2004年06月13日

自分が知っている筈の事「選択肢の喪失」が、意識下にのぼってこない理由。

「抑圧」と呼びます。なんといえばいいか粘り強く話すので、、粘り強く聞いて下さい。
「理解できない不快感」があるとします、自我が取る次の行動は@その解読に勤めて、不快を回避する手段を発見する。Aとりあえず時間稼ぎにでも、その不快から避難する。Bバランスを取るために、気晴らしの快を求める。等々、、
しかし、この不快感が幼児期である場合、多くの手段は自立的に行う事が難しいですし、誰かの助けや援助を求めるとしても、それを友達に求める事もとても難しいです(同じ幼児だからです)。

地域社会が、「大人の関与」「他人の関与」として助け舟の可能性を用意していれば、「解読する事例も多く」「実際誰かが助けてくれるかも知れず」等の可能性が高いですから、「理解できない不快感」を感じた時の切迫感は強くないでしょう。
しかし、問題が『家庭内』にあり(問題のある家庭は一般に地域社会と断交していますから)地域から孤立していた場合、「理解できない不快感」の解決は完全に個人の自我マターになってしまいます。

これは困った事です。
幼児にとって「今手持ちのカード」には、不快の原因となる「理解不能」な部分を「理解するアプローチが無い」ことになります。

「わけのわからんものが原因の、不快からどう逃げるか?」
こんな難題そう簡単に解決できません、ただひたすら息が詰まるだけです。そこで「不快に感じるのが間違えているのか」とか「不快な理由は自分にあるのではないか」へ、気持ちが流れます。つまり「理解不能の不快感がある」⇒「自分は不快の多い人間だ」「自分のせいでこの世は不快だ」と話が逆転します。
すくなくともこの方が、エゴ的に次の手段へと行動選択が可能になります(息がつけるって事です)。

 この逆転のアイデアを『自己嫌悪』と呼び、
 事実関係が『自己嫌悪によって隠蔽される事』を『抑圧』と呼びます。
 つまり
 「理解不能」部分が抜け落ち、『それは無かった事』になり「不快な記憶」にのみ意思が集中するワケです。

うーん、わかりにくいですね。
次回、もう一度、このわかりにくさをもう一度説明してみます。ここで重要なキー『被る』が登場する事になります。
posted by kagewari at 01:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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