルがあるので、面白い上に精神的に楽で、肉体的には過酷って感じか。そういう意味でもその肉体的な過酷さも少なくて済む南国って地域では心配なのは疫病ぐらいって事になる。
つくづく楽を追求すると、「豊かな土地か」と思う。
自分の暮らす環境も、知らないうちにアイデェンティティーの一部になるのだから、「仕事がキツイな」な時には「この土地を選んだ自己決定なのだ」と思うほうがいいのかも知れない。