なんたって心理学というんだから、人のこころの話です。
かといってここを一面的な観察や考察から、「あれじゃないの」とやるには随分と乱暴すぎる。
哲学、動物行動学、社会学、文化人類学、言語学、、、いろんなものが関わっています。個人と社会を切り離して考えがちなのは、経済学における「マクロとミクロ」に良く似ていますから、経済学的に考えてみると話が見えやすい。
ある商店の収益と、景気動向がいつも比例するわけじゃないけれど、商店街で語られている台詞は「景気はどう?」です、減税や公共事業などのマクロ政策は大事ですが、個別の企業の資金繰りが悪く、金融の陥没で随分と景気対策に打つ手なしでした。銀行の実質的な赤字が表面に出てから、景気動向も良好になったとも言えます。
個別に「酒屋はもうかるのか」を考えても、消費者はその一企業に関わる筈も無く、同時に勤労者でもあるので、ミクロとマクロの両面から見ないと何がなんだかわからなるってワケです。
フロイドもユングもどちらかと言えば個人分析が主ですが、果たして「精神分析とはなんぞや」という時に、景気動向(人の社会性)を抜きに語るのはナンセンスです。
元々精神分析には、そこいら辺を見通す鍵があります。
『超自我』の定義です。
常識や道徳を分析してしまう(種明かしをするようなもの)ので、倫理的な層は、精神分析に批判的です。こころをファンタジックに捉える層にもウケは良くありません。しかしそれは精神分析の説明不足ってのが大半で、いわば誤解です。
「精神分析はツール」であって、(一種の話し方講座みたいなもんで)常識や道徳を批判してるのじゃありません。
個人の人格と背景の社会との関わりが、「自我の一部として個人に取り込まれる」事への言及は、『個人の定義』そのもがそう単純な事では無い事を証明します。