事件は風化していくのだろうけれど、なんとなく事実関係が見えてきたような気がします。
やはり殺害された少女は中傷などしていませんでした
そして殺害に及んだ少女は「何であんなことしたのか」と話したそうです
これをアニメファンだった事でくくる論評もあるでしょうが、それは一面に過ぎず、取り違えると全く話が逸れていってしまいます。
大事な事は、何が彼女を空想の世界に追いやっていて、彼女がその「救い」としてアニメだったのか、であってアニメが趣味であった事自体は、何処にでもいる普通の少女と同じです。
厳しい家庭だったようです。
「躾」って何でしょうか、そして誰のためでしょうか、
「〜家として」や「地域の伝統」「人としての信念」そんな自覚のある『望』を親が子供に伝える事でしょう。それを完全に取り違えて「体面」や、単にイライラする態度に腹が立って「〜しなさい」となったら、これは只の「暴力」です。
「躾」が本物であるのか否かの境目は
「それは違うんじゃないのか」と『反抗し甲斐のある』中味のしっかりした(根拠の明解な)ものであるのか、に尽きます。
子供には「親が好き好んで暴力を振るう」なんて解釈は出来る筈ありませんから、「なんか大事な事だとか言ってうるさい」としか理解できません、これは一見反抗しいるようで違うんです。
「大事な事」自体を否定していないからです。
『従わない自分』が自分のセルフイメージになってしまい、「自立的に何かしてみよう」という気持ちを持てなくなります。
それは『大事な事に従わない人間が何を』とのやり場の無い気持ちに支配されてしまうからです。
ただ行き場の無い「怒り」の渦がこころを満たします。
恐ろしい事ですが、「無作為の無責任な言動(偽の躾)が人を殺してしまう事がある」とも言えます。
自己表現が苦手な子だった。
そうさせたのは誰なのか、それは法廷ですら明らかにはならないでしょう。殺害に及んだ少女の今後は?担当する医療関係者の腕に委ねられるのでしょう、
とにかく、この家庭には「他人の介入」が必要です。誰かがインナーワールドと社会を繋がなければ、「現実の回復すら、そこには無い」と言えると思います。