なに言う俺は、有名三流大学(四流か、、)の亜細亜大学経済学部経済学科(地政学の倉前教授が目的だった)出身で、経済学の授業の中で興味深かったのは『ミクロ経済学』だった、介在学と言えば『マクロ』で、経済政策の話なんかはこのマクロになる。『ミクロ(企業単一で見た経済学)』は三流大学なんかになると「ワケわからん」と言われたりして毛嫌いされるのがおちなんだが意外と面白かった、
この『ミクロ的発想とマクロの関係』が心理学の独学に大いに役立った。
フロイド批判の中の「精神的に悩みのある人を分析したものが、普遍的な心理学になるのは変だ」とか、フロイド心理学に対し社会心理分析を加える点で大いに前衛的な岸田教授の「唯幻論」のコア『共同幻想』についてその関連を「あっそうか」とわかりやすくしてくれたのは、実は経済学だった。
「消費者マインド」「総需要」、、これ心理学なワケだ。
実は一部の心理的な解釈は経済学では定説化していても、心理学的にはまだ論議のさなかだったりする。これはつまり、経済学には宗教的な批判や道徳的な反発がおきにくいからで(超自我の監視外)比較的素直に「そうじゃないの?」が「そうそう」になっている。
何処いらへんかと言えば、マクロ政策は『個々人の消費意識(需要)をコントロールするため』であり、国家政策は個人の心理を動かす力がある事に誰も疑いを持たない。
EX「年金政策」「減税政策」
又小社会を形成する企業向けの政策もある
EX「法人税」「許認可(=道徳)」「為替政策」「金利誘導」
これは上位階層の共同幻想が下位の共同幻想を支配している証明に他ならない。
そして又、「倒産した企業の要因分析が、一般的な企業活動の解釈に適応されない」なんて反発(悩んでる人の分析が、普遍的な、、)も有りえない。
そして国家規模の「計画経済VS自由経済」も参考になる。
EX「反動的共同幻想VS文明により変質(=瓦解)する共同幻想」
又、経済政策の失敗要因は「個々の個人への訴えかけが足りなかった」とか「一度減税するとなかなか増税できない(選挙があるため)」とか「公共投資を切りにくい」など心理的な要因が大きく、個々(ミクロ的個人)の経済単位が『最適化すると(シンプルに需要と投資の切り替えがあると=不安無く)』パレート最適につながりマクロ的に経済は正常化する、と言われている。
■これ即ち、「個々人がシンプルなエゴイズムを発動すると、社会はピースに安定する」って事で、俺の『エゴイズム性善論(未筆の心理学テキストのテーマ)』の根拠になっている。
岸田秀教授の共同幻想も極自然に語られている「消費者マインド」「業界的な景気観測」「企業心理」「勤労意欲」、、これらは個人を特定したものでは無い、そして集団心理的な考えでもなく、「そういう雰囲気みたいな流れ(=共同幻想)がある」って事に他ならない。
シンプルに考えると、心理学を学ぼうなんて動機の持ち主(俺もか、、)には、神学的に物事を考える人や、左翼的正義感の根拠を求める人、道徳的に「人の役に立ちたい(=葛藤)」と思う人などが考えられるために新しいアイデアに学会的な反発が起きやすく、学者自体もも自身の道徳的反発から「造語」を乱発してなんだかワケのわからない難解で神秘的に話をもっていきたがる傾向がある。
そして終わりの無い論争、
これやってると、話は偉そうになるんだが、話が回りくど過ぎて何がなんだかわからなくなる。
「○○(造語)が原因なんだよ!」
なんて言われても、、
俺の心理学的な解釈の中で経済学は非常に重要な位置を締めていて、同様に重要なものに『動物行動学』がある。次回はこの『動物行動学』と心理学の関係を考えてみたい。