そこで暮らしてる人には「いつもの風景」を。「へーっ」と眺めている自分がいます、不思議なもので元々が精神分析と同じ線上でもの見る性癖があるので、妙〜に俯瞰から物を見ているわけで、時間とかの感覚がちょっとズレてきます。ぼやっとしいてるんじゃ無いですが、時間がたつのが心なしか早いです、これは「旅行の快」に近いのだと思うけれど、、、
そう考えると、しょっちゅうなんやかんや外交の多い人の体感人生速度は短いのだろうか?
楽しくて時間のたつのを忘れる、って表現もあります。
これと同じでしょうか?
それだけではないでしょう。実際何かに集中していて、それが嫌なことじゃ無い時には、楽しくなくても時間のたつのは早いものです。
ひょっとして不快な時に、時間が妙に長く感じられるのは危険回避するために「十分な時間があるように、体感で長めの時間がセットされてるのか?」
よく聞きますね(俺もですが)「時間がたんない」これは幸せな事なのか?「時間がたんない」との要求を満たす「時間がある感じ」って体感は、実は存在しないのか?
なんだかんだと、新宿はもう夕方です。