2004年06月20日

危険なコトバについて、

パラドックス(逆説、背理)の意味をご存知ですか、まるで矛盾していたり違った話しなのに妙に意味が通じて、裏の意味が本物、というか、そんな感じの言葉です。一種の言葉の特殊性の呼び名とでも受け取ってください。

「無意識が背理を形成して、話(表面上の)は直接背理に触れない。」
このような状態になると、精神的にはその背理に支配されるのに、表面上は「言って無い」事になるので、自分の感じる事と(意味)現実に認識してる事がズレてしまいます。
パラドックスってのは、結果何かの実態を別の話から伝えたり、とかにも使えるので、背理を自覚していたり、背理を見つけたりすると有用なものですが、この逆だととても危険なのです。

よく考えると辻褄が合わないのに、会話してるとなんとなく違和感が無い言葉があります。
・「みんなに嫌われているので、僕はひとりぼっちだ」
こんな事は絶対にに有り得ないんです。何故なら「○○は僕を嫌っている」のを証明するには、その人物と極親しいか(既にひとりぼっちではありません)、読心術の持ち主か(超能力者になってしまいます)、社交的なのでみんなに聞いて廻ったのか(嫌われていたら、こんな活動はできません)、無理がありすぎます。
これをデ・コードします
・「僕は『こんな人間』なので、みんなは嫌いに『決まっている』、仲良くする気にもなれないので、いつも僕はひとりでいる」
つまり、他人が判断すべき自分の評判を自分で決めつけ、次に聞きもしないで他人がどう思うのか決めつけています。特に後者は問題です、自分がどれほどの人間でも「人が人を嫌う」のはそんなに当たり前の事では無いからです。知らず知らずのうちに「嫌な奴ばかりで、僕は災難だ」に気持ちが引っ張られてしまいます。これは完全なガセネタです、独りゴシップです。つまり正確に言うなら「嫌な奴が多いので、可哀想な僕はいつもひとりだ」と言ってるのと同じだと、最初の言葉の表現で気がつく人はめったにいないでしょう。

「みんなに嫌われる」と「僕はひとりぼっち」、このキーワード自体が実はパラドックスなんです、『みんなに嫌われる』のは、よほど酷い事を積極的にやった酷い人に限られ、嫌われる=確信犯的犯罪者を意味しなければ辻褄が合わない言葉ですが、この言葉は、その用法がめちゃめちゃで、極普通に使える言葉になってしまっています。
『僕はひとりぼっち』になるには、正常には「僕にはいつも仲間がいる」事が一般的でなければなりませんが、友達と仲良くする事があったとしても、そんなに頻繁にいっしょにいるものじゃないでしょう。つまりこの言葉は『家族』にかかっています。自分が家族とウマが合わない場合、それより遠縁の学友や同期社員がそれより友好な関係になるとは、なかなか想像つきません。しかし本人にはその自覚がありません、ひとりではなかった場合の対象者(いっしょにいるべきだと感じた相手の実名)は「曖昧なまま」なんです。この言葉も「そんな現象は無い」と否定される事はめったにありません。

・「あなたも社会人なんだから、そろそろちゃんとしなさい」
社会人の定義がありません、社会の人だとするならこの世の人という人はみな社会人で、一々社会人なんだから、と言ってもなんの意味もありません、一般にこの会話は「20歳以上なんだから」を意味しますが、既に20歳以上ならもう立派な社会人の筈です、じゃ「ちゃんとないとしなさい」はどこにかかっているのでしょう?
『普通社会人とはこんな状態の筈だ』が背理になっています、つまり『普通はこうな筈なのに、あなたは何をしているのか』と言いたいのでしょう、しかしこれは『変すぎ』ます。何故なら「普通ならそうしないことを今している」とすると「普通じゃ無いことをする不思議な現象」が目の前にある筈ですが、上記の言葉を投げかける人物は不思議そうにしてるとは思えません。
じゃなんでしょう
「あなたは確信犯で変な事をしているの?」ならわかります。
でもそう思わないから「ちゃんとしなさい」なわけで、おそらくその根拠は「あなたは普通の人」だからです????
あまりにも変です、普通の人ならちゃんとしていないわけないんです。話の根拠は『普通はこうな筈なのに』なんですから??????
完全に倒錯しています。
デ・コードします
「ひどいじゃない、それはあてつけ?なんでワザとそんな状態なの?」
これはあんまりです、おそらくこの言葉を投げかけられた人物は、ワザとでも面白半分でもなくそんな状態なんですから。。。
『正直デ・コード』します
「あんたのことはどうでもいいの、私を困らせないでくれる?」
自分はなんか嫌な奴だ、と思われたくないので、何か不当に話し相手を巧みに悪い奴にしたてる言葉なんですね。
時折これを自分自身に言うケースがあります。
・「私はもう社会人なのに、ちゃんとできない」
こうなると矛盾は解き明かせないほど矛盾していて、ほとんど言葉として壊れているんですが、不思議と『意味が通じてる錯角=パラドックス』を起こします。
危険なキーワードは『社会人』でしょうね、この定義が曖昧なばかりに話がめちゃめちゃになるんです。
「自分の社会人宣言」という一文を書いてから上記の発言はあるべきなんです。
つ ま り 、悩んでいる理由は「社会人とは何ぞや」だったのです。

このような危険なコトバや会話は沢山あります。こんなコトバが野放しな理由は、一々理由を説明(自分では意味すら知らなくても)しなくても人をある一定の枠に強制できる便利なコトバだからです。「共同幻想」の一部なんですね、社会が均一な伝統社会の時には、効率のいい言葉ですが、現代社会ではむしろリスクが多すぎる言葉のひとつなんだと思います。

社会現象と、このコトバの関連について次回は考えてみたいと思います。
posted by kagewari at 00:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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